金曜日, 11月 07, 2008

無題

うーん。

私はさ、田母神・前空幕長の論文よりも、守屋前次官の汚職の方が、ずっと大きな問題なんじゃないかと思うねんけどな。

そりゃさ、どっか「汚職」ってもんに甘いと言うか、誰でもやってる、みたいな認識が蔓延してるようにも思えるけども、自衛隊の備品たら、明らかに「生命」に直結してる訳やし、まじめに「国防」みたいなもんを考えてるなら、軍備ほど、コストパフォーマンスを重視しなきゃいけないもんって、他に無いんじゃないかとも思うねんけども――個人の「嗜好」が入り込む余地が殆ど無い、「機能」をこそ最重視しなきゃいけないものだから――、何だって、そう、揚げ足取りにばっか励むかね。

知ってる人にとっちゃもしかしたら当然の事なのかもしれんけど、自衛隊関連の贈収賄って、「接待」よりももっとずっと性質が悪いもんがあるみたいなのよ。

それも、昨日今日始まった事でもなくて、さ。

量産の規格品を選ばずに、ずっと高い「特注」のパーツを特定業者から取る、みたいな手法があるらしいの。

そんなうまみがあってこその「接待」なんかもしれんけど、にしても、ひどい。

軍事って、どうしても「機密」が多くなるから、ある意味隠したい放題なんだよね。

接待よりも、もっとずっと大きなお金が「無駄に軍事費」として使われているのかもしれない訳で、こう言う行為をこそ、売国奴、と呼びたい。

こーゆーのは、首切って終わりにしちゃいけない。

木曜日, 11月 06, 2008

無題

そうだそうだ、一昨日、wikipediaから、寄付のお礼メールが届いたよ!英語だったけど、全文翻訳サービスに突っ込んだら、「だいたい」の意味は分った。

ちょっと嬉しかった。

水曜日, 11月 05, 2008

PS2版バイオ4

は、さておき。

PS2版のバイオ4をamazonのマーケットプレイス利用した買った。

いやね、私が買いたかった訳でもないねんけども、ダンナがネットの動画見て、見たことないシーン(エイダのやつ)があるんで、あれっ?と思ってたら、PS2版らしい。あーそーそー、色んな追加要素があるみたいよー、とか言ったら、やってみたいとか言い出して、調べてみたらば、中々お値打ち。

と言う訳で、私のアカウントからお買い上げ。マーケットプレイスからなんで、出品者の人のところに評価を入れたかったけども、入れ方が分らなかった。

可笑しかったのが、アマゾンからやって来たメールに書いてあった、出品者の人(企業だったけど)の住所が、引っ越す前の家の近所で、とてもよく知っているお店だった事。

あそこ、こんな事もやってるんかー?!とびっくりしたけども、この頃は、結構あるんだよね。知人がバイトしてた輸入雑貨のお店も、ネット出店してて、店舗よりもずっと売り上げがある、なんて言ってた。

輸入雑貨とかって、どっちかで言うとマニアックなニーズのが多いんだろうから、場所の縛りがないネット通販の方がいいんだろうなと思う。

てか、考えてみると、私がよくネット利用するPCパーツてのも、明らかにマニアックなニーズだったんだ、と、書いてから気がついたw。

生産性のことpart.2

パートや派遣みたいな、非正規雇用者間の駆け引きを「社内政治」と呼ぶのは、当ってないように思える。

「社内政治」が、主に「社内での支配的な立場とそれに伴う給与の上昇」を目的とした「会社での出世」を目指す場合が多い(んじゃないかと思っているけども、経験が無いんで、実際の所は、よく分らない)のに対して、ハナから出世の機会を(ほとんど)持たない非正規雇用だと、政治力は「(自分だけが)楽して儲ける」方に向かいがちだったりするんだわ。

んでね。それって、確かに、倫理的には「正しくない」事なのかもしれないけれど、仕事をする目的てのは、第一に「お金(≒生活費)得る事」なんだから、「楽して儲けようとしていると言う事自体」を責めるのはあまり意味が無いんじゃないかな、と思っている。

大体が「楽して儲ける事を悪」としてしまうと、「楽しているように見える」人を責めてしまう可能性も孕んでいる、と言うか、実際にそんな「空気」が作られてしまう事もあって、それはあまり好ましい事とは思えない。

と言うか、実際、この頃時々みかける、ニートや浮浪者叩きってば、「楽して儲けているように見える」から、って部分があるんじゃないかと思っていて、実際の「善悪」に関しては、個別具体的に判断するしかないんじゃないかと思うけども、うちら労働者一般の「損得」を考えるなら、そういった人を「叩く」行為ってのは、自分で自分の首を絞める部分の少なくない、「損」な行為なんじゃないかと思っている。

「少ない労力で多くの成果を出す」てのがつまり「生産性の向上」なんだ(と、思っている)から、労力は「苦労」を減らす事にこそ用いるべきだろう。と言うか、「生産性」ってモノサシで計るなら、「楽して儲ける」って事は、基本的にはよい事なんじゃないかと思う。

私が、個人的に好ましくないと思うのは、例えば、3人居れば楽にこなせるような仕事を、2人でする事によって、労力ばかりがかかってしまって、成果が出せないような状態で、そこに3人居て、そのうちの1人がそれを為さない為に、残った2人で非効率な作業をしなくちゃいけなくなったような場合には、参加しなかったり、(時には)邪魔したりするような事があったなら、その1人に非があると考えるし、それは、容認しちゃいけない事だとも思っている。

けれど、そうじゃない場合は特に問題だとは考えていない。親が養ってるニートが「働かない」事とかだと、親、大変そうだなーとは思っても、腹立たしさみたいのは、特にない。

ああ、そうか。誰かの上に乗っかって、自分だけが楽して儲けるのはNGだけど、出来る事なら、みんなで楽してみんなで儲けようよ、と、思っているって事か。

火曜日, 11月 04, 2008

生産性のこと

前に、生産性が低くなっている、とは書いたけども、生産性ってのの計り方が実は良く分らないなーとも思っていて、ただ、色んな部分で、「私から見たら」無駄と思える事って少なくなくて、それをちょっとカッコつけて「生産性が低い」、と表現してみたりした訳やねんけども、そんな事に関して思っているところをつらつら書いてみる。

パートの世界は、もうとっくの昔から、同一職種同一賃金になっている。と書くと、長時間パートと正社員の人の賃金格差の問題が出て来てしまう訳やけども、元々主婦が多いタイプの職場(外食、小売)じゃ、正社員ってとても少なくて、一方で、長時間労働のパートも殆ど居ないんだわ。

もちろん、社員になりたいパートさんも居なくはないだろうけれど、大部分の主婦パートは、時間や休みの融通の方を重視してるんで、安定性や給与には魅力がなくはないけれど、かと言って、今の社員さんみたいな「超」長時間労働を望んでいる人って、少なくとも主婦にはあんまり居なかったりするんじゃないかと思う。

んで、同一職種同一賃金てのは、同じパートだと、キホンみんな同じ給与になってるんだよ、と言う訳。昨日入った新人さんも、10年のベテランさんも、同じ課で同じ仕事してたら、一緒なのよ。

一方で、教育コストもかけなけりゃ、「現実的でちゃんと「使える」マニュアル」みたいのも、実際の所は余りなく、結果「見よう見まね」で仕事を覚える事が殆どで、その部分からして、ひどく無駄が多いように思えるねんな。

教育担当もマニュアルもないまま、言われた事を「こなして」行くだけで、何とかなってしまうような部分って少なくないし、そうじゃなきゃパートに任せたりはしない、とも言えるねんけども、その時その時で人に聞いて覚えて行くって形だと、教える方も聞く方も、無駄に時間を食う上に、とてもよくある事だけど、人によって言う事が違うねんな。

ささやかな事っちゃささやかやけど、こんなんは、マニュアル用意して、情報共有したならば、もっと楽に早く覚えられるんじゃないのかなー、て事ってほんとに多い。同じ賃金支払ってるんだから、そうした方がずっと「お得」なんじゃないかと私なんかは思ってるねんけども、それが為されていないんだわ。

