日曜日, 10月 19, 2008

空気

空気を読む、と言うのがどう言う事なのか、(なんと!50歳を目前にして)やっと少し分ったように思えた。

もちろん、この「空気」ってのは、たぶん文脈によって使われ方が結構違っていて、例えば2chのスレッドで、そこまでのログでもうっとくに「終わった」話題を、今初めて出たことみたいな感じの発言に対して「空気嫁」と言うのは分る。この場合は、話(≒話題)の流れを中断した事に対する非難で、過去ログ拾えば、その発言が「場違い」だったり「見当違い」だったりするのは、大抵分る。

結構前に雑誌(ファッション関連の女性誌)で読んだKY特集の例にあった、KYと言うものは、他者不在の自己中を主にKYと呼んでいるように思えて、KYと言うラベリングである必然性をあまり感じさせないものだった。

描かれたシチュエーションに、それぞれもっと適切な表現があるにも関わらず――我侭、自己中心、鈍感、無知、厚顔、幼稚、等――、全てをKYにしてしまっているように見えて、流行語らしい便利な用法だなぁ、と思っていた。

が、違うのだ。いや、違った。私が言いたかったのは、KYについてじゃなくて、「空気を読む」と言う行為についてだった。

差し当ってとても困った事はなかったので、「空気を読む」と言う行為にあまり関心がなく、だから関連書籍ぽいのも読もうと思った事もなく、だから、もしかしたらもうとっくに語られている事なのかもしれないし、逆にものすごくピントがズレているのかもしれないけども、その時は、単純に不思議だなーと思っていたのが、後になって、他にも思い当たるような出来事も出て来て、もしかしたら、こーゆーのを「空気を読む」と言うんじゃないのか?と、突然ひらめいてw、思い当たったら、何だか(私の中でだけ)ものすごい大発見みたいに思えて、記録しておきたいと思ったのよ。

最初――とは言え既にかなり長い前振りになってるな――に結論を書く。

「空気を読む」とは、相手の感情の動きを察知して、相手が望んでいるリアクションを返す事なのだ。

いや、ちょっと違う。相手の感情の流れに乗って、流れに沿った対応をする事なのだ。

うん、これだ。

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