月曜日, 9月 29, 2008

英語日本昔話パクリVar.

柿太郎を知ってますか?

いやさ、知らない事を前提にして、いきなし疑問文を振ってみたりしたんやけども(何となく、注意を促すために)、柿太郎って、簡単に言いますと、「桃太郎」のパクリキャラで、つっても、パクリが問題になるようなメジャーな代物じゃなくて、父が現役の頃、英語の授業に使った「お話」の主人公の名前やねん。

ある時、実家に帰ってみたら、こんなんを授業で使ったんやけども、とか何とか言いながら、プロジェクターで使う透明のシートにに絵が描いてあるのと、それのストーリーたら言う英文を見せてもらった事があるのよ。

いやもう、大笑い。Long long agoから始まるストーリーは、まんま桃太郎やねんけども、川上から「Donburako sukkokko」と流れて来るのが巨大な「柿」で、中から生まれたのが、「Kakitaro」て寸法。

シートの絵には、巨大な「柿」が描かれてて、柿から生まれた柿太郎は、犬猿雉(動物はそのままだった)を引き連れて、鬼退治をするってお話。

いやこれ、授業で使っても失笑もんじゃねぇの?と思った時には既に「やっちゃった」後だったりした訳で、中学生も大変だよなー、と思ったりしたのが、かれこれ20年近く昔の事になるのかなあ。

で、すっかり忘れてた「Kakitaro」に、今日(正確には昨日)再会したんだわ。

今日はさ、連休だったりもしたんで、ダンナが一人で東の屋敷の草刈りの続きをやりにいってたの。

結構ええ具合に行ってたみたいで――私は、どんな状態を「ええ具合」と呼ぶのか、イマイチその評価基準みたいのを把握してないんで、どーにええんかがよー分らんのやけども、前に二人で刈った後に、近所(の範囲も既に把握しかねる)の人から褒められた、と、父が喜んでいた――、その続きをしに行ったダンナに、何かお礼をせんとアカンと思ったらしい父が、今日は「買い物のおすそ分け」と言って、「刺身」を分けてくれたんだわ。

書けば長い事になってしまうんで、ここまで書いてなかったけども、こっちに来たばっかの頃は、実家に「晩御飯」のおかずを運んでたりしたんやけども、どうも急に食生活が変わると、年寄りには、腹具合的にキツイもんがあったみたいで、もうええよ、と、停められてしまったのだ。

金銭的にたいした負担があった訳じゃないけども、不要に遠慮する部分があるみたいだし、何より、持って行っても必ずしもその時に食べてる訳でもない上に、下手したら、残ったものをそのまま捨てられずに置いておくみたいにも見えたので、以降は、酒のつまみになりそうなものをちょぼちょぼ持って行くだけに変更したのだった。

(何故かうちの両親よりも「しっかり」しているように見える)伯母に聞いても、何かしたら(無駄に)返さんとアカンと思い込んでて、(逆に)負担になるみたいなんで、この頃は、あんまり何にも言わんし、手伝ったりもせんのやよ、てな話で、見解の一致を(それなりに)見たんで、手は出さず、気にかける、て感じに方向転換したのだった。

「おすそ分け」とは言ってるけども「お礼」のつもりなのは、かなり鈍い私にも分って、だけども、「おすそ分け」と言うには多すぎる分量の――と言うか、明らかに2世帯分を買っていると分る量――食料がやって来て、だぶついたぶんを実家に、これやったらあるでー、と持って帰って――当初は抱えてたけども、あんまり勿体無いんでこの頃は、持て余すぶんは、持って帰って、そのついでに実家の方の片付けしたり、しゃべったりするようになっているのよ――、べらべらしゃべったりしてたらば、父が、この頃やってるらしい英語のお話をプリントアウトしたやつを持って来たんだわ。

偉いなぁと思うのは、父は、現役引退してもずっと英語の勉強続けてて、中学生向けぐらいの簡単な英語学習を前提にした英字新聞を――Student Timesだったと思ってたけども、検索したら、何だか雑誌みたいのが出て、これじゃないよな、と思ったのだった。週刊なんだけども、ふつーにに英字新聞で、雑誌じゃない――ずっと購読してて、毎週そのクロスワードを解いては、投稿してて、時々当選しているのだった。

#環境的には抜群だったにも関わらず、私は、どう考えても英語とならば、数学の方がマシだった
#どう考えても環境的に私より劣るむ下の方が、語学センスみたいなのがある。なんなんだろうなぁ

まさ、その新作(?)英文童話(?)が、あんまり笑えたんで――念の為に書いておくけど、ストーリーが素晴らしく面白かった訳じゃなくて、まるで「Kakitaro」から進化してないのが面白かったのよ――、ここに全文掲載。

大丈夫大丈夫。だいたい読んだら、ストーリー把握できるから。その「展開の凄さ」だけでも味わってみて。

Spider's Repay

This isn't "Crane's Requite"but my story.

Once upon a time there lived a young man named Kaki(persimmon)taro.He lived in the larger house which his parents left.

One day he saw children bullying a spider. He scolded them,"Stop bullying."

So he gave the children the cakes and set the spider free.

The next day Kakitaro had a visitor in front of his housu.The visitor was a very beautiful and kind girl.

He was much pleased with her at the first meet.Being astonished,she asked him,"Will you please stay with me?"He replied "It's OK."Marry me."She said to him, "I will be your wife from now."

And then the couple had lived in the same house.But she prohibited entering one room.She asked him,neigher enter this room nor see her.

When she came out of the room,she brought back new cloths each time.The cloths were sold at a lot of money.So they got richer and richer.

He might be wondering what was she doing,in spite of her prohibiting it,he entered the room and saw her.There was a spider weaving a cloth.

書くのにくたびれて来たのて、お弁当作る時間だからここまで。

スペルチェックもまだなんで、かなりいい加減だと言う事と、父の原文の方は、きっちしスペルチェックも終えてると言う事で、ミスがあったら、私の写し間違いです、て事は一応書いときます。

一番気に入ってる場所は、中ほどの「"Will you please stay with me?"He replied "It's OK."Marry me."She said to him, "I will be your wife from now."」て会話の部分。

英文だからシンプルなんじゃなくて、昔話ってここら辺むっちゃシンプルだったんだよなー、と、再認識したんだけどね、とは言え、「Marry me」は強いよなーと。


そして、朝が来て、ダンナが嫌々(雨が降ったんで、休みになるかと期待したのが、上がってしまったんでがっかりしたのだった)仕事に出て行ったんで、続きに取り組もうとして、スペル見直してたら、最初の一行目から既に間違えていたので、さっきまでアレコレ訂正してた。

で、(たぶん)結びの部分になってるらしい所に続きます。てか、Spiderの部分でもしや?と思って、new clothsが出てきたところで、やれやれ、と思わなかった?いやさ、私ゃ、とーちゃん(ダンナじゃなくて父の事)、またやっちゃったよ、と思ったよ。

勉強が主体だから、ストーリーにはハナから拘ってないのは分るけども、柿太郎のとこへ蜘蛛の恩返しがやって来たとすると、柿太郎、次はイルカに乗って竜宮城へ行くのかな?それとも、夏山に登った柿太郎が大雨の土砂崩れの中、雨女に助けられたりするんやろか?とかさ。まぁ、ラストをどうぞ。

His wife was a spider.The spider said sadly"You see my real figure,I cann't be here.I have to fly up to heaven." The spider on a long string flew up and up. finally it became clouds. So in Japanese spider is kumo,cloud is kumo.

最後まで書いてびっくりした。いやさ、(実は)今初めて全文読んだ訳やけども――途中で吹いてしまって、微妙に「共有」したい気分になってしまって、公開しちゃったんだわ――、オチがまたひどい。親父ギャグ丸出しじゃん。とーちゃん、またやっちゃったね。

土曜日, 9月 27, 2008

バブルの頃の庶民

いやさ、このレスと、その続きに、に思わず「ほんまそれな」と、声が出そうになってさ。

個人差がものすごくある事なんで、一概には言えないのはそれはそれはよく分ってる(つもりやねん)けども、うちら夫婦(私60年代前半生まれ・ダンナ50年代半ば生まれ)に関して言えば、少なくとも、バブルの恩恵?なにそれ?と、自信を持って言えるわよ。

うちらが結婚したばっかの頃は、まだバブルは始まってなかった。確かに、80年代に結婚した訳やけども、80年代てば、前半と後半じゃかなり違ってる。

そして何より、バブルの恩恵は、実際には、かなり限定された人だけが受けてるんじゃないかと思ってる。

やなことばっかりじゃなかったし、いいことだって「それなりに」あったから、わざわざ言ったりはしないけど、今の不幸を嘆く若い人が「みんな」ツイてない時代に生まれてしまったばっかりに損ばっかりかぶってる人たちだとは思ってない

うちらはさ、鉄鋼不況の時に消費税3%におののいて、土井社会党に投票した浮動票です。

当時、ダンナの手取りは、近頃見聞きする新卒と一緒ぐらいで、年収は200~300万てとこ。デフレじゃなかったし、価格破壊もまだだし、グローバル化もしてなかったから、あの頃の方が物価は高かった。市住に入ってたから何とかなったけど、そうじゃなかったら、ほんとにカツカツだったと思う。まだ子供は一人目だったけど、母乳が出なかったので、粉ミルク代がそれなりに家計を圧迫してた。パートの時給は(神戸市北区では)500円台だった。

それが、ファミコンが出始めた時期(1985年前後)の事で、ファミコンは、私が下の子を出産する際に実家に帰っている間にダンナが購入していた。たぶん、他の娯楽をするよりは安上がりだったんじゃないかとは思うけれど、それでも、ファミコンソフトが一本3000円台~5000円台だったので、易々買ったりは出来ず、一本のソフトを遊び倒した。すぐになくなってしまったけれど、レンタルソフトと言う仕組みが当時あった。

