月曜日, 10月 27, 2008

教える君

質問に答えるのは、何より自分の為になると思う。

私の場合なら、(未熟ながらも)攻略サイトとかやってる訳で、望ましい状態てのは、たぶん「読めば分る」ようになる、て事やと思ってる訳やけども、実際問題、自分一人で全てをカバーするって、不可能だと思ってるのよ。

だからこそ、関連サイトへのリンクも貼ってる訳やけども、それより何より、他所様のサイト読んでると、勉強になるなーと思う事ってすごく沢山あって、おお、凄い凄い、と、無責任に感心するような事って少なくない。

そんなん読んでると、ああ、説明が足りなかったなー、とか、ここは不十分だったなー、とか、全然ダメじゃん、とか、自分の(1)「説明力」や「説得力」の足りなさを、見せられちゃったりもするんだわ。

それとは別に、知ってる事を投げたなら、知らなかった事が沢山返ってくる、てのは、ウェブの大いなる魅力で、これを知ったのは、まさに、自分がサイトを持ったからこそ得られた情報で、投げっぱなしは(自分的には)好ましくないんじゃないかと思っているけども、「返ってくる」「事もある」のは、とても素晴らしい事だと思っている。

後、想定外の質問てのは、新たな「視点」を得るチャンスでもあって、ああ、そうなのかー、と、(たぶん)ウェブを得てなかったら思いもしなかったような「視点」に出会えたのも、(私にとっては)大きな収穫だったと思っいる。

そりゃね、もしかしたら、「質問者」の為にはなってない場合もあるのかもしれないけども、知ってる事を開示するてのは、開示したもんにとっては、とても得る事が多いと思っているんだわ。

#アカンなぁと思うけど、本来ならば、得られた情報をちゃんとした形にして、再発信した方がええと思える事って、それなりにある
#なんかさ、例えば、コメントなんかで、私だけが得てしまっているって形になってる事があって、ひどく情報をくれた人にも、まだ得ていない人にも、申し訳ないような気分になる事があったりするのよ
#もっと具体的に言うと、アイギーナの方言情報なんかは、やっぱりちゃんとした形でコンテンツに加えた方がいいと思いながら、やれてないのがとても申し訳ない。ログを探すのがちょいと大変な状態なのよ。ごめんなさい

後、「教える」てのは、「説明の練習」の場でもあると思う。

好むと好まざるとに関わらず、説明しなきゃいけない場面に出会ってしまう事って、決して少なくない。

#接客業をしていると、そんな場面に出会う事は、結構多い
#後、「説得力」は、ないよりはあった方が(たぶん)より良いと思っている
#そして何より、子供を持ってしまうと、説明しなきゃならない(と思える)場面は激増するのだった

私は、利己的なので「相手の為になるメリット」と「自分の為になるメリット」を比べたならば、後者を取るのですよ。

ググレカスには笑ったけども、相手の為にならないから、程度の理由で、説明を放棄するのは、とても惜しいと思う。

たださ、一番怖いなーと思うのは、「間違った説明」をしちゃう事。だけどね、だからこそ、開示する方がいいんじゃないかとも思うのよ。明らかに「相手」の為にはなってないけども、間違っていないか?を確かめたりもするし、注意深くもなる。だから、(たぶん)勝手に自分で思い込むよりもマシなんじゃないかと思うし、何より、開示したなら、間違いを正してもらえる可能性も、ずっと多くなるじゃない。

きっとね、「聞く」よりも「教える」方が、最終的に自分が得るものって、ずっと多いと思うよ。


#私は、勝手に、説明をしようとしない人は、言語化する能力が足りていないか、自分なりの理解には至っていないかのどっちかだと思っている
(1)「説明力」や「説得力」
だけじゃなしに、「熱意」や「こだわり」と言った「熱さ」にも感動したりする。
後、表現力の足りなさや、詳細や精度の未熟さもあるよな

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