後、作業の方法の説明はあっても、その目的や優先順位の説明が無い、と言うか、上司が変わるとそれが変わってくる事が少なくなくて、会社の戦略だかなんだか知らないけども、こんなんが何のアナウンスもなくコロコロ変わってしまうと、「何時もの作業」をする為にも、その都度確認取っとかないとダメみたいな事になってしまって、そこら辺ももんのすごく無駄ぽいように思える。

と言うか、それって、「いつもの作業」が「いつもの作業」として機能してないような状態になってるって事で、そうなると、「逐一指示を伺う」か「無視する」かの二択みたいな状態になってしまう訳で、これって、どっちも指揮系統が機能してない状態だよなー、とも思うねんな。

「誰にでも出来る簡単な仕事」のはずなのに、「逐一指示を伺う」んじゃふつーに時間の無駄じゃないかと思うし、どーせコロコロ変わるんだから、と、いままでのやり方を通してしまうってんじゃ、「カイカク」も「カイゼン」も不可能だし、モチベーションも低空飛行。

月曜日, 11月 03, 2008

今日の1941

まだ1941やってる。中々上達しないんで、各面ごとにセーブしといて、ひとつひとつこなして行こうと思ってはいるけども、コンティニューランプが点くと、止められなくて、ついつい先に進んでしまう。

あー、後、あの動画だと、どうも、緊急回避に急旋回使ってるみたいやけども、私がプレイしてる日本版じゃダメぽくて――全然敵が居ない時に試しにやってみたら、きっちしゲージが一個減った――、バージョンによって違っているのかな?難易度が違っているのかな?何かやり方みたいのがあるんかな?とか、色々思い悩んでいる。

違っていると言えば、停泊してる船を攻撃した時も、当り判定が出ない(ように見えた)みたいで、日本版のリプレイが見たいねんけども、今のところはみつかってない。

PCエンジン版のやつはあったけども、アーケード版とどう違っているのかまだ分らなくて、思い悩んでいる。

後、やっぱコントローラダメだわ。分っちゃいたけど、微調整が明らかにアカンと分る部分が時々あって、給料でたら兎に角コントローラを買ってしまおうと思う――先月(10月)は(私にとっては)想定外の出費が多くて、とてもピンチ――。

後、気になってた牛は取ってみたらやっぱし取れて(すごく変な表現だな、と、自分でも思う)、50000点だかだった。だけども、トンボはまだ一回も取れてなくて、どんな効果なのかとても気になる。後、ヤヒチはたぶんヤヒチになる敵を倒したら取れるみたいに思えたけども、まだ出現場所を充分に把握してない。

避ける事に集中してる方が前に進み易いように思えるけども、階級が上がらないから、それはそれで困った事にもなってしまうんで、思い悩んでいる。

ここら辺の兼ね合いを書いてるサイトを見た覚えがあるねんけども、後から探そうとしたらみつけられなかった。あったんやけどなぁ。

あー、後、.avi編集の方をやり直して、ほぼ100Mの動画を切り出せたんで――良く見てみたら、ソフトの方の表示に、ちゃんと動画のサイズがあった――、ついでにうpする。

とりあえずの録画だから下手なんだからねっ!ほんとはもっと上手いんだからねっ!

あー、そうそう、前にも書いたような気がするけども、.avi編集に使ってるソフトは、VirtualDubModってやつね。

ゲーム動画を利用した私プロモ作成にとても役に立ってるよ。最初は音楽だけでいいと思っていたのが、一旦絵のついた曲を聴くようになると、音だけだと物足りなくなるってのは、自分でちょっと意外だった。てのはさ、これまでは、あんまりPVって好きじゃなくて、他所さまのブログとかで紹介されてても、最後まで見れた事がほとんど無かったんだわ。

そんな訳で、私は、(自分は)プロモーションビデオと言うものがあんまり好きじゃないんだ、と、勝手に思ってた訳やけども、それは、(タマタマ)その曲やアーティストが好きじゃなかっただけなんだ、と、自分で探したり作ったりするようになって、初めて分ったと言うお話でした。

無題

田母神俊雄航空幕僚長の下に居るよりは、ハートマン軍曹の下に居る方が、生き残る確率はずっと高いだろうなと思う。

土曜日, 11月 01, 2008

派遣とかパートとかpart2

リンク先にあったような、その場だけで通用するタイプの政治的な駆け引きってのは、もしかすると「現場」の方が多いんじゃないかとも思う時がある。

それは丁度、社会的にはNGな「いじめ」って行為が、クラスの中って言うものすごく狭い世界では(ある意味)絶対的なローカルルールになってるみたいな感じで、「会社」や「学校」と言う閉鎖的な空間ならでは、としか思えないような、馬鹿馬鹿しいローカルルールを持った職場ってのが決して少なくないと思っている。

#とても個人的な話になると言うか、自分語りをさせて頂きますと、私は、社会人と言うものになるまでは、「学校」と「家庭」と言うものは、日本国憲法の届かない「治外法権」なんだ、と言う風に理解していた。
#なので、成人して、社会人になって、勤労と納税たらいう義務を果たしたら、基本的人権とかいうのに、守られるもんだと(勝手に)思い込んでいて、だから、早く社会人になりたいと思っていた。
#が、社会人になってみたら、そこには「会社」と「世間」と言う治外法権があるのを知って、何だかちょっと失望したんだわ。
#が、一方で、みんな真面目に必死に生きてるんだよなー、てのも(多少は)見えて来たら、「貴方は間違っている」と言う事ってあんまり意味がないんじゃないのかな、とも思うようになったのよ。
#そこで初めて、そっかー、憲法てのは、国の「努力目標」だったんだー、と(その時は私なりに)理解して、その後になってやっと、憲法というものとか立憲民主主義とか言うものの仕組みを知ってみて、私の経験知から来た理解は、それ程外してなかったんだなー、と(さしたる意味はないけれど)、ちょっと安心したのだった。
#ここに至ってようやっと、立憲民主主義下の憲法てのは、間違っている「誰か」を懲らしめる為にある法律てんじゃなくて(どうもそれは刑法の範囲のようだ)、うちら国民の「安全弁」としてあるものだったんだ、と分ったと言う訳。
#一方で、こんな事は、学校でちゃんと教えろよな、ともすごく思ったけどね。こう言うのって、本来は、経験から学ぶような類の事じゃないんじゃないの。
#学校では「名前」は教えてもらえたけれど、「目的」や「機能」については、あまり教われなかったように思えるんだわ。今はもうちょっとマシになってるのかな?

派遣とかパートとか

今月は、割と休みが多くなるみたいなんで、一度ちゃんと考えてみようと思っていた事に取り組んでみようかと思う。

今まででもよくあったけど、途中までになってしまったり、自分なりの結論にすらならないかも知れないけれど、書いておかないと、何を考えたかすら分らなくなったり、書いているうちに見えて来る事もあるかもしれないし、書いてる途中で、思いついた事を元に調べてみたら分る事もあるのかもしれないので、やっぱり書かなきゃな、とも思えるんで、とりあえず。


きっかけになったのは、このシリーズ記事。

只今の職場、スーパーは、小売の現場ではあるけれど、物流業界でもありまして、又、私個人が物流業界には縁が深いばかりじゃなく、好きな業種でもあって、それだけに、色んな種類の不満も持っていて、あるよなー、分るなーと思う点もあれば、それはちょっと違うんじゃないの、と思うところもあれば、一面的に過ぎるんじゃないの、とか、まぁ、色々と結構具体的な形で思うところが沢山ある、とても興味深い記事だったのよ。

が、すぐに反応出来なかったのは、論点と思えるもんが自分の中でも拡散してしまうし、日雇い派遣とパートじゃ明らかに待遇も違うし、たぶん、求めているものも違うし、何より、私は日雇い派遣の現場の経験がなく――倉庫関係の仕事はそれなりにやってたけども、扱う商品がはっきりと決まっている倉庫だったので、かなりここで描かれてる、「なんでもあり」とは状況が違っているんじゃないかと思えたし、それだって、かなり昔の事なので、今はどうなっているのかは分らないのだ――現状をよく知らないから、迂闊な比較も出来ないしなーとか思ったら、「反応」て形にするのは、正しくないように思えて、だけども、共通すると思える問題点みたいのも、思い当たって、ふうむ。と、考え込んでしまって、考え込んだ状態から、考え込んだ事を文章化するにも至れず――なまじっか、実体験が伴っているので、ちょっとした感想のような書き方をするのが、難しかった――、そうこうするうちに、元々の文章の内容もぼんやりとした輪郭だけになっていってしまった。