そして、下の子が生まれた直後ぐらいがバブルに当った。神戸から埼玉に越して、周囲ににょきにょき億ションが建ってる頃には、時給が700円代に「高騰」し、ダンナの年収が400万円台にやっと届くぐらいになった。

とは言え、賃貸の家賃は安くなく、貯金をしたり、借金を支払ったりしなきゃならなかったし、物価もちゃんと上がってたんで、実質的に豊かにはならなかった。

子供が幼稚園に行ってるスキマにファミレスのバイトして――同僚には幼稚園ママが結構居たけど、ファミレスとは別に内職してた人もいた――、ようやっと子供が学校上がったと思ったら、不況に直面して、そうよ、私ゃロスジェネと一緒に就職活動してたのよ。

あの時、新卒と一緒に、既婚子持ちの私が就活してた訳よ。

兎に角もっとお金が必要でだった訳で、夢も希望もハナッからなかったから夢を打ち砕かれる心配はなかったけども、全然選り好みしないどころか、入れさえしたらどこでもいい、と思っていても、まるっきり就職はなかった。

#同じ歳の子を持つ社宅のお隣の奥さんと、時々「面接会場」で出合って、若い子が多いねー、無理ぽいわねー、みたいな話して、やっぱり仲良く落ちていた

しかも!口は出すけども金は出さない親類の相手して、口は出すけども金は出さない先輩ママの相手して、歳喰ってるだけデカイつらするやつとか、教師ってだけでデカイつらするやつとか、男ってだけでデカイつらするやつとか、戦争行っただけでデカイつらするやつとか、姑にいじめられたからって(なぜか)デカイつらするやつとか、戦後の食べ物がない時代を経験してるだけでデカイつらするやつとか、そんなちょっと面倒くさい相手がよぉ、今よりもず~~~~~っと多かったりした訳よ(もちろんみんなじゃないけどね)。ほんまに。

私ゃ、世の中、は言い過ぎかw。少なくとも私が知ってる範囲内では、良くなった事ってかなり多いと思っている。

とは言え、(もちろん)「だから」ガマンしろとは思わないし、つか、むしろ不平不満はとりあえず口に出して言うべきだとも思ってもいる。

だけどね、非モテという「くくり」に同情しないのと同じような感覚で、ロストジェネレーションって「くくり」にも同情はしていない。

単純に、「運が悪かった人」を「自己責任」にしてしまうなよ、と思っているだけ。

そして、それを時代特有の問題だとは思っていない。と言うか、それ(運が悪かった人を自己責任にしないと言う事)は、私の気分では、常に目指していたい方向性であって、だからこそ、世代論みたいのには乗りたくないと思っている。

為に世代論を利用する用意は何時でもあるけど、それは、手段であって、目的じゃない。

は?結婚できない?したいの?さして望んでもいないのに、文句言う為の手段のひとつとして言ってるだけじゃないの?は?子供が生めない?子供欲しいの?さして望んでもいないのに、文句言う為の手段のひとつとして言ってるだけじゃないの?

私(個人)はさ、うっかり結婚しちゃった馬鹿とか、うっかり子供持っちゃった馬鹿をこそ支援したいの。私がそんな馬鹿だったから。

馬鹿はさ、そうなって初めて分る訳よ。

大学進学を考える歳になって初めて、地域格差を知って、大好きになっただけで結婚して初めて、他人と暮らす難しさを知って、子供を持って初めて、子育ての難しさを知って、そこで初めて親に感謝したような、ありきたりで平凡な馬鹿だった訳だわ。

だけどさ、めくらめっぽう石投げたって簡単に当るぐらい平凡な馬鹿が生き難いと感じるような、そんな社会じゃ流石に嫌なのよ。

みんな愚かで必死じゃん。

金曜日, 9月 26, 2008

私専用ツール

うみねこのファイル名を変更して、総入れ替えをやっていた。

元々日記にだらだら書いてたのが、だんだん量も多くなるし、他の事も書いておきたくなって、継ぎ足し継ぎ足しだったから、ファイル名がむちゃくちゃで――当初は、全てのファイル名がumi+ナンバーになってて、それを後から、中身に合わせて継ぎ足してまとめたのだ――、開いて初めて中身が分る状態で、こりゃまずいよ、と思ってたのさ。

で、やっと今回の総換えで、全て内容が多少なりとも分るような名前のファイル名に変えられたのだった。

リンク先の変更とかも一通りやって、ずいぶん削った。

こんな事もあろうかと、当初からブログの利用は考えたけども、配置とか、表とかが書き難いのが気に入らないのと、何よりも「新しい」ものが上に来てしまって、過去に遡る形じゃないと読めないのが嫌で、やっぱこーゆーのはwikiの方がいいんじゃないかと思ったりもしたけども、こっちはこっちで画像がものすごく使い難い(ように見えた)あたりが気に入らなくて、結局は手軽さから、手書きしたけども、一旦まとまってしまってから、全体の構成を変更するような、こんな作業には向いてないよなーと、やりながらつくづく思った。

もっとも、wikiをまだ使った事がないので(投稿はしたことあるけど)、思ったような使い勝手になるのかどうかも、イマイチ不明ではあるけどね。

後さ、一応は「みんな」で使う事前提のものを、個人で使うメリットてなんだろな?と、一瞬考えたけども、それは私の都合とはあんまり関係ない事だと思ったんで、そっちについては考えるのを止めた。

一方で、パーマリンクはいいかなぁ、とも思ったけども、登録した言葉全てにくっついたりしたら、それはそれでうっとおしいかもしれないな。

私の都合に特化したツールはないかなぁ、と、一瞬考えたら、ああ、まずは「私の都合」を出きるだけ具体化して、且つその機能を抽象化しないとダメなのか、と思ったら、なんつーか、出来上がった状態があって初めて、私の都合に特化したツールが見えて来るのかもしれないよな、とか思ったら、これが、どのぐらい無理難題なのかが、ちょっとだけ分った気がした。


んで、改めて、うみねこ関連のとこ読んでたら、似たような愚痴をなんべんも書いてて、だよなだよな。やる度にうっとおしいなぁ、と思ってるもんな、と思ってから、それなら、てんで、一度私の都合をまとめてみようと思い立った。

私の都合

  • 新しい記事は後になる
  • レイアウトやデザインの自由度が欲しい
  • リンクの自動化

と、一旦書いてみたら、何だ、そんなに沢山のものが必要てもんでもないのかもしれない。

最初の、新しい記事が後になる、てのは、ふつーに書いてたら、ふつーにそうなる。次の、レイアウトやデザインの自由度も、手書きでおk。

つまり、リンクの自動化だけが出来たらいいのか。むむ。ちょっと考えてみよ。

日曜日, 9月 21, 2008

ふつーのおばさん

あはは。なんだかなるほどなぁ、とか思った。

いやね、パーセンテージにしたら、必ずしも多くはないんだろうけども、頻度を考えると、それなりに行き当たるて感じかなぁ。と。

ここでは、具体的な事例が書かれてないから、私が想定している「単に自己中で偉そうでずうずうしいだけのふつーのおばちゃん」てのとはちょっと違うのかもしれないけども、ほんちょっと前にダンナが行き当たって、やれやれ、と思ってたら、そのつい後に私も当って、まぁ、居るよなーと思った「単に自己中で偉そうでずうずうしいだけのふつーのおばちゃん」のお二人について、ここでちくってしまう。

ダンナの方は、今月初めぐらいかなぁ。

だ「今日なぁ、ごっつ図々しいおばはんにおーたんやぞぉ」
く「へっ、そうなん」
だ「ワシらが、仕事で墓の周りの草刈りやってたらなぁ、側通ってたおばはんがなぁ、つい隣やから、ついでにウチのも刈っといて、て。ワシら給料もろて決まった場所刈ってんねんで。傍におったヤツもあほか、て」
く「あらら、まぁ、なんなんやろねー。まぁ、隣組の感覚なんやろかねぇ。自分が草刈りしてる時は周りも刈ってるから、とか思たんかなぁ。うーん。いやはや」

たぶん、悪意はまるっきり無いんやろなー、てのは、想像つくけども、なんだかなぁとはどうしても思ってしまう。

もっとも、うちの職場(スーパー)も仕事柄、色んなおばさんのお客様――それこそ、ふつーにメインターゲットよねw――が来る訳で、「TVのアレはどこ?」みたいな事聞かれたりするのは、これはもう日常茶飯事の範疇でありまして、お客様に恥をかかせないように「TVのアレ」を聞き出すのも仕事のうちではあります。

が、こないだのは、ちょいと想定外。ちょっといいかしら?と声かけられて、作業の手を止めてそちらを伺う。お客様最優先なので、事前に心がけるのはもちろん、声かけられたりしたらば、必ずそちらを伺うし、ご案内もキホンその場所まで。

お客様(のおばさん):今日ね、ここの花屋さんにも全然置いてないし、ほんとに困ってたんですよ。で、見たら、ここにススキがあるじゃない。これ、頂けません?
と、示されたのが、お月見だんごのディスプレイに使ってたススキの事らしい
むーん。うちの売り場じゃない上に、ディスプレイて事は商品でもないだろうし、てか、お待たせする前に聞かなくちゃ
く:少々お待ち下さい。担当者に聞いてきますね。
で、担当者を探すに、一瞬びっくりしてたけども、
担当部署の人:うーん。あれねぇ…そうやねぇ、一人のお客さんに渡してしまうと、他のお客さんも欲しがるかもしれんし、そうやね、皆様にお分けする訳にはいかないので、これは差し上げられません、て感じで断ってくれる?
と言う事で、戻ってお客様に伝えたんやけども、もひとつ伝わってないみたいで、
お客様:だって、ふたつあるじゃない。ひとつなくなったって残るでしょう
そう来たかー、と、一瞬たじろいだけども、じゃあいいです、と言う訳にはいかない
く:ほんとうに申し訳ございません。これ以上は私の一存では決められませんし。申し訳ございません。

