火曜日, 8月 26, 2008

親のレート

てなエントリーを読んで、ああ、あるある分る分る、と共感しつつ、ここんところ思ってた所なんかとも被るんで、ちょっと書いてみる。

私も、もっと子供の頃、「親になる資格」みたいな事を考えた事がある。

家庭の事情もあって、ちょっとヒネてた私は、そのお陰で、逆に親を軽蔑するような期間は少なかったけども――なんと言うか、人間だもの、てな距離を割と早く作れたように思う。一方で、そのぶん、本来悩むべき時期に充分に葛藤しなかったんじゃないか?みたいな思いもなくはない。――、それでも、私は現状にさし当って不満はあんまりないけども、とは言え同じ思いを自分の子供にさせたくはないなあ、みたいな気分もあったし、一方で、私の生活態度を鑑みるに、とても子供に向かって注意をしたり、怒ったりは出来ないよなぁ、みたいな気持ちも持ってて、「ちゃんとした」子育ててのは困難過ぎて、私にはとてもやれっこないなぁ、それに比べたらばうちの親は頑張ってるもんなぁ、とか思ってたのね。

にも関わらず、私はどっちかで言うと子供を持ちたかったの。何故と聞かれても困るけどと言うか、私自身が何でなのかはよく分らないけども、子供は欲しかった。

ぶっちゃけ、結婚したいとはあまり考えた事がなかったけども、子供は欲しいと思っていた。何でそうなのかは未だに謎だけども、まぁ、本能なのかな?みたいな感じ。
後、折角女に生まれたのだから、女にしか体験できない「妊娠」「出産」と言うものを体験してみたい、とは思っていた。
出産は大変だ、との話は時々耳にしていたし、メディアで流される出産を描いたシーンは、出産の大変さを描いたものが多かったけれど、私個人は、メディアのイメージよりも、だけどもみんな続けて生んでいる、と言う事実と、犬でもネコでも自分で勝手に子供を産んでいる、と言う事実の方に重きを置いていて、出産に対する恐怖はあまりなかった
犬でも猫でも易々やってる事なんだから、まぁ、私でも大丈夫なんじゃない、と言った内容を私の出産の心配をする母に言ったら、むっちゃ激怒されたのは、今となってはいい思い出w(私の気分では安心させようとしての発言やったんやけども、動物と人間を並べるのは、母にとっては我慢ならない事だったみたい)

子供は欲しいと思ってるけども、親になる自信はない――とても面白い事に、私は、セックスと出産は直結するものとは考えていたけれど、出産と結婚をあまり結び付けていなくて、父親と言うものをあまり意識していなかった。環境の影響なのかなぁ。父が無くとも子は育つ、と、(実感を持って)思っていたのだ――。

なりたいものがさし当って無かった私が、唯一やってみたいと主体的に思えた出産と育児だけれども、最もその資格が無いのが私なんじゃないかとも思えて、切実なもんじゃなかったけども、何だかあーあ、な気分を弄んでいた、てのが高校時代の私だったりしたのよ。

中学の頃は、もっとシンプルに、最初に来た縁談で(相手が断らなかったらその人と)結婚して、(物理的に可能なら)野球チームを作れるぐらい子供が欲しいと思っていた
ロマンチスト(だったんだな、と、今になって思うけど)なクラスメートの男子から、見合い結婚なんてあり得ないよなー、と水を向けられて、返答に困ったのだ
当時の私は、恋愛結婚なんていうのは、選ばれた美男美女のするもんだと思っていたし、一方で、特に結婚願望もなかったけれど、したくないと言う強い願望も無かったので、周囲がそれで気が済むのならそうしよう、と、いう風に考えてた

で、ある時、とても信頼していた担任にひょっと持ちかけたんだわ。

く「せんせー、私子供はすごい欲しいと思うんやけどもさー、自分の事考えたら、とてもやないけど、子供に注意したり説教したりよーせんわ」
担任「くりりん。お前の言うてる事は分るけどな、お前がそう思って子供になんも言わんかったとしたら、それは言われんかった子供にとっては不幸なんやないか?」
く「あっ、そうかー、そうやね。うん。何か元気出て来た。ありがとーせんせー」

なんか、ものすごい間違いをしてたんやなー、と、先生にゆうてもらってやっと気がついたわけ。

子供の幸せと私の一貫性を秤にかけてしまうって、ナニサマやったんやろ。それって何が何でも守らんとアカンような事やなかったんやな。

私はコレで、私も子供を持ってもいいと思えるようになりました。

もっとも、「ちゃんとした親」で居ようとして、肩に力が入り過ぎてしまう時って今から考えても色々あったけども、まぁ、そんな時、ここに戻ると、何だか気持ちに余裕が持てるようなってさ。

後ね、子供を実際に持つようになってからは、「親になるのに資格が要るような社会」てな前提がおかしいんじゃないのかなー、とも思うようになったのよ。

変な話で且つ当たり前の話やけども、私も、お隣の奥さんも、担任の先生も、近所のおばさんも、ダンナも、会社の上司も、誰でも、間違う事ってあるんだわ。「ちゃんとした親」なんてただの幻想。

一方で、(タマタマ私の周辺では、TVで流されるような酷い例にはお目にかかっていないけども)もしも、好ましく親を持ってしまった子供が居たとして、親になるような資格がないような親の子供と、親になる資格を持った親を持った子供が現に居るとして(仮定の形で書いてるけども、事実としていない方マシな親は居る)、親の「資格」が子供の幸せや未来を阻害する社会とか、むっちゃおかしくね?と言うか、親になるような資格を持たないような親を持ってしまった子供にこそ、社会的支援が必要なんじゃないの。だって、親になるような資格を持った親の子には、特別な支援は不要なんだからさ。

なんかさ、無駄に親や結婚のレート上げるなよなー、とは、よく思う。

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