何から書いていいのかよく分らないまま、とりあえず、私が一番困ったもんだと思っている事を最初に書く。

この手の、単純肉体労働は、給与の高さと仕事のキツさがあまり比例しない為に、「上手にサボれる人が得をする」って部分があるって事と、そうならないような仕組みを組織が上手に作っていない(ように私には思える)どころか、単なる「叱責」によってなんとかしようとしている部分があり、それが、そのまま生産性の低さに繋がっているんじゃないのかなぁ、て事。

もっともね、派遣と言えばこの頃の問題ぽいけども、パートやアルバイトの世界では、同一職種で同一賃金て状態には、これは、20年ほど昔、私が勤めてたバイと先の倉庫でも既にそうなっていて、退職後のお小遣い稼ぎだか、年金の足しだったのかにやって来ていた、そのぐらいの年齢のやや年配の女性が、「ここは、全員同じ賃金なのが<いいところ>だ」と言っていて――詳しくは聞いてないけども、年金を全額もらう為には、あまり沢山の給与は好まれないと言うか、多かれ少なかれ、当時でも、本人の事情によっては、正規職員になると困るような人が、結構入っていた――、なるほどねー、そんな考え方もあるんだなぁ、とは思いつつ、一方で、年配者が多い職場だと(当時は)若いもんは、幾分肉体的に負担の多い仕事をする事が多かったりもして、細かい事を言ったなら、これを「平等」と呼ぶのは何か違うんじゃないの?てな気分もあった。

ただ、同じ職場でずっと一緒に働いていたんで、楽してる人はそれなりに気を使っている部分もあって――職場にお菓子を持ってきて分けてくれたり、時々おごってくれたり、みたいな事――、少なくとも、あの現場では、それなりのバランスが取れてたように思う。

一方で、派遣みたいな、一見さんや、すぐに居なくなる人が多いような現場だったりすると、新しい人に「めんどいこと」や「しんどいこと」を廻してしまうような、アンバランスが生まれやすくなるんじゃないのかな、とも思う。

実際にそういったタイプの派遣の現場を体験した事がないから、何とも言えないけれど、何時くるのかも何時辞めるのかも判らない人に「教育コスト」はあまりかけたくないと言うのは、心情的にはある程度理解できる。

が、一方で、そんなコストはかけないくせに、ミスがあったら、ミスをした当人を叱責する事で「みせしめ」まがいの指導をしつつ、具体的な対処法を用意していない職場って、私の狭い体験だと決して少なくなくて、ひどい場合は、損失は「本人持ち」って場合まであった。

金曜日, 10月 31, 2008

まだまだ1941カウンターアタック

ちゃうやんか。宙返りは緊急回避になってない。てかゲージが一個減る。これじゃ使えない。タメのがずっと使える。

むしろ使えるのは、壁に沿って転がるやつで、無敵になってる。後。カトンボの当りって殆ど無いみたい(な感じ)だから、飛んでくる弾だけ避けてたらよさげ。

木曜日, 10月 30, 2008

まだ1941カウンターアタック

うーむ。宙返りやっても無敵になってないじゃん、と思って、もう一回wikipediaの記述を読んでみたら、宙返りが緊急回避になったのは、前作までと言う事で、思い違いだったみたい。

サブウェポンの違いをまだ把握してなくて、あったら取る、てのは場合に寄っちゃまずいのかも。

当り判定は、自分が思っているよりも小さいみたいで、当ったと思っても当ってないトコもあって、やっぱ、見て避けるよか、覚えて避ける、が正解ぽい。

動画はすごく勉強になって、助かるなーと思う。ここどうするんだよー、と思ってる場所の回答みたいのがちゃんと出てる。

尤も、下手は下手なりに自分のパターン作ってくのが楽しいてのもある訳やけど、無理無理と思ってたとこだって、そーやったんかーと教えてもらえて、だけども、残念ながら実際に自分がそれを出来るかどうかは、実は別の話やったりして、そう言う意味じゃ、くっそー、とは思うけども、ちゃんと答えがあるんだ、てのは、とても(私の)精神衛生上はよろしいのだった。

あーあと、ちょっとしたメモやけども、やっぱ録画したいなーと思いつつ、MAME共存した方が何かと便利だし、と、試しにパス変更したらちゃんと通ったよ。ヴァージョン違いとか、クローンの利用にどうぞ。当然どうなっても責任は持たないけどねw。

それから、とてもうっかりと、全然そんなつもりはなかったのに、「このゲームの設定」のとこで、思ってもいなかったボタン設定にしてしまって、元に戻せなくなって、とても困って、一瞬ThunderMAME32jpの、再インストールを考えたけども、cfgwinの中の、そのゲーム用の***.cfg捨てたら、元に戻ったから、私みたいなへました時は(あまり居ないかな?)、トライしてみて。こっちも当然責任は持たないけどね。

と言う訳で、お試し録画をやってみたら、大丈夫だったんで、1941カウンターアタック1面の動画をうp。むっちゃサイズがでかいんで、ちょっと躊躇したけども、これもひとつの実験として、一度、そのままうpしてみるね。

ダメぽいみたいなら、そうなった時にもう一回考える事にする。

そうそう、ほんとは、この録画よりももうちょっと上手いんだからね!試しにやったやつだから下手なんだからね!

やっぱりでかすぎるみたい。うpが終わらない。ちょっと削るのと、形式かえるのとだったら、どっちがいいんだろ?

あかん。.aviからそのまま.mpegにしたら、サイズはだいたい半分になったけども、無茶苦茶画質が落ちる。やっぱムービーメーカー経由の方がええんやろか?と、ムービーメーカーに放り込んだら、勝手に横長画面になってる。

何か、思いの外めんどい。あー、そうそう、うpにあんまり時間がかかるんで、ここに至って初めて動画の規定読んだら、最大が100Mだって、1面だけで331Mだもん、切るしかないのかな、やっぱ。


しかし、切ろうと思ってavi編集ソフトを使ってみたら、久しぶりなんで既に使い方を忘れていたばかりじゃなしに、元よりサイズが大きくなっちゃうし、一方のムービーメーカーじゃ、画面の縦横非の変更はうまいこといかんし、あんまりしゃくなんで、サイズの上限に合わせて録画しなおそうとやってみたら、ほんまにちょっとしか撮れなくて、これじゃ下手さすら分らんような、とても残念な動画になってしまったけども、手間隙かけて何もないんじゃもっとしゃくなんで、とりあえずそのちょびっと動画をうpした。

縦シューの動画編集って、別のむずさがあるねんな。

水曜日, 10月 29, 2008

1941カウンターアタック動画

と言う訳で動画を発見。便利な世の中になったね。

1941: Counter Attack (Arcade) Complete 1/4

1941: Counter Attack (Arcade) Complete 2/4

1941: Counter Attack (Arcade) Complete 3/4

1941: Counter Attack (Arcade) Complete 4/4

うー、色々勉強になるなー。撃墜率とか見てると、必ずしも鬼ウマ、てんでもなさそうなのが、一層私に優しい(ような気がする)。

バイタリティが減るのが嫌で殆ど使ってなかった、宙返りだったけども、見てると敵弾まで消せるみたいで、タメよか使えそう。

まだ、2回しかヤヒチ出してないけど、あれってライフ全快みたいで、ボス戦の前に取れて、助かったーと思ったんやけど、取る前に宙返りやってて、あーなるほど~、そーゆーふーに利用するんだなーと感心した。

後、壁にぶつかっても大丈夫らしいのは調べて分ったけども、ぶつかりどころが、結構一緒で何だか嬉しかった。

火曜日, 10月 28, 2008

あれとかこれとか

なんかすっげ楽しくて、今日もまた1941カウンターアタックを遊んでしまった。

前の時に、何がどうなってるのか全然分らなかった、ラスト1個前(か、2個前)の巨大戦車のとこやったんやけども、今日プレイして、前の壁を突破して砲台の前の場所に入れる事にやっと気が付いた。