お客様の方は、それでも何となく不満そうだったけども、謝り倒して引き取って頂いた。

物腰は柔らかで言葉も丁寧だったから、「えらそー」てんじゃなかったけども、ハナから貰える前提だったみたいで、やれやれ、とは思ったよ。

年齢は、うちらよりも上やけど、おばあさんと呼ぶにはまだ早いって感じの人だったから、「近所の八百屋さん」のノリだったのかもしれないよなぁ、まさ、私が自営の小さな店舗のオーナーだったりしたら、気軽にお分けも出来たかもしれないよな、とも思ったけども、やっぱりなんだかなぁ感は残ったな。

うち帰って、今日はさー、みたいな事をダンナに話したら、こないだの事もあったから、おるよなぁ。歳とったら、だんだんそこら辺が鈍なるんかもしれんなぁ、てな話。

加齢の影響か、個人差なのかはかなり微妙なんじゃないかなぁ、とは思うけども、どんな部分にも営利「組織」が入って来て、かつ仕事が分業化したってな影響も少なくないのかもしれないな、とも思う。

ただねー、だからこそ、ある年齢以上の人とのギャップてのも、どうしても生まれてしまうんじゃないかな、とも思うし、そこら辺――世の中結構変わったのに、人はどんどん長生きになってるみたいな事――の影響考えると、「ああいう人だと思う」てのとは別の意味でも、諦めるしかない部分なのかもしれないよな、とも思う。

金曜日, 9月 19, 2008

やっと草刈り

さて、9月の最初の休みが揃った日曜日(日曜じゃなかった連休がらみやった気がするけど日付は分らん)ある日。

折角の休みなんで、無茶な早起きはせんでええけども、空具合がぱっとせんからねー、と、簡単な弁当用意して、朝からおでかけ。

装備は、長袖長ズボン(農作業用)麦わら帽子に(1)長靴で、先ずは、道具を取りにばあちゃんちに上がった。

が、もと小学校の校庭の駐車場にクルマを停めたぐらいから小雨。うーん、と思いながらもばあちゃんちを開けて、草刈り機と鎌を出してクルマに積んで東の屋敷の辺りまで行く間にもどんどん雨が強くなる。

く「どおする~」
だ「降ったり止んだりかもしらんから、もうちょい様子見るか」

と、言う事で、クルマの中で待機。30ぐらい、空見たり、草見たりしてたけども、どうにも雨脚が弱まらないんで、帰って来たのが第一回の草刈りの事。

その後、ダンナは休みで、私が仕事の時に、おとーさんひとりで頑張って出かけたのに、私はすっかり寝過ごして、帰ってきたぐらいに起きたりして、大いにむくれさせてしまったのが、第二回。

で、第三回草刈りがこないだやった訳やけども、既に、ダンナが一回と、父も一回行ってると言うことで、畑の方は、半分復活。道の向こう側も、春の頃までは戻ってないけど、それなりの広さに戻ってて、ダンナは今回、畑の一段上にある、梅の木の周辺をやると言ってるんで、私は、草刈り機じゃ刈れないような石段の周辺の草刈りとか、姿は見えたけども、まだ畑状態までは復活してない元畑の畝の草引きとかをする事にしたよ。

今回、面白かったのは、刈った草を運ぶ作業。

石段やら坂がある場所だから、手押し車とか使えないじゃないのさ。よーわからんから、抱えて捨てに行こうとしてたら――一応、うちんちの地所になってるんで、川原に降りられないような小さな崖になってて雑木がこんもり生えてる場所を刈った草捨て場にしてた――、やり方があんねん。後で教えたるから、そのままにしとけ、との事。

おお、さすが(見習い中の身ではあるけど)本職。盆前は、ずっと草刈りやってたもんなー、どうするんやろ?と思ってたのよ。

で、ある程度刈って、頃合もいいからお昼とって――五勤明けでしんどかったんで、お弁当はパスして、コンビニでおにぎり買って持って行った――、午後からは、草集め。

こうするねん。と、ダンナがやった草集めに感心した。

  1. くまでを使って草の山をざっくり集める
  2. 集めた山の手前にブルーシートを広げる
  3. くまでを使って集めた草をブルーシートの上に寄せる
  4. ブルーシートの片側の両端を寄せて一緒に持つ
  5. そのまま引きずって草捨て場まで持っていく

ほぉぉぉ、これはすごい。社宅の草刈りやったら、手押し車で運んでたけども、こっちのが、ずっと一度に沢山運べるし、地形の影響もほとんどない。

ダンナが言ってた通り、片側引っ張ってるだけも、草は落ちたりもしないんだわ。

そんな訳で、私は、あちこちにあった小さな草の山を一箇所に集めて、ダンナがそれをシートに載せて運ぶ、てな感じで、後始末もたった二人の作業にしては、思ってた以上に効率的にこなせまして、後、石段上がる時だけは、シートの後ろ側を私が上げておいて、草がこぼれないようにした訳やけども、少人数でも、道具次第で結構な広範囲の草刈りができてしまうねんなー、と思った。

んでも、夏草の伸び方はハンパなくて、私の背丈ぐらいあるようなでっかいシダの葉っぱ見て、ありえねー、と感心したり、こないだ刈ったらしいすすきが、もう既に結構伸びてたりもして、「生物兵器」(除草剤をこう呼んでいる)を導入するかどうかは、それなりに迷いどころ。

いやさ、植物って進化の勝者だよなー、てのが、うちら二人の一致した結論。

(1)長靴
これは、前日にダンナが私の為にと買って来てくれてた代物で、オマエ用やから、赤いのにしといたぞ、と言って、見せてもらったらば、まぁ、確かに赤い部分はあるけども、底に鋲がついてて、長さも膝まであるような、かなりごっつい作業用長靴
滑らないし、はんび――と、ここら辺じゃ呼んでるけども、まむしの事なのかハブの事なのかは私にはよーわからんけども、アオダイショウとの区別はつく。はんびの方が小さくて、動きが早くて跳んで、頭の形が三角形になってて、模様が派手――避けには、これが一番らしい
使用上の注意として、ぬかった道とか、急斜面にはそれなりに強いけども、舗装道だとかなり歩き難く、コンビニの床では滑ってコケそうになった

マクドとコンビニ

てのを読んで、そういやこっちに越して来てからの方が、コンビニの店員さんって、美人度が高いよなー、とか思っていた。

いやさ、前に住んでたとこも、都市部とは言え神戸の「外れ」で、これが都会の事情とは言えないとは思うけども、神戸の外れじゃ、コンビニの店員さんは、平日昼間は大抵主婦で、深夜は結構外国人の人も居たよなーとか思ってさ。

そしてそして、意外に知られていないのかもしれないけども、コンビによりもマクドよりも、スーパーのバイトちゃんの方が、可愛い子が多かった。

#私が、おっ!?と思ったおねえちゃんが近所のスーパーに約二名居て、その事をうちの二人の息子に振ったら、ちゃんと意見が一致したのだった

んで、こっちのマックやねんけども、マックだけの単独店舗てのはこっちには無くて――モスはある。てか、中年過ぎてる男性の店員さんてのも、近所のモスにもマックにもいらして、たぶんアルバイトなんだろうなと思うけども、都会じゃ中年以上の男性の人てば、(名ばかり)管理職、て感じだったのが、こっちじゃ明らかに「店員」だったんで、バイトだろうなーと、勝手に憶測してる訳――、旧市内にある2軒のマックは、どっちも総合スーパーにテナントとして入ってて、まさ、田舎だと、総合スーパーてのは、一種のアミューズメントスポットとしても機能してるし、他に行くとこもないしなー、とか思うと、それが正しい出店なのかな、とも思う。

まさ、それはええねんけども、こっちだとマックよかコンビニの方が、より綺麗な子が多いねん。

いやさ、ぼんやりした記憶だけやねんけども、リカちゃんってば、コンビニの店員さんの制服もあったんじゃないのかなー、とかちょっと思って、そうだそうだ、マックの店員よかコンビニの店員の方が、気持ちグレード高くね?とか思ってさ。

いやね、消費者側からしてみたら、クラスで一番の美少女がスマイル0円てば、むっちゃお買い得感があって、中々好ましい事態て気がするけども、職場として考えたら、マクドって嫌やなー、と思ってさ。

もちろん、私はクラスで一番可愛い子じゃなどころかおばさんやねんけども、それでも、同じバイトするなら、スマイル0円が「ウリ」になってる上に、「食べ物」扱うのがメインのマクドやミスドとなら、多少は業務が煩雑でも、体力的にキツくても、コンビニのがいいよな、と思ってさ。

だいたいが、マクドたら、高校生のバイトを使うぐらい時給が低い訳じゃない。(1)そのくせ「水商売」。しかも、スマイル0円が身上て事は、必然的に「感情労働」な側面がある訳で、この頃の計算高い女の子が、制服程度でマックでバイトするとかありえねーよな、と、逆に思ってしまった。

大体さ、可愛い子が飲食業をするのは、他のバイトするよりもリスクが高い。

可愛い子は、可愛いからって時給が高くなったりはしないけども、世の中、非モテや草食系男子ばかりじゃない訳で、懲りない男って、ほんっとに、どこにでも居る訳で、客の好意(?)をスマイル0円が建前の店舗で無碍にはできないじゃないの。男性客の5人に一人が「スマイル3個」みたいな下らないネタを振ってきても、イチイチ笑顔で対応するなんて、めんどくさいと思ってしまってもしょうがないんじゃないの。場合によっちゃ、同僚の女の子に僻まれたりする事もあるかもしれないしさ。

