水曜日, 9月 17, 2008

草刈りへのプロローグ

で、改めて、昨日の事を書き始める。

昨日てのは、ダンナにとっては連休三日目で、私にとっては五勤明けの休みやったんやけども、ちょっと前から父から草刈りを頼まれてて、前の休みの時には、行ったはいいけど、着いたとたんに雨が降り始めて、延期。その後、ダンナが休みの時に一回単独で行ってて、昨日が二人で出かける二回目にあたったのね。

場所は、うちらが子供の頃からあった、うちの実家の土地で、田舎の事なんで、住んでた人が越す際だかなんだかに、買手を求めて知人に当った際に、不動産に弱い父が買ったのかもしれないなー、とか、私は勝手に予想してるけども、他の山とかに比べると、道の側にあって、だけども、真っ直ぐにクルマで入ったりはできないような所やねんけども、川辺で、子供の頃には、夏休みの夜とかに米屋で安く買った糠とか持って、海老掻き行った場所。

ここは、交通の便も他よりはずっといいんで、退職後には両親(と、伯母も一緒になって)が畑を作ったりもしてたんやけども、歳と共にだんだんしんどくなって来たみたいなのと、過疎化で野生動物の被害が結構拡大したのもあって、ここんところは、あんまり手も入れてなかったみたいなんだわ。

が、うちらも戻ったし、それなら、て感じで父が意欲を持ち直して(笑)、しかも、そのお隣の地所の持ち主さんが、只今大阪で暮らしていて、あっても何も出来ないのだから、と、手放す事を決めたらしく、隣の土地の持ち主であるところの父に買わないかと持ちかけて、父が言うにはとても「お買い得価格」だったので、買ったんだと。

広さにすると何坪ぐらいなのか、ぱっと見じゃ私にはよーわからんけども、持ち主の方てのは、元々そこに住んでた人で、かつては「家」もあったらしいし、家の周辺には、畑なり田んぼなりもあったんじゃないかと思う。

うちらが子供の頃は、川辺に下りるまでの狭い道の両脇には、田んぼや畑があって、春には畦に沢山筑紫が生えてたのを覚えてる。あの頃は、そのあぜ道に下りるまでの道、てのが、とても道と呼べないような急な斜面で、ゴム草履で、そこを下りるのは、ちょいと危険で、左右に生えてる木に捕まりながら、道と思えるような足場を探して降りてたんやけども、何時の間にか、道から降りる立派なコンクリの階段が出来てて、これは、個人で作ったのか、村なり市なりが作ったのかは私には分らんけども、降りるのは随分楽になってた。

が、降りた先は、昔の手入れされた畦道とは似ても似つかないような荒地になってて、両親があまり手を入れなくなったうちの地所と、とっくの昔に越してしまって放置状態になってたお隣の地所のどちらも、草ボウボウで、道らしいものも見当たらないような状態。

ここを、この春にみんなで出かけて、草刈りやったり、畑を畑らしく回復したり、勝手に飛んできて何時の間にやら育ってしまった雑木を切ったりしたんだわ。

ほんまはね、梅雨前と盆前ぐらいにももうちょい手を入れたいとは思ってたのよ。

だけども、ほれ、ダンナがようやっと一応の就職を果たしたじゃない。で、そっちへの対処で、けっこうイッパイで、後、今年は雨が多くてさ――と言うか、当地は雨が多い場所だったんだ、と、改めて実感したわよ――、冬に、山の方見て、春の気候のいい間に、ここと、ばあちゃんちの周辺にざっくり手を入れて、梅雨時には梅も採ったし、初夏には元気に夏野菜の方も採れた訳やけども、その後がいけなかった。

採るもんもなくなったし、夏は暑いし、おとーさんは只今大変な時だし、とかとかやってるうちに盆が過ぎて、いかんいかんと墓参りに行ったついでに、やっとこさ、この「東の屋敷」とうちらが呼んでる地所を見に行ったらば…。

そこはジャングルと化していた。

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