前の時は、壁に挟まれてまるで身動き出来ないのに、左右から攻撃されて、一体どーせーちゅうねん??と、ほとほと困り果てていたのだ。

後、2面まではコンティニューしないで進めるようになった。後、カトンボは、前におびき寄せて迂回、で、多少しのげるみたいだった。

なんか私、このゲームがかなり好きぽい。リプレイ探そう。てか、リプレイねー、上手すぎて参考にならない事が結構多いねんけども、程良いリプレイあるかなぁ。

にしても、早くコントローラー買い換えないとな。

んで、勢いで、19XXもプレイ。コンティニューしまくって、とりあえずクリアした。

が、1941よかむずかった。弾幕がハンパない上に敵がすごく固くて、面の数も多かった。ボムが使えるようになって、ボムはやっぱ爽快感が違うわね。後、タメも多少使えるようになったけど、最初、自機が出してる緑のレーザーが、敵の攻撃なのか自分の攻撃なのかよく分らなくて、無駄にびびってしまった。

19XXだと、タメを使うと、ロックオンして、ホーミングになってて、硬い敵に向いてるちゃ向いてるけども、折角ロックオンしても、敵がとっとと画面外に逃げちゃう事も少なくなくて、もうちょいパターン把握しないとダメぽい。

後、この19XXの面白いとこと言うか、(私にとって)新しかったのは、縦シューとは言え必ずしも「前(=画面上)」進むわけじゃないとこで、最初、追い詰められるように後退してしまって、こんなんでええんやろか?てか、戻った分を進みなおさんとアカンのやろか?と、とても不安になってたけども、つまりそんな風なルートだったと、ボスに出合って分って、1941の狭い通路をほぼ横に進んだのの進化形みたくなってて、とても新鮮だった。でもごっつむずい。ものすごい弾幕。

後、雑魚でも固いけど、ボスはほんとにハンパなく固い。だけどもコンティニューしたら、すぐにパワーアップ出来るようになってるから、ボム使い果たしたら、いっそ死んだ方が倒しやすいんじゃないかと思った。ボス戦の途中で死んだりしたら、きっともう100円使っちゃうよ。

それから、後は、アテナのはてな?と、魚ぼこをクリアした。

アテナのはてな?は、最初は問題が簡単だったけど、ステージが進むと難しくなって行った(ように思えた)、面白かったの、画像系の問題で、動く絵とか、重なった文字とかが新鮮だった。

魚ぼこは、パズルボブルによく似たタイプのパズルゲームやねんけども、最初、プレイ方法が分らなくて、辞めようかとも思ったけど、魚太郎がとても可愛いので、せめてやり方が分るまではプレイしてみようと思って、ロープを「引く」と「離す」でボールの飛距離が変わってくると言うのがやっと分って、それから、第○話のところのタイトルがヒントになってると分って、みたいな感じで、把握しながら進めたけども、ロープの引き具合と飛距離の「微調整」がイマイチ把握しにくくて、「手前」「中央」「奥」程度の精度でしか調整できなかった。バネの長さで測れるのかな?

1944 THE LOOP MASTER

横長の縦シューってあるんだぁ、とびっくりしたのが1944 THE LOOP MASTER

最初はものすごくやり難いなーと思って、もしかしたら、画面切れてんじゃないの?と思ってたけども、結構易々パワーアップできるみたいなんで、もうちょっと、進んでるうちに、なんちゅーか、絨毯爆撃するみたいな感じに、左右に大きく動いて行くとワリといいのかなぁ、とか思った。

ボムもあったけども、ボス戦用に使うよりも、囲まれた時に使う方がいいのかな。援軍見たいのがやって来て、画面いっぱいに爆撃するみたいな感じだった。

あー、後、ライフとバイタリティって違うんだと知った。こないだ1941カウンターアタックでライフ制って書いたけども、残機がライフで、ゲージがあるのがバイタリティ制、というのが正しいみたい。

これも、その場でコンティニュー出来るから進んでみようかなーと思ったけども、全16ステージとは、ちょいとびっくり。まだ3面までしか遊んでないんだけども、一気に全部は時間的にしんどいかなぁ。

月曜日, 10月 27, 2008

教える君

質問に答えるのは、何より自分の為になると思う。

私の場合なら、(未熟ながらも)攻略サイトとかやってる訳で、望ましい状態てのは、たぶん「読めば分る」ようになる、て事やと思ってる訳やけども、実際問題、自分一人で全てをカバーするって、不可能だと思ってるのよ。

だからこそ、関連サイトへのリンクも貼ってる訳やけども、それより何より、他所様のサイト読んでると、勉強になるなーと思う事ってすごく沢山あって、おお、凄い凄い、と、無責任に感心するような事って少なくない。

そんなん読んでると、ああ、説明が足りなかったなー、とか、ここは不十分だったなー、とか、全然ダメじゃん、とか、自分の(1)「説明力」や「説得力」の足りなさを、見せられちゃったりもするんだわ。

それとは別に、知ってる事を投げたなら、知らなかった事が沢山返ってくる、てのは、ウェブの大いなる魅力で、これを知ったのは、まさに、自分がサイトを持ったからこそ得られた情報で、投げっぱなしは(自分的には)好ましくないんじゃないかと思っているけども、「返ってくる」「事もある」のは、とても素晴らしい事だと思っている。

後、想定外の質問てのは、新たな「視点」を得るチャンスでもあって、ああ、そうなのかー、と、(たぶん)ウェブを得てなかったら思いもしなかったような「視点」に出会えたのも、(私にとっては)大きな収穫だったと思っいる。

そりゃね、もしかしたら、「質問者」の為にはなってない場合もあるのかもしれないけども、知ってる事を開示するてのは、開示したもんにとっては、とても得る事が多いと思っているんだわ。

#アカンなぁと思うけど、本来ならば、得られた情報をちゃんとした形にして、再発信した方がええと思える事って、それなりにある
#なんかさ、例えば、コメントなんかで、私だけが得てしまっているって形になってる事があって、ひどく情報をくれた人にも、まだ得ていない人にも、申し訳ないような気分になる事があったりするのよ
#もっと具体的に言うと、アイギーナの方言情報なんかは、やっぱりちゃんとした形でコンテンツに加えた方がいいと思いながら、やれてないのがとても申し訳ない。ログを探すのがちょいと大変な状態なのよ。ごめんなさい

後、「教える」てのは、「説明の練習」の場でもあると思う。

好むと好まざるとに関わらず、説明しなきゃいけない場面に出会ってしまう事って、決して少なくない。

#接客業をしていると、そんな場面に出会う事は、結構多い
#後、「説得力」は、ないよりはあった方が(たぶん)より良いと思っている
#そして何より、子供を持ってしまうと、説明しなきゃならない(と思える)場面は激増するのだった

私は、利己的なので「相手の為になるメリット」と「自分の為になるメリット」を比べたならば、後者を取るのですよ。

ググレカスには笑ったけども、相手の為にならないから、程度の理由で、説明を放棄するのは、とても惜しいと思う。

たださ、一番怖いなーと思うのは、「間違った説明」をしちゃう事。だけどね、だからこそ、開示する方がいいんじゃないかとも思うのよ。明らかに「相手」の為にはなってないけども、間違っていないか?を確かめたりもするし、注意深くもなる。だから、(たぶん)勝手に自分で思い込むよりもマシなんじゃないかと思うし、何より、開示したなら、間違いを正してもらえる可能性も、ずっと多くなるじゃない。

きっとね、「聞く」よりも「教える」方が、最終的に自分が得るものって、ずっと多いと思うよ。


#私は、勝手に、説明をしようとしない人は、言語化する能力が足りていないか、自分なりの理解には至っていないかのどっちかだと思っている
(1)「説明力」や「説得力」
だけじゃなしに、「熱意」や「こだわり」と言った「熱さ」にも感動したりする。
後、表現力の足りなさや、詳細や精度の未熟さもあるよな

日曜日, 10月 26, 2008

1941カウンターアタック

てか、すごく楽しかったんで、ついついコンティニューしまくって、1941カウンターアタックを、さっきクリアした。

いやさ、何気にプレイしたら、絵がすごくカッコよくて、何より、へたれに嬉しいライフ制の上にその場復活の上に復活時には無敵でもって、コンティニューの時までその場復活。