むしろ、可愛い子程、マクドのバイトみたいのは意識的に避けてもおかしくないんじゃないのかなー、とか、ちょいと思ったり。

そのくせ「水商売」
ここで言う「水商売」てのは、所謂「お水」てのとはちょっと違って、食べ物を扱う商売のつもり
水商売て、元々の意味はどうなのか、実はよー知らんけども、食べ物を扱うてのは、単に食品を提供するてよりは、食べる場を提供するって部分と、それに付随するけども、「洗い物」と言った「水周り」に関する部分が、他の仕事よりもより結びつきが強い仕事だと感じている
実際、ソッチ系の仕事をそれなりに長くやってたけども、「接客」も「水周り」も、少なくとも私には、楽な仕事とは思えなかった
水周り、だとちょっと抽象的過ぎるかな?主婦やってる人だと、結構ピンと来るもんがあるんじゃないかと思うけども、残飯の処理や下水の始末といった、華やかな店舗からは直接見えない部分が、食べ物商売だと、必須な訳よ

追記

そうそう、む下(只今21歳)が、幼稚園の頃は、女の子達が持ってる着せ替え人形のメインはジェニーちゃんで、リカちゃんを持ってる子は余り居なかった。

リカちゃんは、もうちょっと大きい、小学校中学年の女の子が持ってたけども、リカちゃんとジェニーちゃんとでは、サイズが違っていて、服の交換は出来なかったし、売ってる服も、ジェニーちゃんの方がずっと多かった。

彼女も、元々リカちゃんが欲しかったと言うよりは、お母さんが着せ替え人形と言えば「リカちゃん」と思ってたからそれを買ったと言う感じで、後から、ジェニーちゃんを買っていた。

そんなこんなを考えると、「リカちゃん」てのは、広告媒体としての機能の方がずっと大きくて、実際に小さい女の子たちが使っている「着せ替え人形」とはすこしズレてるのかもしれないな、とか思う。

最近だと、シャンプーに安室奈美恵モデルのバービーちゃんがあったけども、これも小さい女の子向けとはあんまり言えなくて、只今の今実際にそれで遊んでいる小さい女の子のお人形事情って、近くに小さい女の子が居ない私には、結構未知の世界なのかもしれないなー、とも思ったよ。


あー、分った(思い違いかもしれないけどひらめいた!)!。マクドは高校生のバイトが入ってる事多いけども、コンビには、もうちょっと年齢が上なんだわ。大学とかないから、学生は高校生までで、高校出た後地元に就職なくてバイトしてるか、あるいは家事手伝いの合間とか、時間帯によっちゃ幼稚園ママの可能性もある。

まさ、そんな訳で、マクドのバイトよかコンビニのバイトの方が、もうちょっと洗練されてたりするのかもしれない。若い子の働き先としては、第一次産業系や飲食店よりは、マシだもんねぇ。

もっとも、若い子の絶対数が少ない事を考えると、美人頻度高いよなー、とも思える。地域差ってあるのかな?

木曜日, 9月 18, 2008

草刈りへのプロローグpart.2

台風が来ると言う事で、明日の朝は弁当作らなくてもよさそーなんで、微妙にのんびりしてる。

まだ、イマイチ生活時間の割り振りが決まらなくて、いやさ、決まったところでその通りに出来るってもんでもないけども、ある程度の「めやす」みたいのがあった方が何かと楽なんで、多少は目処を立てたいと思ってる訳やけども、こっち来て1年。ダンナが仕事初めて2ヶ月てんじゃ、なかなかね。

#もうちょっと具体的に言うと、手の抜きどころとか、頑張りどころみたいな、緩急の「つけ方」がある程度決まってくると、体調管理みたいのが(て程大袈裟なもんでもないけど)色々とやり易くなるんだわ
#長く生きてきて多少は分ったのが、私にはあんまり瞬発力はないって事と、代りに、結構持続力はある方みだいだ、て事で、細かくするのはしんどいけども、ざっくりした計画みたいのがある方が、何より自分にとっては楽なんだよな、と

ま、そんなこんなで、兎に角ゆとりを感じていられる今のうちに、草刈りの事の続きを書いておく。

ジャングルて、まぁ、実際のジャングルを体験した事ない訳やけども、夏草の伸びっぷりがね、そりゃもう、想像を絶する状態だったのよ。

春に草刈りした時には、元からあった「東の屋敷」の地所には、5本ぐらい畝を作って、そこを母が耕しながら、戦時中の母達の担任だった先生てのが、元々は農業専門だった、て事で、かなりうるさく指導されたって話を繰り返すのを笑いながら聞きつつ、新たな地所になったらしい元お隣の荒地を、私は鎌で、ダンナは草刈り機でもって、刈っていって、道の周辺は元より、周りも結構「広々したねぇ」と思えるぐらいまでは、刈って、父が「勿体無いから」と言うんで生り物の木は残しつつ、藤のつるとか、それは要らんと言った雑木なんかも切って、こざっぱりとした「広場」になって、そこでお弁当を広げたりもした訳よ。

筍の時期は過ぎてたけども、まだ梅は取れなくて、そのすぐ後ぐらいには茶摘をしたんで、たぶん初夏のかかりの頃合。

だから、あれから3、4ヶ月。

道も畑もすっかり草に覆われて、と言うか、車道の脇から下を覗くに、何と言うか、もうすぐそこまで草が伸びてる。てか、あの時の面影がまるっきり見当たらない。あの、お弁当食べた道の脇の石とか、母が耕してた畑とか、そんなのが全て、深い草の海に沈んでしまったみたいな感じ。

植物頑張り過ぎだろ、てか、あれは夢だったの?なんしから、私の背丈よりもずっと深いんじゃないかと思えるような草の海が、道の下に広がってたんだわ。

く「違う場所みたい…」
だ「おお。ここまで伸びてしまうんか」
く「いっぺん位来といたらよかったねぇ」
だ「ワシも今そう思てたとこや」

墓参りの帰りに寄った訳やったけども、あまりの変わり様に、すっかりショックを受けて、だけども何とかせんとあかん、てな気持ちは同様でもありまして、今度の休みにこいつに挑もうね、みたいな話をして、今回は、道具も装備も整えていない、と言う事で帰った訳ですわ。

水曜日, 9月 17, 2008

草刈りへのプロローグ

で、改めて、昨日の事を書き始める。

昨日てのは、ダンナにとっては連休三日目で、私にとっては五勤明けの休みやったんやけども、ちょっと前から父から草刈りを頼まれてて、前の休みの時には、行ったはいいけど、着いたとたんに雨が降り始めて、延期。その後、ダンナが休みの時に一回単独で行ってて、昨日が二人で出かける二回目にあたったのね。

場所は、うちらが子供の頃からあった、うちの実家の土地で、田舎の事なんで、住んでた人が越す際だかなんだかに、買手を求めて知人に当った際に、不動産に弱い父が買ったのかもしれないなー、とか、私は勝手に予想してるけども、他の山とかに比べると、道の側にあって、だけども、真っ直ぐにクルマで入ったりはできないような所やねんけども、川辺で、子供の頃には、夏休みの夜とかに米屋で安く買った糠とか持って、海老掻き行った場所。

ここは、交通の便も他よりはずっといいんで、退職後には両親(と、伯母も一緒になって)が畑を作ったりもしてたんやけども、歳と共にだんだんしんどくなって来たみたいなのと、過疎化で野生動物の被害が結構拡大したのもあって、ここんところは、あんまり手も入れてなかったみたいなんだわ。

が、うちらも戻ったし、それなら、て感じで父が意欲を持ち直して(笑)、しかも、そのお隣の地所の持ち主さんが、只今大阪で暮らしていて、あっても何も出来ないのだから、と、手放す事を決めたらしく、隣の土地の持ち主であるところの父に買わないかと持ちかけて、父が言うにはとても「お買い得価格」だったので、買ったんだと。

広さにすると何坪ぐらいなのか、ぱっと見じゃ私にはよーわからんけども、持ち主の方てのは、元々そこに住んでた人で、かつては「家」もあったらしいし、家の周辺には、畑なり田んぼなりもあったんじゃないかと思う。

うちらが子供の頃は、川辺に下りるまでの狭い道の両脇には、田んぼや畑があって、春には畦に沢山筑紫が生えてたのを覚えてる。あの頃は、そのあぜ道に下りるまでの道、てのが、とても道と呼べないような急な斜面で、ゴム草履で、そこを下りるのは、ちょいと危険で、左右に生えてる木に捕まりながら、道と思えるような足場を探して降りてたんやけども、何時の間にか、道から降りる立派なコンクリの階段が出来てて、これは、個人で作ったのか、村なり市なりが作ったのかは私には分らんけども、降りるのは随分楽になってた。

が、降りた先は、昔の手入れされた畦道とは似ても似つかないような荒地になってて、両親があまり手を入れなくなったうちの地所と、とっくの昔に越してしまって放置状態になってたお隣の地所のどちらも、草ボウボウで、道らしいものも見当たらないような状態。

ここを、この春にみんなで出かけて、草刈りやったり、畑を畑らしく回復したり、勝手に飛んできて何時の間にやら育ってしまった雑木を切ったりしたんだわ。

ほんまはね、梅雨前と盆前ぐらいにももうちょい手を入れたいとは思ってたのよ。

だけども、ほれ、ダンナがようやっと一応の就職を果たしたじゃない。で、そっちへの対処で、けっこうイッパイで、後、今年は雨が多くてさ――と言うか、当地は雨が多い場所だったんだ、と、改めて実感したわよ――、冬に、山の方見て、春の気候のいい間に、ここと、ばあちゃんちの周辺にざっくり手を入れて、梅雨時には梅も採ったし、初夏には元気に夏野菜の方も採れた訳やけども、その後がいけなかった。

採るもんもなくなったし、夏は暑いし、おとーさんは只今大変な時だし、とかとかやってるうちに盆が過ぎて、いかんいかんと墓参りに行ったついでに、やっとこさ、この「東の屋敷」とうちらが呼んでる地所を見に行ったらば…。

