月曜日, 11月 24, 2008

STGの事

このエントリーの比喩がどうも上手く掴めない。

「自意識の当り判定」、と言うところで既につまずいて、「観客という弾幕」でへっ???と思って、「弾幕は大きな当たり判定を面白がる」で、混乱してしまった。

私はSTGは好きだけど、シューターじゃないから、上手く掴めないのかな?

「自意識の当り判定」てのは、いわゆる「ネット用語でのクリリンのことかーっ!」って事なのかなぁと考えて、何でもかんでも自分の事を指摘されたと捉える事だと考えたら、「自意識の当り判定が大きい」状態とか大きい人って居るよな、とは思ったけれど、そうすると、「観客と言う弾幕」とは上手くリンクしないんだわ。

観客が「弾幕」と言えるような状態になるって事は、「明らかに注目されている状態」――沢山のブクマがつく、とかアクセスがむっちゃ上がるとか――を示していると考えると、今度は、それは、自意識とは関係のない高負荷の状態を示しているように思える訳よ。

だから、「自意識の当たり判定の大きさ」と、「観客と言う弾幕」を関連付ける為には、そこに「自己顕示欲」てな要素が必要不可欠になるんじゃないかと思う訳です。

以下で、「劇場型性格」みたいな事も書いているので、それが「自己顕示欲」を示すものなのかなー、とは思いますが、何と言いますか、「自意識の当たり判定の大きさ」だけでは、「弾幕」を呼び寄せたり、「弾幕」に突っ込んでいく理由にはなってないんじゃないのかな、と。

んで、とっても困ったのが、弾幕は大きな当たり判定(全然関係ないけども、「当り判定」と「当たり判定」てどっちが正しいんだろ?)を面白がるって表現。

私の認識では、STGてのは、キホン覚えゲー(パターンゲーム)で、ただ、明らかに弾幕STGと呼べるようなSTGてのは、「避ける」事に重点が置かれてるんで、だからこそ、状況を把握して避ける事に集中したならば、たとえパターンを覚えてなくてもある程度までは避けられるぐらいに、敵弾のスピードは抑えらられてる部分があるもんじゃないかと思ってたりするねんけども、どっちにしても、STGてのは、「様式美」の世界であって、「大きな当たり判定を面白がる」ような弾幕ってあり得ないと言うか、あったら困ると言うか、もっと言っちゃうと「裏切り」に近いルール違反だと思うんだわ。

#弾幕は、大別すると、自機に向かってやって来るのと、決まった攻撃パターンを持っているかのどちらかで、前者は自機の座標に向けて来るので、ほんちょっと自機の座標をズラすだけで回避出来るし、後者はパターンを記憶する事で回避する、みたいな

自機の当たり判定の大きさを知るのは、弾幕シューに限らず、STGでは、とても重要な事だけど、逆にたとえ大きくても、その大きさを把握してさえいれば、それなりの対処法も考えられる訳で、「当た判定を小さくする」って無茶言ってんじゃないよ、て気がするし、ましてや、場当たり的な行動をとる弾幕ってんじゃゲーム性もへったくれもないよなーとも思えるわけです。

もちろん、シューターって人種はマゾですので(と、私は思っている)、そんな無茶な設定でも、何とかしようとしたりする事もある訳ですが、それは何度も死んだり、人のプレイを見たりと言った「積み重ね」によって学習されて行く類のもので、何度も死んだり、人のプレイを見る機会も限られている、平凡な暮らしの過程とはかなりかけ離れている状態なんじゃないかとも思えるんですよね。

そんなこんなで、私には、この比喩は、色んな意味で不適切であるように思えるのですが、残念ながら、私はシューターではないんで、思い違いみたいのもかなりあるんじゃないのかな、とも思える訳です。

ここら辺がおかしいよ、とか、ここはこう言う意味だったんだよ、みたいな突っ込みどころが結構あるんじゃないかとも思えますので、どうぞ、突っ込んで下さい。お願いします。


あ、すみません。「反応をどのぐらい気にするか」を「当た判定の大きさ」にしているのですね。

が、それだと一層分りません。「反応が気になる事」と「当り判定」とが上手くリンクしません。

自機に当ったら、「自機が死んでしまう」か「ライフが減る」か、どちらにしても、明示的に示される訳で、「気にする」と言う曖昧さは入り込めないように思えます。

もしかして、「かすり判定」を「当り」と認識してしまう事が、「当り判定の大きい人(又は状態)」を示しているのですか?だけどそれだと、実際には自機は失われなかったり、ライフは減ってなかったりするする訳で、やっぱりよく分りません。

反応が弾幕の比喩だとして、弾幕をよく見ていないと弾幕は避けられない訳で、そう考えると、反応を気にしない方が、より死に易いようにも思えます。

一方、弾幕の多さにパニックって、弾幕の方に行っちゃうてのは、なれないうちは結構あることですが、それだと、「当り判定の大きさ」はあまり関係のない事のようにも思えます。

何か、ものすごい思い違いをしているのでしょうか?

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