いやこれ、突っ込んだら行けるんじゃないの?と思ったら、ほんまに行けて、むっちゃ楽しかった~。

ボムは無くて、パワーアップアイテムでパワーアップして、縦シューだけども、地形、と言うか、結構ぐにゃぐにゃ(?)したところも通るようになってて、何で飛行機なのに、「道」に沿って飛ぶんだよー、と思えるぐらい狭いとこもあったけども、それはそれで新鮮だった。

コンテニューしたっても、瞬殺されて、湯水のごとくコイン入れるって感じじゃなくて、あーもう、もうちょっとやったのにーきぃ~、と、もう一枚入れるて感じの(私にとっては)程良い死に具合と、スピード感のある構成で、中々の爽快感。楽しかったなぁ。又やろう。

そうそう、ラスボスの一個手前のボスの面で、やっと、左下のゲージは、「タメ」ゲージだったんだと気が付いたんで、これを利用してみようとやってみたけども、イマイチ上手い使い方が分からなかった。後で調べてみよう。

あー、後、ラストの3機のステルスみたいのよりも、その一個前のボスの倒し方が結局最後まで分らなくて、結果から先に言うと、無敵時の攻撃と体当たりみたいな、消耗戦でやっと倒せて、たぶん、ここで一番コインを消耗した事になるんだろうな、とか思った。

あれは、どうやったらいいのかなぁ??未だに分らん。

後、勝手に「カトンボ」と呼んでたけども、ヘリコプターの群れもかなりうっとおしかった。狭い所で囲まれると、微妙に削られて、パターン把握したら、マシになるんやろか?それとも、こっちの座標目指して来るタイプなんやろか?そこら辺もロクに把握出来ないままだったなぁ。今になって考えると。

スナップショットから

とてもとても時間が足りないように思えて、むっしょーにイライラする。

私は生きてる間にどのぐらいの数のゲームを、ある程度は得心できるぐらいまでプレイ出来るんだろ?

全然関係ないけども、書いてるテーマに関係あるなしに関わらず、一日一個のスナップショット(と、それに伴う感想なり解説なりを加えて)を公開しようかなー、とかぼんやり考えている。

もっと言うと、動画の方が(自分的には)より好ましいなーとも思っているけども、動画を作るのはそれなりにめんどくて、何だか時間が惜しいようにも思えてしまうのだった。

歳を取るてのは、強欲になる、て事なのかもしれないな。

食べた事ないものを「切望」する事は出来ないけども、食べた事あるものを「もう一度」と「切望」する事はある。経験値が必ずしも、良い方向に向かうとは限らないよなぁ。

みたいな事とは直接関係無いけども、「(形にして)残したい」てな「欲望」が、私は結構強いようだと思ったら、ひょっこり思い出した。


おにいの余命が限られてるのを知った時に、一度神戸からこっちに、「生きてる」おにいに会いに戻った。

不器用なおにいは、そんな状態――うちらは、余命3ヶ月と聞いていた。おにいがその事を知っているのかどうかは、聞かなかった――だったにも関わらず、道の話――どうやって戻った方が楽か、とか、新しいルートが出来た、とか、そんなの――ばっかりしてて、とは言えうちらも何か特別なネタがあった訳じゃなく(考えてみると、うちらも下手と言うか、不器用だったと言うか、おにいと似たようなもんやな)、いっしょになって道の話をしてた。

が、そんな事をだらだらしゃべってる折に、どんな流れから、おにいは、何だかここんところは、TV番組の録画に力を入れてるみたいな事言ってて、なんでTV?とは思ったけども、一方で、「残したいもの」を意識してるんだなー、みたいな事はなんとなく察する事も出来て、「残すもの」みたいのを意識したら、とりあえず、て感じで、ケータイカメラが思いついて、そこに居たみんなの写真を撮ったりしたんだわ。

業ってもんなのかもしれないよなぁ、とは思うけど、ただの人のうちらだって、やっぱり何かを残したいって思ったりするんだよな。

#こういった「残したい感情」を「業」と呼ぶのが適切なのかどうかは微妙な気もするけども、例えば猫ならば、「死後に残したい」みたいな「欲望」は、きっと持たないだろうな、とか考えると、少なくとも、私には、その欲望は、ひどく「業が深い」もののように思えるのだ
#死んで、もう自分には何も出来ない状態になるにも関わらず、生きてるもんに影響を及ぼそうと考える、て、すごくね?

自叙伝を残そうって人も少なくないけども、それでもやっぱり、そんな文章をしたためるのは、たぶん少数派で、TVを録画したり、写真を撮ったり、みたいな事をする方が、多いんじゃないかと思う。うちらの大部分は、文章を書くような生活習慣を持っていないもんね。


スナップは、4-Dウォーリアーズ。以下の解説は、ThunderMAME32jpより。

4-Dウォーリアーズ 

発売年:1985 
開発元:コアランド 発売元:セガ 
システムボード:セガ システム1 
CPU構成[Z80 (2)] 
音源チップ[SN76496 (2)] 
表示領域[256x224]  表示色数[1536] 
スキャンレート[60.000000Hz] 
コントローラ:8方向レバー+2ボタン 
ジャンル:アクションシューティング 
サポートバージョン:v0.34 
連射可能なビームと、制限のあるレッグスウエポンを使って、 4次元世界を守ることを目的とした、横スクロールタイプのアクションシューティングゲーム。 画面上部より裏世界へ移動できるという設定が、このゲームの特徴である。 操作方法は8方向レバーで移動、ビームボタンとレッグスウエポンに2つのボタンを使用する。 3つのエリアのボスを倒すと、最終ボスの魔魂生物「ゴーサム」が登場する。 余談だが、主人公の姿勢がちょっと気になる。

私の感想は、流石に今となってしまうと、「つまんないゲーム」て感じがしたけど、「画面上部より裏世界」てのに気が付く前にやめちゃったんで、それぐらいは試してみても良かったかな、と、解説読んで思った。

ワープゾーンのあるSTGたら、うちにあったファミコンゲームだと、スーパースターフォースにそんなんあったように思うけども、あれは、お店に入ったようにも思えるんで、ワープと呼ぶのは適切じゃないのかな?何か違うゲームの事と混同してるんやろか?後は、グラ3のボーナスステージで、どっちも「自機」を繰ってのSTGで、改めて、人型のアクションシューティングって遊んでないよなー、と思った。

そう書いてから、キングスナイトがあったじゃんか、と思ったけども、あれって、「一応」アクションRPGて事になってたんだよなw

土曜日, 10月 25, 2008

FFタイプ

お気に入りの機能を(やっと)知って、そっちにお気に入ったゲームを登録。

ちょっとのつもりが結構楽しくて、だけどもどれも1面ぐらいまでしか進んでないんで、先々の難易度が不安やねんけども、コンティニューなりセーブなりを使ってでも先を見てみたいのが結構あるな。

後、今まであんまり好きじゃなかった、ファイナルファイトみたいなタイプの、敵を倒しながら前に進んでいく系のゲームが、やたらと楽しいと感じるようになった。なんだかスカッとするんだよねー、大暴れしてる感じがさ。

わー面白いなぁ。ファイナルファイトみたいな、と書いたらば、ファイナルファイトタイプみたいな呼び名がちゃんとあったんだ。あんまり好きじゃなかったからこっち系の事って殆ど知らんかったけども、そう言えば人気あったよなぁ。

そうそう、移動方とか視点が似てるけども、もうちょっと移動方向の自由度が高いがんばれゴエモンみたいなタイプには何か呼び名があるのかな?……ないみたい。

夏休みの思い出

てか、今日は軽いなぁ。昨日はすごく重くて、何かの影響なんやろか?とか思ってた。

何かの影響と言えば、夏休みの影響を、今年は、今までと違う形で実感した。

前は「読書感想文」とかやってたじゃない。あれって、この頃は時々問題になってるけども、私が始めた頃は、まだそれほど世間にネットが浸透してなかったと言うか、宿題代行みたいのが、さほど騒がれてた訳でもなくて、それなりに楽しんでやってた訳やけども、あの読書感想文は、夏休みの終わり近くになると、突然アクセスアップしたりもしてて、面白いなーとか思ってたのね。