そこはジャングルと化していた。

うみねこやってた

で、あの後、うみねこの真里亞を追えの続きを少々やった訳やけども、ep3やった後だと、これまで流してたところでも、あれれ?と思うような点があったりするし、当初はあまり気にならなかった、ep1てのは、メタじゃない方の戦人視点だったんだ、てのもそれなりに新しくて、ep3では、残念ながらすぐに真里亞が死んでしまったりしたのもあって、結構真里亞以外の部分も気になったりして、放置してたのが最大の原因やけども、新たな情報に右往左往してる。

それとは別に、リンク先とかを新しいページを作るたびに書き足すのがおっくうでしょうがなくて、とは言え、blogの利用は、新しい記事がどんどん上に載ってしまうのがどうにもこうにも気に入らなくて――これ、ほんとにどうにかして欲しい。他所様のサイトを読む時にも、だんだん過去に遡るって形は、それはそれは読み難くて、新たな話題に乗って情報を消費する、みたいな形にはイマイチ馴染めない私みたいなタイプには、只今のblogのありようてのは、とても利用が困難な部分があるのよ。――、もしかしたら、wikiを利用するのが便利かもしれないなー、と言うか、一旦それを考えた事があったんやけども、レイアウトの自由度が結構低い(みたいに思えた)のが、これはこれで気に入らなくて、残った選択肢としては、フレームを利用する、てのがある訳やけども、今更フレームに変更するのもちょっとめんどい上に、URLの表記が不便そうにも思えて、チマチマコピペ――とは言え、テンプレートを用意しての事なんで、むちゃくちゃ手間、てもんでもないねんけども、何しか同じ事を繰り返すのが、ひどく億劫と言うか、無駄ぽい気がして、嫌なんだわ――しては書き足してる。

月曜日, 9月 15, 2008

休みだった

で、一旦ひとつのエントリーを上げたんで、何だか仕事が終わったみたいな気になって、もう今日はいいやと思ってたけども、何かまだまだ夜が長くて、だけども、微妙にかったるくもあって、ゲームな気分にもなれなくて――これは、あまり正確ではない。ゲームな気分になれない、てのは、やりかけの大物ゲームに取り組むだけの気力がない事を指していて、そんな時には、大抵ウィン付属のミニゲームをだらだら遊んでたりするのだった――、かと言って、こないだちょっと書こうとしてて、めんどくさくなって止めてしまった反応型のエントリーの続きを書く気にもなれなくて、とはいえ、一昨日やってた、移転に伴うリンク先やメールアドレスの変更作業も、かなりおっくうで、一方で、うみねこの続きにも取り組めず、あー、時間があるのに~、と思ったら、そうそう、今日の出来事を書いておかなくちゃと思い出して、長い長い前振りは、ゆうたら助走でありまして、本日のお休みの日のビックイベントの記録に入ります(いや、何時でも長文やねんけども、これが又長くなりそうで)。

ダンナの今度の職場は、日祝隔週土曜が休みの上に、盆正月も結構な連休になって、これまでみたく、みんなが休みやのにから、オレは仕事や~、とゴネる事もなくなるだろうと思ってたら、長すぎるのも気に喰わんという事で、あらあらまぁまぁ。

ダンナてば、ゴネると言う形の不器用なコミュニケーションが無駄に多い、古いタイプだったんだ、てのは、ここんところやっと気がついた部分やったりするんやけども、ほれ、愚痴とかゴネてるのって、聞いてる方はあんまり気持ちのいいもんでもなかったりする訳やけども、こーゆーのは、要するに真面目に聞いちゃいけない類の、天気の話のようなもんなんだなー、と、結婚20数年を経てやっと分った今日この頃なのよ。

#日本人は褒めない、みたいな話を時々聞くけども、なんつーか、こういった高度な感情表現みたいのは、もしかすると、ある程度メディアが発達したした豊かな社会になったからこそ「やっと」問題化されるようになったものかもしれないよな、と思うときがあるんだわ
#知ってる範囲狭いけど、明治、大正あたりの生まれの人は、褒める褒めない以前に、めっぽう口数が少なくて、大声で笑うような事も、度々はなかったよなー、とか思ってね
#もっとも、最近の年寄りたら、うちの両親のような昭和一桁や戦後生まれの人もそろそろ年寄りの仲間入りで、ここらあたりになると、私が子供の頃の年配の人よりも、ずっと感情表現が豊かな人が増えてるように思えるのよ
#その一方で、怒りて感情は、他の感情よりも抑え難かったりするように思えるし、自慢話よりは(たぶん)共感得やすいじゃない
#後、なんとなく、だけどね、メディアからも「批判の方法」や「非難の方法」てのは学びやすいんじゃないかとも思うねん(たぶん、こっちの方が量も多いし)
#一方で、上手に褒めるとか(見当外れに褒められたらば、場合によっちゃ文句言われるよりも反感あったり、下手したら、バカにされるし)、反感を持たれずに楽しい話題を出したり、表現したりするてのは、愚痴や怒りの表現よりも、困難なのかもしれないなー、と

長々補足書いたけど、愚痴言ったりごねて見せるってのは、ある意味「無難」なコミュニケーションの一つだったりするんだよな、と、やっと分ったと言うお話。

と、長い長い前振りの後、長い長い愚痴の説明を書いてたら力尽きたんで、とりあえずここまで。

よつばと!8巻買った

近所のコンビニに、「よつばと!8巻」が置いてあって、えっ?もうそんなに進んでたっけ?とか思いながらとりあえず買って、うちにもどったら、ダンナが読んでないとか言い出すんで、そうだったかなー?とか思いつつ、うちんちにもあるといいなと思ったんで、その足でもう一回コンビニに戻って改めて1巻買った。

子供が読んでたのを借りて読んだんで、うちにはなかったのよ。

一時期あずまきよひこ.comにあった、ダンボーの写真を待ち受けにしてたりもしたけども、やっぱうちのねこのがより可愛いんで、結局ねこに戻した。

あーそうそう、待ち受けと言えば、うちんちにみやが来るまでは、ダンナの待ち受けは私やったんやけど(えっへん)、みやが来たら直ぐにみやに変更になったけども、私もすぐにみやにしたから(それまでは、うちのクルマだった)、まぁしょうがない。

てかさ、あの時は、うちに遊びに来てた子供のツレがみんな、みやの写真撮って、帰りにはみやの待ち受けにしてたんだよな。

おっと、よつばちゃんの8巻は秋のお話。

実はさ、最初によつぼと!読んだ時には、これって、夏休みだよなー、お話の中で夏が終わったら、連載も終わるんじゃないの?とか、心配してたけども、一年中元気なよつばちゃんのお話になって、とても嬉しい。

日曜日, 9月 14, 2008

田舎の学校は山の中

ケータイが古くなって、ちょっと写真撮ったら、すぐに電池がなくなるんで、ここんところは、前ほど写真撮らなくなってたけども、そろそろ買い換えようか、てな話になってから改めて、とりあえず、今ケータイに入ってる(残ってる?)写真は転送しておこうかと思って、こないだ送った。

SDメモリーカードを買おうかと一旦は思ってたけども、機種を変えると使えなくなると聞いて、安いわけでもないのに勿体無さ過ぎるよ、と、一気に買う気がなくなっていたけども、メールに写真を添付すると、私の機種だと画像のサイズの関係で、圧縮されて画質もむちゃくちゃ落ちるんだわ。

折角のカメラケータイのつもりで買ったにも関わらず、カメラの機能だけを問題にするんじゃダメな事っていっぱいあるんだなー、と、分った訳やけども、添付する際の機能の一つに、画像を4分割したら、もうちょい画質がマシになる、みたいな機能があるねんけども、それをPCで受け取ると、勝手にくっつけてくれたりはしなくて、なんなんだよめんど過ぎるじゃんか、これもうやらない、と、思ってたのね。

が、今回転送してたら、どうしても、画質を維持したいと思った写真があって、PCに向けて4分割で送って、それを手作業でくっつけた。

それが、父が通ってた小学校の、この写真。

この小学校は、父の実家の近くにあって、まぁ、つまりばあちゃんちの近所やねんけども、とても可愛らしい小学校で、父の頃から複式学級。

私が子供の頃には、まだ学校やってて、休みの時にばあちゃんちに遊びに行った時には、近所の、この学校に通ってる子といっしょに遊んだりもしたし、こじんまりした校舎は、昔だった事もあって、この学校の子じゃないうちら兄弟も、よく遊びに入ったりしてたのよ。

が、その後、過疎化で、学校は一旦閉鎖になったんやけども、その後、地域振興の一環と、ちょっとした(1)世間の流行なんかから、山村留学を近くにある(と言っても歩いてそこって距離じゃないけども)中学が始めて、この学校が、留学生の寮として現場復帰したんだわ。

その後、結構続いてたみたいな山村留学も、父の退職後に、何時の間にかなくなってしまって、再び学校は放置状態になったんだわ。

がが、今回こっちに帰ろうかって話になってから、今学校の校庭までクルマで入れる道がついて、駐車場になって、学校も集会所にして、また修理したんやでー、と、聞いてびっくり、行ってみたらまたびっくりで、記念撮影となったのでした。

ばあちゃんちから近い事もあって、度々遊んだ学校やったけども、学校が閉鎖になって校庭がコスモスで一杯になったり、あの一緒に遊んだみよちゃんちが、越してしまってなくなってしまったり、色々あったけども、学校はそのまま残ってて、私が登った校庭のイチョウの木も、今回も無事に残って、とっくに閉校になったにも関わらず、今でもあるのがなんかすごく嬉しかったのよ。

(1)世間の流行
登校拒否と言う言葉が世間で流通し始めた頃の事になるのかな?

土曜日, 9月 13, 2008

ゲームってなんだろ?

