月曜日, 9月 15, 2008

休みだった

で、一旦ひとつのエントリーを上げたんで、何だか仕事が終わったみたいな気になって、もう今日はいいやと思ってたけども、何かまだまだ夜が長くて、だけども、微妙にかったるくもあって、ゲームな気分にもなれなくて――これは、あまり正確ではない。ゲームな気分になれない、てのは、やりかけの大物ゲームに取り組むだけの気力がない事を指していて、そんな時には、大抵ウィン付属のミニゲームをだらだら遊んでたりするのだった――、かと言って、こないだちょっと書こうとしてて、めんどくさくなって止めてしまった反応型のエントリーの続きを書く気にもなれなくて、とはいえ、一昨日やってた、移転に伴うリンク先やメールアドレスの変更作業も、かなりおっくうで、一方で、うみねこの続きにも取り組めず、あー、時間があるのに~、と思ったら、そうそう、今日の出来事を書いておかなくちゃと思い出して、長い長い前振りは、ゆうたら助走でありまして、本日のお休みの日のビックイベントの記録に入ります(いや、何時でも長文やねんけども、これが又長くなりそうで)。

ダンナの今度の職場は、日祝隔週土曜が休みの上に、盆正月も結構な連休になって、これまでみたく、みんなが休みやのにから、オレは仕事や~、とゴネる事もなくなるだろうと思ってたら、長すぎるのも気に喰わんという事で、あらあらまぁまぁ。

ダンナてば、ゴネると言う形の不器用なコミュニケーションが無駄に多い、古いタイプだったんだ、てのは、ここんところやっと気がついた部分やったりするんやけども、ほれ、愚痴とかゴネてるのって、聞いてる方はあんまり気持ちのいいもんでもなかったりする訳やけども、こーゆーのは、要するに真面目に聞いちゃいけない類の、天気の話のようなもんなんだなー、と、結婚20数年を経てやっと分った今日この頃なのよ。

#日本人は褒めない、みたいな話を時々聞くけども、なんつーか、こういった高度な感情表現みたいのは、もしかすると、ある程度メディアが発達したした豊かな社会になったからこそ「やっと」問題化されるようになったものかもしれないよな、と思うときがあるんだわ
#知ってる範囲狭いけど、明治、大正あたりの生まれの人は、褒める褒めない以前に、めっぽう口数が少なくて、大声で笑うような事も、度々はなかったよなー、とか思ってね
#もっとも、最近の年寄りたら、うちの両親のような昭和一桁や戦後生まれの人もそろそろ年寄りの仲間入りで、ここらあたりになると、私が子供の頃の年配の人よりも、ずっと感情表現が豊かな人が増えてるように思えるのよ
#その一方で、怒りて感情は、他の感情よりも抑え難かったりするように思えるし、自慢話よりは(たぶん)共感得やすいじゃない
#後、なんとなく、だけどね、メディアからも「批判の方法」や「非難の方法」てのは学びやすいんじゃないかとも思うねん(たぶん、こっちの方が量も多いし)
#一方で、上手に褒めるとか(見当外れに褒められたらば、場合によっちゃ文句言われるよりも反感あったり、下手したら、バカにされるし)、反感を持たれずに楽しい話題を出したり、表現したりするてのは、愚痴や怒りの表現よりも、困難なのかもしれないなー、と

長々補足書いたけど、愚痴言ったりごねて見せるってのは、ある意味「無難」なコミュニケーションの一つだったりするんだよな、と、やっと分ったと言うお話。

と、長い長い前振りの後、長い長い愚痴の説明を書いてたら力尽きたんで、とりあえずここまで。

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