が、子供も育ってしまうと、なんとなく「学校関連」の事への関心も薄れるし――別の見方をするならば、ガッコの事だけ考えていられたぐらい「のんびり」した時代だったのかもしれないなぁ、とも思うけど、実際のところはイマイチよく分らない――、あのぐらいあったら、それなりに利用できるんじゃないの?みたいな気分もあるし、何よりめんどくさくなってしまったんで、そのまま止めちゃって、「夏休み」というものが、何だか私の生活から微妙に遠ざかってた訳やけども、今年の夏は、おーこれが「今」の夏休みってもんなんかもしれんなー、と思うような、(私にとっては)楽しい出来事がひとつあったのよ。

Youtubeのアカウントの方に、14才の少年(日本人)から、友達申請されたのだった。

脱衣のエロが良かったのか、バイオのグロが良かったのかは分らんけども、相手の若さに「リア厨かよ!?」とびっくりして、おお、夏休みやったんや、と気が付いた訳。

当たり前ちゃ当たり前なんかもしれんけども、休みになるとネットの子供率って上がって、そうすると、こんな面白い出来事も起きちゃうんだよねw

画像は、本文の最初の方と「だけ」多少関係がある、MAMEのスナップショット。

あれのお陰で、何だか再びMAMEブームが再燃してて、もっともっとプレイ時間が欲しいなーと思ってしまう。チートに走る気持ちも分らんでもないよなぁ、とも、ちょっと思ってしまった。

世界にはほんとに沢山のゲームがあるもんなぁ。

金曜日, 10月 24, 2008

無題

ダウンロード違法、とか言うふざけた事言い出すから、急激に色々と忙しくなってしまった。

水曜日, 10月 22, 2008

明け方の夢

あれは、誰だったんだろ?

私は、(漠然と)きよえちゃんだったんじゃないかと思ってるけども、どうにも思い出せないんで、とても残念だと思ってる。

今朝、と言っても、只今の仕事が深夜勤なのと、ダンナが割と朝の早い時間に出勤なので、私は、只今仕事を終えて帰ってから、朝まで起きてて、おとーさんのお弁当を作って送り出して、それから洗濯して、その後で寝る、てパターンの生活になってて、だから主に「昼間」に寝て、夕方に起きてるんで、「今日のお昼」が、時間としては正しいんやけども、起きた時間がなんとなく「朝」って気分もあって、真昼間でありながら、気分としては、「明け方の夢」って感じがあって、だから、主観的には、やっぱり今朝の夢。

細かいとこは思い出せない。なんだかほわ~~っと、くすばいみたいな楽しい気分がとてもあって、だから、あれはきよえちゃんだったと思いたい。

まぁ、私は、まだ子供で(たぶん小学校の低学年とかそのぐらい)、その誰か(きよえちゃんだったらいいなと思っている)と、なんか歌を歌って遊んでいる。

何を歌ったのかは思い出せないけども、なんとなく交代で歌って、だけども順番に歌うんじゃなくて、お互いに、思いついたやつを思いついたところで歌って、で、その曲がシンクロしたら、手を繋ぐ、て感じの遊び。

手を繋ぐ、って言っても、横に並んで片手を繋ぐんじゃなくて、向かい合って、両手を繋ぐの。

歌って、あ、いっしょ、と思ったら、軽く合わせてる手にちょっと力を入れて握る事になってて、この「握る」タイミングも、二人が気が付くのが同時だと、やっぱりシンクロして、そこで又、あ、いっしょ、と思って相手(きよえちゃんだと思いたい)を見たら、相手もやっぱりこっちを見てて、ここで又、視線を送るタイミングが、シンクロしたのを確認できて、目と目が合った瞬間に、思わず笑っちゃうのも、やっぱりシンクロしたりして、照れくさくて、嬉しくて、そしたら相手(きよえちゃんだと思いたい)もやっぱり照れくさそうに笑ったりしてて、うふふうふふと思いながら、次の歌を歌うの。

シンクロするのが嬉しくてしょうがないから、相手(きよえちゃんだと思いたい)が歌いそうな曲を考えて、そうしてシンクロしたらば、きっと相手(きよえちゃんだと思いたい)も、私が歌いそうな曲を考えて歌ったんだ、ていうのが勝手にちゃんと分って、もう、ほっぺたがぐにゃぐにゃになるぐらい、うふふがこぼれ落ちて、それに、握った手が、ちゃんと握り返されて、だけども、ぎゅっと握るんじゃないの。

あ、いっしょ、と思った時に、ちょっと指先に力を入れて、そしたら相手(きよえちゃんだと思いたい)もおんなじように、ちょっと指先に力を入れて、、戻って来た感触から、あ、いっしょ、と思って、今度はもっとちゃんと握って、そしたら、相手(きよえちゃんだと思いたい)も、もっとちゃんと握って来て、そんなのをずっと繰り返す。

火曜日, 10月 21, 2008

集材

あーそうそう、「やえん」――「野猿」と「矢遠」があって、どっちにしたらいいのか分らないので、ひらがなで表記する事にした――で下ろした木材は、「集材所」に集める、とするのが、林業的には割と正しいみたいに思えた。

前のエントリー木材搬出「やえん」の事で、どこに下ろすのか分らない、みたいな事を書いたけども、川に下ろすにしても、道に下ろすにしても、一旦は一箇所に集めて、それから、集めた木材を目的地に向かって輸送する、と考えると、道、川の区別は(とりあえず)関係無しに、「集材所」へ集める為の一つの方法として、「やえん」がある、とは言えるんだな、と、まぁ、やっと知ったという訳。

まだ、木材搬出関連のリンクが、途中までになってるけども、(私にとっては)最大のポイントと言えるのは、木材搬出には、「集材」と言う過程があると言うのを知った事。

月曜日, 10月 20, 2008

かぎ針編み

で、続いて、「空気」について、こんな結論に至った、ささやかなエピソードについて書こうかと思ってたけども、それはちょっとおいて置く事にして――と言うか、書くのかどうかも実はあまりはっきりしていない――、ちょっと楽しい(当然、私にとって、だけど)ブログを紹介。

何となく、フランス語っぽいなぁと思っているぐらいで、私には、まるっきり読めないし、何より、ブログのタイトルからして読めない訳やけども、心配無用。文章読めなくても全然大丈夫。

ここは、私がこのblogger使うようになってから、時々なんとなく遊んでいる、「次のブロク」でひょっこり出会った、Minha Paixa~o: Croche^ ――あらら、コピペしても反映されない。元のタイトルだと、[a]の上に[~]が、[e]の上に[^]が、乗っかっていて、こんな乗っかり記号が付いた文字があると、なんとなくフランス語じゃないかと(勝手に)思っている――てサイトのリンクから行った先です。

適当に見たらなんとなく見当つくと思うけども、「かぎ針編み」関連のサイト達で、素晴らしい――と言うかまずいと言うかの判断は、著作権的に微妙なんじゃないかと思うけども――のは、大抵が、出来上がりの写真と一緒に編図(って言うのかな?)が載っているところでありまして――しかも、(たぶん)、雑誌をキャプチャしたもの――、写真見て、素敵!と思って、作ろうと思えば、作れちゃいそうなんですよ、これが、奥さん。

結果から先に言うと、いずれは作ってみたいなーと漠然と思いながら、ぼんやり眺めていると言う状態が、私好みと言うか、結局ずっと可愛い!とか素敵!から先には一度も進んでない訳やけども、眺めるのがとても楽しくて、今日もリンク辿ったりしながら、出来上がりの写真とか、編図の写真とかを眺めてたらさ、あらら、日本語。

カヴァー範囲広いなーと、感心したのが、最初にリンク貼ったサイトだったと言う訳。ここね、結構日本の雑誌からの記事があるの。

編図(?)って、結構世界共通なんだなー、やっぱ記号っていいよなー、とか思いながらも、「素敵」や「かわいい」は結構共有出来るのかもしれないよな、とも思えて、なんとなく、紹介したくなったのだった。