大富豪について書いていて、その後、ドライブシミュレータに流れて、一方はカードゲームで、一方は、ビデオゲームで、同じゲームであるにも関わらず、随分とニュアンス違うよなーと思いつつ、個人と集団とか、対戦と自己完結とか、目的が何になるか、とか色々考えてたらら、ゲームって何なのかなぁ?みたいな疑問にぶつかったりして、一旦は「プレイヤが楽しめる」てな目的を思いついたりしたんやけども、ここで又「楽しめる」てのが、そもそも曲者だよなぁ、とか思って、やれやれ(勝手に)難しい。

つーか、一旦考えようかと思ってから、そんなの考えるのに時間を費やすぐらいなら、プレイに時間を費やした方が私は幸せになれるよなー、とか思ったら、急激にどうでもよくなってしまった。

製作者の人って、(たぶん)「面白い」とか「楽しい」みたいな、そりゃもう抽象的なテーマに向けて、ある時は自分の「こだわり」を賭けーの、ある時は、最大公約数を想定しーの、一方で、(快楽の)コストパフォーマンスを考えーの、てな具合に、葛藤を抱えながら、「面白い」を追求してたりするんだろうな、と、ゲームするようになって、かれこれ20年以上を経て、やっと(ほんとにやっと)思い至ったのだった。

が、一方で、プレイヤが「面白さ」を創り出す、みたいな部分ってのもあるよな~、とか思って、まさ、正直言ってしまうと、そんな風な事を考えるのは、もっと適した人が沢山居るんだろうな、てな気持ちもあれば、私には時間がないのよっ!と開き直りたいような気持ちもあって、イマイチそっちの考察はあんまりやってないような私ではありますが、ゲームに出会ってなかったら、私はもっともっと「嫌なヤツ」になっていた自信はとても(無駄に)あったりして、そりゃもう失ったものを数えたならば、キリがなかったりするけども、今の私がある為には、ゲームは不可欠だった、とは言えると思ってる。

うーん。これは、ちょっと違う。なんなんだろうな?

ま、いいか。

金曜日, 9月 12, 2008

ドライブシミュレータpart2

で、そうだそうだ、随分昔の話になるけど、R360ってあったよな、あれって一回だけしか乗った事ない上に、お値段も高かった上に、ゲームとしてはイマイチ、と言うか、私がやったやつがまずかったと言うか、初めて乗れたのが、発売(て、言うのかな?)されてから随分後になってしまってからやった上に、乗れた時には既に旬も過ぎてて、結果から先に言うなら、筐体を見たこと自体が最初で最後やった訳やけども、あれやったら、視界の問題もクリア出来るし、Gも何らかの形で再現出来るかもしれないよなーと思って、ちょっと調べたんだわ。

以下、色々。

で、ほうほう、事故が多発した上に、インカムは少なく、筐体そのもののお値段がむっちゃ高くて、しかも大き過ぎて設置できる所が限られてて、と、今更ながら色々大変だったのねーと思いつつ、そうそう、大きなアミューズメントみたいのも、何時の頃からか見かけなくなったもんなぁ、と言うか、そういや、あのR360が出たの頃てのが、バブルの最後の方の時期だったんだ、と、思い出した。

バブルの真っ最中てのが、うちらが埼玉に居た頃で、まだむ下は「赤ちゃん」と言ってもいいぐらいだったんだ。

その頃、ファミ通で、R360を見て、どうも池袋のゲーセンまで行ったらプレイできるらしいと知って、是非とも乗ってみたいと思っていた私は、ダンナを誘ったら、わざわざゲームだけやりに出かけるのは気が進まないみたいやったけども、まだ若かったうちらではあったんで、タマには子供抜きのおでかけしたいじゃないのさ、てのには乗ってくれて、休みをあわせて保育園の先生にゴメンねーとお願いして――公立じゃ不可能なんだけども、個人でやってるとても家庭的な園だったのよ。私はそこら辺がすごく恵まれてた。――、開通したばかりの埼京線に乗って、池袋へ行ったのよ。

最初に映画を見て――ビバリーヒルズコップ2を見た――、それから近くのゲーセンに入った訳やけども、うちらは二人とも池袋は(ほぼ)初めてで、行き当たりばったりで入ったゲーセンにはR360はなかったんだわ。で、しょうがないから、とりあえずそこにあったテーブル筐体のゲームで、ドラゴンスピリッツ(だったと思う)をやったんやけども、ダンナが瞬殺されて、次に私がやったら、ダンナよかもうちょっと粘れたんやけども、元々アーケードゲームの経験が殆ど無いダンナはゲーセンの音が嫌いで、頭が痛いとか言い出して――この頃はもうちょっと理解が出て来たように思えるけども、当時のダンナはあんまりゲーセンが好きじゃなくて、あの頃は、ゲーセンには、子供と行くか、一人で行くか、のどっちかだけだった――、どこ探したらいいのかも分らないし、お迎えの時間もある事だし、と、しょうがないからR360は諦めて帰ってきたんだわ。

その、一旦は諦めてたR360に再会したのは、神戸に戻ってからの事で、それでもPS以前じゃなかったかと思う。

記憶が定かじゃないけども、その頃時々借りに行ってたレンタルビデオ屋さん――ビデオだけじゃなしに、レンタルCDもあったし、ゲームなんかも売ってるところ――の同じフロアにゲーセンと言うよりは、もうちょっと広い目のアミューズメントスポットがあって、そこにR360があったんやけども、このビデオ屋さんはその後なくなって、その後、その裏手に広い駐車場を備えたTSUTAYAが出来て、そのTSUTAYAにPSのコントローラーとメモリーカードをを買いに行った覚えがあるんで――これは、PSについてたコントローラーがダメになった際に、子供がアクションゲームをすると(つか、ほれ、お友達もやって来るじゃないのさ)、コントローラーの消耗が激しい事もあって、メモリーカードとコントローラーは各自自分のものを使ってプレイする事にしよう、みたいな話になったからだったような気がする――、そのぐらいの時期だったんじゃないかとおもう。

で、調べてみると、R360が出たのが1990年で、PSが出たのが1994年らしいから、逆算したらば、丁度その間にも当るんで、それなりに記憶の方も、妥当みたい。

まさ、折角やっとこさ体験出来たR360だったけども、なんだかなー、感の方が大きかったんだわ。あれって、ゲームってよりは遊具て感じだった。

が、このR360を調べる流れから、本日やっとこさGを体感出来るドライブシミュレーターと呼んでも差し支えないと思える筐体が、実は既にあった事を、知ったもんで、おお、あったんだー、と感動したのよ。

F1をモチーフにしてるのかぁ。てか発売が1992年たら、R360の2年後ね。もしかしたら、4個ぐらい座席が並んでたあれがそうだったのかな?

で、その流れから行ったのが、ここ。

だよなぁ。あるよなぁ。だって可能だと思ったもん。そうかそうか、やっぱ無茶苦茶高価なんだ。だけども、自動車博物館みたいなとこに設置されてるんじゃ、遊ぶ為には使えないよなぁ。てか、あんまり想定してなかったけども、とてもリアルだったりすると、今度は逆に教育的に問題あり、て事にもなりかねないなぁ。

と言うか、公道を実在のクルマで走るって形のシミュレーターがあったとしてよ、ゲームなんだから、道交法関係ないんじゃないかとは思うけども、とことんリアルになったらば、逆に、必ずや実車でやってみたい気になるかもしれないよなぁ。でもないかなぁ。

あー、でも考えてみると、クルマの方には規制みたいのはかからないかもしれない。とてもリアルなロリ画像と、とてもリアルなドライブシミュレータがあったとしてさ、とてもリアルなロリ画像だけじゃ物足りなくなって、本物を求められちゃかなわんけども、とれもリアルなドライブシミュレータは、実車の売り上げには貢献するかもしれないもんね。

ドライブシミュレータ

Gを体感出来る筐体があったら楽しいな、と思っていた。

3DCGと物理演算で、ある程度可能になったんじゃないか、と言うか、米軍では演習用のシミュレーターが既に実用化されてるらしいと、結構昔の記事で読んだ事があるんで、技術的には既に可能になっているんじゃないかと思う。

レースゲームは得意じゃないけどそこそこやってて、ああ、レースゲームと言うよりは、ドライブシミュレーターと言った方がいいな。私が考えてたのはGT系で、マリオカートとかリッジレーサーみたいのをレースゲームと呼んだ方がいいんじゃないかと思ってる。

で、ドライブシミュレーターをコンシューマゲーム機で遊ぶ際に一番つまんないと思えるのが、コントローラで操作するって部分で、専用コントローラも、うちんちには幾つかあったりするねんけども、あれって、全然ダメダメやねん。

#ああ、話が切れ切れだ。思いつくままにだらだら書いてしまうからやねんな。

いやね、ゲーセンは今でも私には敷居が高くて、金も暇も無い上に、既におばさんな上に、果たしてそんな筐体があったとしても、アーケードでアクセル開けたとたんに、コントロールを失って、あっちゅう間にお金を失ってしまって、しかもしかも、周りの好奇の目みたいのも微妙に気になるようにも思えて、あったらやります~と、言えるかどうかも正直微妙やなーとも思うねんけども、だけども、あったらプレイしてみたいよな、ともすごく思うねんな。

コンシューマゲーム機でドライブシュミレータを遊んでて、嬉しいのは、クルマが簡単に壊れない事と、ぶつけてもお金がかからないとこと、道ががら空きで、対向車や一般車両――て言い方変だけども、うちらの意図とはまるで無関係なクルマの事、のつもり――が走ってない事。

で、不満と言えるのが、実車にある「体感」が、(入力も、出力も)得られない事と、視界が限られてるって部分やねんな。

が、視界の方はまぁ、妥協できるねん。てか、スピードが上がると、自ずと視界は限られてきてしまうんで、実車じゃ易々体験できない200km/時オーバーが、簡単に出てしまうドライブシュミレーターだと考えると、狭いと感じていた視界も、もしかしたら逆にリアルなのかもしれないよな、とも思えるねん。もしかしたら、目の前の視界よりも、むしろ「横の窓」を見る事が出来ないって事の方が、より不自由なのかもしれないな、とか。

入力の方を考えてみると、コントローラだと、シフトを動かすってアクションがなくて、どうもね、ここが嫌いやねん。エンジンブレーキを利用したいとか、私は出来ないけども、ヒール&トゥって「足技」が使えない、てんじゃ、ドライブが持つ楽しみをとてもとても阻害してしまうと思うのよ。

で、(1)出力の方が、最初に書いたGを体感出来ない、てのが一番大きい訳やけども、コーナリング時のGだけじゃなしに、ターボがかかった時に背中を押されるみたいな加速の感じとか、高速で坂を上った時の、体がシートから浮き上がるあれとか、エンジンの位置の違いによるGの移動とか、ショックの硬さによる、揺れの違いとか、まぁ、そんな風なのを「体感」出来たらさぞ素敵だろうな、と、思うわけなんですわ。

ポルシェの曲がり難さとか、ジャガーの加速とか、パーツを弄った変化とか、体感してみたいじゃないの。あー、後、F1の世界みたいのも体感してみたいよね。よね!

世界の道をあのクルマで走ってみる、みたいのもいいな。

いやさ、実車買うよりは、ずっとずっとお安い訳で、あればいいな、とか思う。

ああ、そうそう、後、自分のクルマのスペックを入力して、限界を試せる、みたいのもいいよな。

修理費が不要としても、ここまでやったら、スピンするよ、と言うか、むしろスピンを体験出来る方がよりいいな。後、ぶつけたら、エアバックが出てきたりしたら、楽しいよなぁ。

ああ、これは、予算的にシビアになるというか、エアバック出しちゃうと、別料金にするか、警告ランプが点滅して、そこで何らかの有効な回避策が取れなかったら、強制終了、みたいな形にした方がいいのかな。

ああ、そうそう、後、車幅感覚みたいのを体感するてのは、レースゲーム的じゃないけども、クルマを動かすのもう一つの魅力じゃないかとも思ってるんで、「車庫入れ」や「縦列駐車」をテーマにしたミニゲームみたいのも、あったら楽しそう――これがメインになると、ストレス貯まりそうなんで、「車庫入れゲーム」みたいのは、あんまり人気が出ない気がする――。

ものごっつい、妄想全開で書いてしまったけども、これって、アーケードゲームとして実用化するのは、結構ムズいんじゃないかと思ってる(かかるコストに比べて儲かり難そう)。かと言って、普通のご家庭で、そんな筐体を購入するとはあんまり思えない。

こーゆーのは、クルマ屋さんとか、モーターショウで導入、て方がむしろ可能性が高いかもしれないよな、とも思ったけども、道具としてクルマを使ってる人の方が圧倒的に多いんだよな、とか考えたら、むーん。かなり無理ぽい。

馬鹿なメーカーがやってくれたらいいのにな。どのぐらいつぎ込むかは約束できないけども、必ずプレイしますよ。

#このエントリーは、ゲーモクさんの訃報に触れて書きました
#ネット上の、しかも、まるで接触がなかった人の訃報に触れて泣いてしまうのは、自分でもちょっとした驚きでした
#もっとも、ギャルゲでもお涙頂戴のあざといドラマでもすぐに泣いちゃうようなお安い涙である事を書いておかないとフェアじゃないですねw
言葉が足りていないように思えるんで、追記します。
(1)出力
出力に伴うはずのリアクションを想定していました。目で確認出来る各種メーターや、目の前の景色以外の部分が、既存のビデオゲームには殆どないと感じていたのです
もしかして、あるのかな?

シミュレータとシュミレータが混在してたんで、適当に訂正した。タイトル部分に<:del>て入れると文字化けしてたんで、消して書き直した。

あー、そう言えば、必ずしもマメにそうやってる訳じゃない。プレコックス感は、「コプレックス感」と「プレコップス感」と「プレコックス感」が混在してて、もうめっちゃめんどくさくなった。訂正印つけようって気にもなれなかった。

ローカルのエディタだったらば、置換イッパツなのになーと思ったんやけども、ここのダッシュボードのエディタには、そんな機能はないんかな?

水曜日, 9月 10, 2008

大富豪について

うーん。色々違ってるように思えて、ただ、このエントリーのテーマとは直接関係ない事なんで、どうかなーと思いながら、とりあえずだらだら書く。

たぶん、このエントリーの元になってるのは、「人生のつまらなさ」と言う価値判断への違和感が始まりなんじゃないかと思うけども、その後で書かれている「大富豪」ってゲームの考察の部分が、ちょっと違うんじゃないかな、と思えて、何だか気になってしまった。

なんか、ドキドキして、しんどくなるのだ。もう、自分が勝つか負けるかで、神経をすり減らすのが、想像しただけでしんどい。このゲームは、勝つとより有利な条件に置かれ、負けるとより不利な条件に置かれる。そして、いつ終るかもわからず、延々と夜が更けるまで、ゲームは続くのだ。

このゲームが好き――と言うかゲーム的な要素のあるものは大抵好き――な私は、勝つか負けるかドキドキ(わくわく、かも)するのが面白い訳やけども、勝つか負けるかで神経すり減らすのが「しんどい」と言うのは、とても新しかった。私が「面白い」と思う部分こそが、「しんどい」場合もあるんだなー、と。

まぁ、これは、好き嫌いのお話。

気になったのは、後の部分。

 でも、ここでポイントなのは、私と友人は、「イヤだから、抜ける」という行動をとったということだ。あとで、旅行の参加者の一人が「自由気ままなヤツらだ」とあまりポジティブでない言い方で、私と友人のことを言っていたと聞いた。それくらいの、自由くらいは気軽に行使してもいいように思うが、カードゲームは集団で盛り上がることを前提にしているので、「抜ける」というのは「集団の秩序を乱す」ことなのかもしれない。もしかすると、カードゲームとは、相手の持っているカードを読み、集団の中で点数を競うという、コミュニケーションを求められる、社会的なゲームなのかもしれない。

これ、後で「自由気ままなヤツらだ」とポジティブじゃない評価をしたらしい参加者の一人の方に疑問を感じました。まぁ、全員一致の方がより異常な訳ですが、遊びの部分なのだから、参加も不参加もキホン自由でしょうよ、と。

大富豪は参加人数が決まっていて、誰かが抜けたら成立しなくなるゲームじゃないですよね。もしこれが、麻雀や、ツーテンジャックのように、決まった人数が居ないとプレイ出来ないゲームだったり、チーム対戦って形でゲームが進められていたり、あるいはスコアをつけて最後(と言うか回数を決めてその回の最後)にバツゲームがあったりするような形でのプレイだったとしたら、批判も多少はしょうがない部分があるんじゃないかと思うけども、単にそこに居る人たちでだらだら大富豪を続けるだけなのならば、抜けようが入ろうが特に問題ないように思える。

カードゲームは、元々「集団で盛り上がる」事は前提にしていないし、そもそも、カードの枚数には限りがあるのだから、参加人数は限られています(二人じゃ大富豪やババ抜きや7並べは出来ないけども、集団と言うからには、3人じゃないだろうと言うか、3人なら、2人抜けた時点で対人カードゲームは続行不可能)。

もちろん、点数を競うカードゲーム「も」あります。が、大富豪にはキホンそんなのはないです――ローカルルールが多いので、もしかしたら、そんな前提でプレイしていたのでしょうか?――。又、相手の持っているカードを読み、集団の中で点数を競うのに必要なのは「戦略」であって、「コミュニケーション」とはちょっと違うと思う。戦略的な駆け引きはあっても、政治的な駆け引きは殆どのゲームにはありません。

もちろん、集団で盛り上がる「手段」としてカードゲームを選ぶ場合はあるかもしれないけれど、それは手段の一つでしかない訳で、単純に好きじゃないゲームだからしなかっただけで、集団の秩序みたいな事を言い出す方がおかしいように思えました(あ、言ってはいないのか)。

対人ゲームで秩序を乱すと言えるのは、ゲームのルール(枠組み)を守らない事じゃないのかなぁ。参加するしないよりも、ここの部分を外した場合の方が、ゲーム上のコミュニケーションとしては問題アリじゃないかと思います。もちろん参加者全員が「何でもアリ」と言う「ルール」を共有していたらOKですが。

少なくとも、大富豪と言うカードゲームのあり方を考えると、大富豪に参加しなかったり、盛り上がれなかったりする事と、社会的なコミュニケーション能力とはあまり関係ないように思えます。

むしろ、この件が、コミュニケーション上の問題になる場合があるのならば、それは、大富豪で盛り上がれなかった事よりも、「みんなでいっしょに同じゲームを楽しむべき」と言う「空気」があったにも関わらず、それを読めなかった事になるんじゃないかと思います。

後、大富豪のルールが、資本主義的というお話ですが、「革命」と言うルールをご存知ですか?――私達がそれを知った時には、「高槻ルール」と言うローカルルール名でしたが、何時の頃からか、「革命」と言う名ので全国区になっていました――。フォーカードで、カードの順位が逆転すると言うやつです。ワンサイドから一気に転落したり、その逆も可能にする、面白いルールです。リアルじゃ易々革命は起こせませんが、大富豪だと結構あるんですよ。

最後に、私個人は、ゲームでは大抵盛り上がれますが、大人数でのおしゃべりがとても苦手で、「しんどい」と感じています。明らかにこっちの方がコミュニケーション能力的にはまずいんじゃないかとも思えます。又、そんな訳で(好きだというのが一番ですが)勝ち負け「だけ」を話題にしていられるゲームの方が、色んな人の色んなおしゃべりの話題についていくよりは、どちらかと言うと楽だと感じています。

#てか、トラックバックを送ろうと思ったけどもやり方が分からない。
#と言うか、そんな機能はついてるのだろうか?