日曜日, 10月 19, 2008

空気

空気を読む、と言うのがどう言う事なのか、(なんと!50歳を目前にして)やっと少し分ったように思えた。

もちろん、この「空気」ってのは、たぶん文脈によって使われ方が結構違っていて、例えば2chのスレッドで、そこまでのログでもうっとくに「終わった」話題を、今初めて出たことみたいな感じの発言に対して「空気嫁」と言うのは分る。この場合は、話(≒話題)の流れを中断した事に対する非難で、過去ログ拾えば、その発言が「場違い」だったり「見当違い」だったりするのは、大抵分る。

結構前に雑誌(ファッション関連の女性誌)で読んだKY特集の例にあった、KYと言うものは、他者不在の自己中を主にKYと呼んでいるように思えて、KYと言うラベリングである必然性をあまり感じさせないものだった。

描かれたシチュエーションに、それぞれもっと適切な表現があるにも関わらず――我侭、自己中心、鈍感、無知、厚顔、幼稚、等――、全てをKYにしてしまっているように見えて、流行語らしい便利な用法だなぁ、と思っていた。

が、違うのだ。いや、違った。私が言いたかったのは、KYについてじゃなくて、「空気を読む」と言う行為についてだった。

差し当ってとても困った事はなかったので、「空気を読む」と言う行為にあまり関心がなく、だから関連書籍ぽいのも読もうと思った事もなく、だから、もしかしたらもうとっくに語られている事なのかもしれないし、逆にものすごくピントがズレているのかもしれないけども、その時は、単純に不思議だなーと思っていたのが、後になって、他にも思い当たるような出来事も出て来て、もしかしたら、こーゆーのを「空気を読む」と言うんじゃないのか?と、突然ひらめいてw、思い当たったら、何だか(私の中でだけ)ものすごい大発見みたいに思えて、記録しておきたいと思ったのよ。

最初――とは言え既にかなり長い前振りになってるな――に結論を書く。

「空気を読む」とは、相手の感情の動きを察知して、相手が望んでいるリアクションを返す事なのだ。

いや、ちょっと違う。相手の感情の流れに乗って、流れに沿った対応をする事なのだ。

うん、これだ。

土曜日, 10月 18, 2008

検索エンジン

で、今度は、百度でもって、木材搬出調べたら、googleと全然違う結果。

bloggerだとgoogleに拾われやすかったのは、日本語だったから、てのもあるのかもしれないよな、とか後で思ったけども、にしても出て来た結果が違い過ぎる上に、何だか「良くない」

無駄にblog拾わないみたいだし、何よりものすごく軽い。

と言う訳で、ツールバーをインストール。ぐぐるにさよならできるかな?

木材搬出 part.2 矢遠 野猿

で、木材搬出の続き。

つっても、ものすごく色んな種類のもんがあるし、何をどんな所でどんな段取りでもって使うのか?みたいのも全然分らんくて、とても混乱している。

んで、この際だから、とりあえず、それっぽいとこを一通りリンクしておく。

森林の管理と経営
ここに、やえんの説明もあった!
ただ、Q&A方式なんで、段取りがわからない
てか、森林の管理と経営てどんな事するのかをそもそも把握してなかった
下刈り、枝打ち、搬出、ぐらいじゃ知識以前だよな(汗)
タワーヤーダ活用の手引き
今回初めて知った、木材搬出の最新兵器(ぽいやつ)
林業機械等一覧
たぶん、販売店のページ。値段とスペック
架線集材
架線集材関係はとても沢山あって、これもその一つ
機器の名前も色々あるし、もしかして、機能も違うのかな?
ひっぱりだこ
セイレイ工業のエンジンウインチ。その名も「ひっぱりだこ」
竹修羅と矢遠
今月10日付けのブログ。ここでは、やえんは「矢遠」になってるけども、たぶん、同じようなもの。当て字なのかな?
野猿?矢遠?
こちらもブログ。架線集材を今でもやえんと呼んでるのかな?
今は昔 山林労働者の知識
ここで矢遠になってる。
木材検索、木の情報発信基地
一個上のサイトの親(?)みたいなとこ

一旦、休憩。

金曜日, 10月 17, 2008

無題

5勤開けの休みやし、柿太郎もとりあえず完成したし、で、再びうみねこに戻ろうと思いつつ、「やえん」で蹴躓いて、木材搬出についてのメモを作っておきたくなって、にしても今月こそ新しいコントローラを買おうと思いつつ、それより先に靴を買わなくちゃなーと思いつつ、それもあるけど、美容院にも何とか年内に行っておきたいなーと思いつつ、一方で、もうな~~~んにもしないで三日ぐらい寝続けてみたいなーとも思ったり。

あー、後、蜘蛛の恩返しもいっそうpしようと思ってるんやけども、前に書いたみたく、画質とサイズの兼ね合いがめんどくて、イマイチ乗れない。

ただ、これの加減が分ると、オリスクまではもう一方やったりするねんな。


かし、bloggerのエントリーのgoogleの拾い方は、明らかに異常。「木材搬出」で1ページ目に出てしまった。こうなると、検索エンジンとしての信頼度は、またまた下がってしまうな。

が、折角なんで、タイトルに「やえん」を入れとく事にしようw。

木材搬出「やえん」の事

なんか、ものすごくびっくりした。

「やえん」でぐぐったら「もしかしてやえん(野猿)と出たのだ。

素直にそのまま辿って行っても、私が求めるところの「やえん」はない。

「やえん」ってもうとっくに死語になってたん?と驚きつつ、百度とYahoo!でも念の為調べてみたけど、どっちもアウト。

ううう、もしかして、方言やったんやろか?と思って、国語辞書で調べてみたら、私が求める「やえん」は出てなかった。

そんなのまでキャプチャするのはさすがにめんどいんで、コピペしとくね。

と、思って改めてgoo辞書出したらコピペするほど長い文章じゃない上に、調べたいものよりも、広告の方がずっとずっと多くて、何だか微妙にムカついたんで、これもキャプチャして画像で貼り付ける事にした。

と言う事で、私が言いたかった「やえん」はもしかしたら「死語」になったんじゃなくて、元々方言だったのかもしれないなーと思ったけども、ざっくり眺めてみたら、ひとつだけ、(たぶん)私が思っているところと同じ意味で「やえん」を使ってるのを発見したんで、リンクしてみるね。

↑これは、森林からのニッポン再生さんとこにあるエントリーのキャッシュで、コメント欄に書かれてる「やえん」が、たぶん私の言いたい「やえん」と一緒。


というあたりで、どうも「やえん」てあんまりメジャーな言葉じゃ無いと言うか、知られてない言葉なのかもしれないなー、と思って、私が知ってる解説してみようかと思うけども、私も「見た事がある」だけで、具体的な使い方までは知らんのやけども、山で切り出した木材を搬出する為に使う機器(道具?)で、急斜面だったり道がなかったりする場所から、下まで――今でもそうなのかは知らないし、私が子供の頃に見た「やえん」が木材を「「道」まで下ろす為に使ったのか、「川」まで下ろす為に使ったのかは、分らない。もっと昔。父が子供の頃は、「やえん」は木材を「川」に下ろす為に使って、「筏」状態にして河口周辺に広がる製剤所まで運んだと聞いたように思うけれど、真偽の方は確かめてない。――下ろすために使う、簡単な作りのロープウェーみたいなやつで、私が子供の頃には、夏に(とも限らないけど)ばあちゃんちの近くの川で遊んでいる時なんかに、時々ぶら下がってるのを見かけて、父からあれは「やえん」と言うのだと教えてもらったのね。

父の実家(ばあちゃんち)は十津川とか北山とは違って、熊野川の支流になる場所やけども、筏にして流した、の部分は(いつ頃までやってたのかは不明やけども)間違ってはいないみたい。

と、あったあった。「やえん」で検索したらなかったけども、「木材搬出」で出て来たよ。

pdfはうっとおしいんで、html化とか言う方にリンクするね。

あーあ、何か力つきてきたから、とりあえずここまで。

#画像が思ったような形でつけられるのかどうか、ちょっと不安。

さて、勝手に力尽きて、勝手に持ち直したw

話が突然「やえん」で失礼しました。ダンナがさ、ここんところは、新しい作業、「雑木伐採」に入ってて、これがどうも中々むずいらしくて、大変だー大変だーと言ってて、そうなんかー、大変なんかー、無茶せんよーにねー、とか話してる今日この頃やねんな。