うみねこep1真里亞を追えやってた

うみねこep1真里亞を追えの続きをやってた。

公開してる部分が、(2)までやったけども、ローカルでは(6)までやってるんで、結構一挙公開ぽくもあるけども、魔理亞の台詞を全て書き出してるんで、無駄に長いばっかりで、まだ初日午後に至ったばかり。

改めて見てみると、ep1てば、右代宮家や六軒島の背景や登場人物紹介みたいな部分が多くて、おさらいになるかもしれないなーと思いつつ、ep3が面白かったんで、早く進みたい気分も結構あるな。

が、そこら辺の思った事は、うみねこメモの方に書こうと思ってるんで、こっちでは、やった事だけをさしあたって書いておく。

ずっと画像がなくて(勝手に)寂しかったんで、今やってる場所のスナップショット少々。

子供達が浜辺に行っている間の、客までの親達の会話に戻ったところ。人物が居ないので、これだけだとかなり意味不明w

日曜日, 9月 07, 2008

無題

書くほどの事も無い、と言うか、微妙にくたびれてて、気がついたら、更新してなかった。

blogって形になると、構えすぎるなぁ、と、ちょっと思った。

タイトルがないと、見にくいので、後付タイトルは無題。今後は、こんなやつのタイトルは「無題」としておこうかと思う。

火曜日, 9月 02, 2008

にほんブログ村

田舎に越して来て、とは言え、私にとっては地元なんで、友人も知人も沢山居るし、気になってた親も近くに居るし、元々そんなにも生活に不便のある場所でもないし、と、特に不満もないねんけども、思った以上にネットしてる人が居ないんで、ご近所さんのブログとかないかな~、とか思って、今日は、地名入れたりして何気に検索してたんだわ。

したら行き当たったのが、ブログ村

あらここ知ってる。

てのは、コッチ来てあんまり間がない頃に、父が、なんかに当選したんで「お礼が言いたい」んやけども、お礼のしかたが分らん?とか聞いてきて、行って話を聞きつつ、実家のPCから辿りついたのがここだったんだわ。

結構ローカル情報に力を入れていると言うか、あ~んなど田舎(と、私は思っていた)から地産商品情報を発信してるんだ~、と驚きつつ、懸賞(みたいの)に当選したらしい事を発表してるとこから、いろいろ探して、とりあえず、アドレスあるから、ここにお礼出してみる?とか言ったら、何だかメールの使い方もよく分らない、と言う事で、父の言う事聞きながら、ネット懸賞(みたいの)に当選した事に向けて、お礼状メールを打ったりしつつ、その発想はなかったなぁ、と、しみじみ感心したりしたのが、去年の夏の事。

#結構笑えたのが、父が、自分のハンドルネームを、「ふくちゃん」にしてた事で――だって、80前のじいさんが「ふくちゃん」て可愛すぎね?――、いやさ、そんなもんなのかもしれんけども、当選者のとこに「ふくちゃん」で出てるのが、確かに父の事で――ウェブの発表に先駆けて、郵便で当選が知らされて、そこにあったアドレスからサイトを当った――、どうもニックネームの入力を求められた時に、とっさに思いついたのがそれだったみたいなのよ
#「ふくちゃん」そのものも可笑しかったけども、うちんちじゃフクスケを「ふくちゃん」とも呼んでて、どっちの「ふくちゃん」も、ぼ~っとしたとこあるよなぁ、とか思うと、一層「ふくちゃん」が楽しかったんだわ

まさ、そんな事を思い出しつつ、地元の人が発信してるらしいブログアレコレ見てたら、へぇ、意外。高齢者(の区分の正確なとこってあんまり知らんけども、なんとなく、60代以上なのかなと思ってる)の人のが結構ある。

#まんま地名を入れたら、数件が当って、その大部分が50歳以上
#しかも、たったひとつあった、10代のブログの方は、404not foundになってた

おお、まだまだ私の知らない世界って沢山あるんだなぁ、と、感心しつつ、そのまま今度はブログ村のランキングに。

たら、すごいものを発見した。てか、これをすごいと思うのが、もしかしたら既に私が「ズレ」ていたって事なのかもしれないけども、思わず読み耽ってしまった。

のが、舅・姑・小姑 人気ランキングに入ってる、あれとかこれとか。

嫁、がんばれー!

月曜日, 9月 01, 2008

移転に伴う諸手続き

んで、月も変わってしまうんで、今日はらんどの方のリンク先とかメールアドレスの方の変更をやってた。

さっき気がついたけども、エディタで書いたものをコピペ、て形でこのblogに投稿してる訳やけども――画像の貼り付けは、ついてるエディタの機能を利用してるけども、リンクを貼るときは、ローカルのエディタの方がより使いやすいので、こっちで、書いてる――、投稿ボタン押したら、エラーが出て、したら、閉じタグが抜けてて、こりゃ親切設計だー、と、感動した。

ネットみのもんた

ネットみのもんたねぇ。

アドバイスと説教の違い、てのがもひとつよく分らなくて、まぁ、聞きたくない事を言われたら「説教」と受け止められて、役に立ったり嬉しかったりしたら「アドバイス」と言う風に、「受け手」が決めるもんなのかもしれないな、とか思う。

はてブにネットみのもんたが沢山居るように見えるのは、あれがずらっと並んでいるから、て部分もあるけども、「教えてgoo」や「人力検索はてな」や「Yahoo!知恵袋」みたいに、はっきり質問者(や、書き手)が回答を求めて居ないにも関わらず、意見しちゃってるから、余計に大きなお世話ぽく見えるて部分はあると思う。

もっとも、ああ、みのもんだだー、と思う回答って、発言小町とか、他の質問系のサービスだと、もっともっと多くて、質問者が具体的な回答を求めているにも関わらず、倫理的だったり、気持ちの問題での返信がついたりして、いやそれ、質問の答えじゃないじゃん、と、(読んでる私が勝手に)思ったりもしてるねんけども、意外にも、質問者が素直な人だったりすると、それだって充分に有益なアドバイスになってる(ように見える)事もあって――これは質問のタイプもかなり影響する。とても技術的な質問をしているのに(how toを求めている)、努力が足りない、みたいな事を返したら明らかにズレてるけども、逆に質問者が、余りに手前勝手な問題を投げかけたならば、厳しい言葉も必要なんじゃないかと思う。――、面白いなと思う。

でもさ、そんな場面でもって、質問者が反発すると、これはもう、むっちゃ荒れる。発言小町とかそれが顕著やけども、そうなると、質問者の返事(の「内容」じゃなしに「ありよう」)に対して批判が来て、それに同調する人やら、それを諌める人やらで、バトルロワイヤル状態になって、当初の質問は遥か彼方。

んなの見てると、掲示板にも「司会進行」するような人が居る方がいいのかもしれないなー、とか、思う時もあるけども、元々が管理人の居ない掲示板でもって、主催者みたいな所がそれをやったら、今度は参加者全員を敵に回しそうだし、誰かが手を挙げたら、何で「アンタ」なの?みたいな事にも発展しそうで、事態の収束はもっともっと遅くなるだけだろうなー、とも思えるんで、結局は、なるようにならせておくしかないんだろうな、とも思う。

ほれ、はてブのコメントやったら、んなこたー聞いてねーよ、で終わりにも出来るけども、最初に教えて、と言っといてそれじゃ叩かれてもしょうがないんじゃないかと、まぁ、私は思う(これはイラッと来るだろうなーと思える回答は確かにあるけども、多くの意見を知りたいからこそウェブを利用したんじゃないかと思うから)。

#だけども、私なら、この手の相談は、身内なり友人なりにするけどなー、と思うような質問見てると、相談できる相手が近くに居ないのかなぁ、とかひょっこり思う
#まさか、只今質問してる人に向けて、何でこんなとこで、こんな質問してるの?とは聞けないから、そのままだけど、ネタとか釣りとも思えないけども、何でここでそれを?みたいな疑問を持つ事は結構ある
#近所付き合いみたいのは、どこから漏れるか分らない上に、「相場」みたいのを知る上でも、ウェブを利用する値打ちはあるんじゃないかと思うけど、ダンナの愚痴みたいのは、友人だよなー、みたいな

さて、だけども、説教もアドバイスも時には必要なんじゃないかと思うし、言ってもらえて良かったと思える言葉って、私には結構沢山ある。後、その時は説教うぜー、と思ってたのが、後になって、あーそうだったのかーと分る時もあれば、逆に、ごもっとも、と、思っていたのが、後に、違っていたのかもしれない、と思う時もある。

だけども、一番むずいと私が思っていたのが、子供に説教したりアドバイスしたりする時やねんな。

なんつーか、出来るだけ失敗を経験する機会は奪いたくない訳よ。トライ&エラーてのが、平凡な人間にとっちゃ(たぶん)一番使えて効率的でもある学習法――その事を学ぶだけじゃなしに、応用も利きやすいんじゃないかと思うし、何より、トライ&エラーと言う形の学習の方法を身につけられるの方が、生き易くなるんじゃないかと感じていた――じゃないかと思ってて、だけども一方で、こっちから見たらほぼ自明の事ってのが、なんしか相手が経験の絶対値が足りてない子供なもんだから、当然沢山あるんだわ。

そんな時、「ただ黙って見ている」って行為ってのは、好ましいのか?好ましくないのか?

いやもう、ここら辺がほんとにむずい。ネットみのもんたと言ってしまっていいのかしら?みたいな気分が拭えないのは、そこら辺やな。

後ね、そのアドバイスなり説教なりは「誰」に向けてのものなのか?てのは、かなり重要。

私はさ、アドバイスも説教も、基本的には個別具体的じゃないと有効とは考えてないんで、具体的な対象に向けていないものは、アドバイスだとも、説教だとも思ってないけど――みんな、とか、社会に向けて影響力を行使する態度だとは思っている――、アドバイス(又は説教)の形を取って、みんなや社会に向けて語る、てのには、警戒しちゃうな。