んで、現場を聞くとかなりの山奥。上のリンクにもあるけども、北山の方みたい。つか、見せてもらった現場周辺の地図が、地形図閲覧システムの地図にとてもよく似てたんで、およよ、と思って改めて調べたらば、地形図閲覧システムは前はβ版だったのが、そうじゃなくなって、それよりも、名前もリンク先も変更になってて、まさ、とりあえずリンク貼っておくね。

国内だけやけども、(私的には)この地図の魅力は「等高線」と、「地図記号」がついてるとこで、googleマップよりも好き。プリントアウトは出来ないらしいけども、プリンタ持ってないから、あんまり関係ないw

まさ、元々が紙の地図なんで、ダンナが持ってた現場の地図を私がウェブ上で確認したみたいな作業になるんやろなーとか思うけども、ほおほお言いながら場所確認して、初めて熊野市(地元では「きのもと」と呼んでいる)と北山ってば、奥のほうでくっついてたのを知って、とてもびっくりしながら、おとーさんが今行ってるらしい現場が、かなりの急斜面ぽいのを、地図を見て再認識して――急斜面とは聞いてたけども、等高線の「詰まり具合」と、後、川辺は、地図記号で言う所の「崖」になってたりするのを見て、おお!と、感心したのだった――、それから、こんなとこからの搬出ってば、今はどうやってるんやろか?と思って、「やえん」でちょっと蹴躓いて、とりあえず、「やえん」について書いておこうと思ったんで――深い意味はない。やえんについて書いたものがなさ過ぎたのが気に入らなかった――、後先あんまり考えずにエントリー上げたんだわ。

が、まだ続くのは、その流れで調べた木材搬出の方法とか、それ用の器機とかが面白くて、まとめるのはむずいけども、ざっくりした流れを追ってみたいなーとか思ったり、後、リンク貼っておきたいな、と。

火曜日, 10月 14, 2008

ガセネタ

子供から聞いて(子供は子供のツレから聞いて来た)、エスターク10ターンで倒したよ。

レベル上げて、種つぎ込んで、(私に)考えられる最強と思える方法で、祈るような気持ちで、やった!10ターン!と思ったけども、仲間にならなかったよ。

仲間になる系は罪作りだよねー、聞いた事あるの多かったばっかりじゃなしに、ここに乗ってないのでも、似たようなのって色々あったよね。

なんかさ、実際にあったりそうじゃなかったり、て部分が面白いてのもあるし――「なんとかしたい」て気持ちが「もしかしたらあるんじゃないか」を生むみたいのってあるし――、製作者の人が、その辺を汲んで次回作に繋げたりみたいのがあるてのも、シリーズ物の魅力の一つになってるとも思うしな。

バイオ2の隠しキャラだったハンクは、4のマセーナリーズで出てて、うおーと思ったし、技もすごくカッコよかった。マセーナリーズでトーフは流石に避けたいけどさ(ナイフだけだし)w

たださー、聞いた技は(可能な限りは)たいてい試してた私やけども、騙された~ぷんぷん。みたいのはあんまりないなぁ。

ガセかガセじゃないかは、プレイしたら分る訳やし、つーかむしろ「実際に確かめたい」て気持ちの方がずっとずっと大きくて、ガセに踊るのもゲームの楽しみの一つじゃないかと思うよ。

空振りしたらしたで、とても心に残るしねw

蜘蛛の恩返しは完成したが

そうこうしながら、柿太郎物語part2.「蜘蛛の恩返し」NscripterVar.は何だかんだで一応の完成をみて、DVD-Rに本体込みでデータとして焼いて、実家に持って行った。

ほんとは、もうちょっといじりたいところもあったんやけども、せっかくの父の力作(?)をこーゆーふーに利用してみたよ、みたいのを見せたくて、とりあえず、ね。

で、以下に利用させてもらったあれこれを少々。

ひぐらしのなく頃に you
音楽はこれをぶっこ抜き
DL方法は、ちょっと前まではYouTubeの動画を保存するツールさんとこの、『ClipTube for Irvine』を使ってたけども、この頃は、Firefoxのプラグインじゃなくて、アドオンて呼ぶのか、まあ、それのDownloadHelper 3.3を使ってる
見かけたやつを単独でDLするには後者が、ドラマやアニメみたいな続きもんで、且つサイズがでかい場合は、前者がいいかな?とか漠然と思ってるけども、今日びはYoutubeやニコニコで映画やアニメを見る事は少なくて――パンドラTVみたく、サイズの上限がなくて画質のいい(且つ、削除され難い)動画共有サイトを利用する方がストレスが少ない――、どっちかで言うと、楽曲目当てのDL利用の方が多いんで、DLに関しては、ほぼDownloadHelperで間に合ってる、てのが私の実情
で、DLしてきた.flvファイルから.mp3を引っ張るのに使っているのが
Mil Besosさんとこの、『HugFlash』
もう、これにはほんとお世話になってる。勝手アルバムは元より、勝手動画作る時にも、利用させてもらってます。ありがとうございます
てな感じで音の方をyouに決めて、次が背景と登場人物とスプライトの為の画像探し
これはイメージ検索でてきとーにやった
キャラ画像も込みで、今回検索する際に使った検索ワードを列記
  • 田舎道
  • 古民家
  • 田舎娘
  • 着物姿
  • 桃太郎
  • 蜘蛛
  • 反物
  • 障子
  • 和室
  • 機織機
  • ハート
上にないけども、前に夏影のフォトムービーを作ろうとして拾った「夏空」画像も今回再利用した
DLしたの全てをカバーはちょいと厳しいけども、後から調べて分ったのだけ少々
着物姿画像検索から採用させてもらったのは
おせんの、蒼井優さんのの着物姿画像(どうもオフィシャルからの無断転載らしいけども(汗))
田舎道画像検索から採用させてもらったのは
飛鳥旅行顛末記の中ごろあたりにある、『3.謎なくらいに石だらけ(高松塚古墳→川原寺跡)』のとこにある写真
柿太郎の絵を作ろうとして利用させてもらったのは
(創作童話?)桃太郎の中ごろにある桃太郎画像
柿太郎の奥さんが篭った部屋の画像として利用させてもらったのは
草津 古民家の写真
柿太郎の住んでいる家として採用させてもらったのは
赤羽自然観察公園の古民家
まだまだあるけど、だいたいこんな感じ
で、画像の処理に利用したソフトは
winのペイント
IrfanView(前はまんまで使ってたけども、折角なんで日本語化してみた。が、日本語化のメリットが殆ど分らないぐらい「使いこなせていない」

書いてみると、結構大掛かりにも見えるなw。

で、今日は折角なんで(←なぜ折角?と書いてから思った)、このゲーム画面(?)をいっちょ録画して動画仕立てにしてみようと思い立って、ちょっとやってたんだわ。

んで、こっちの方は、まだ完成をみてないけども、テストの方は通ったんで、大胆にもうpしてしまうのだった。


つーか、何時までもアップロードが終わらないんで、ちょっと気になって動画のサイズを見たら、むっちゃでかい。いやさ、コーデックを自分で選んだ訳じゃナシに、ソフトの方で勝手にやっちゃった、みたいな感じやったんやけども、自慢じゃないけど、いいやつも入ってる訳で、もしかしたら、「最良」のコーデック選んだのかしら?

おっと忘れてた。録画ソフトとして使ったのは、小紅さんの、劇場版 ディスプレイキャプチャー あれて、やつで、ともよちゃんとケロちゃんが居るやつ。

と、ここまで書いてもまだうpが終わらないんで、キャンセルして、エンコードする事にしました。

.aviファイルをエンコードするのに利用しているソフトは、二つあって、一つは、winに付属のムービーメーカーで、これだと.wmv形式になるけども、対応してたなら、サイズは最小。最もよく使ってるのは、フリーウェアの方のTMPGEncやねんけども、およよ、新しいヴァージョンが出てるぽい。乗り換えようかな?

月曜日, 10月 13, 2008

仔犬物語

仔犬が、親や飼い主とはぐれて迷子になってしまう。

何も知らない仔犬は、川に落ちたり、他の犬や人間に追いかけられたり、時には親切な野良犬や人間に出会ったりしながら、旅を続け、仔犬ながらも、次第に逞しく賢くなってゆく。

そして、とうとう、懐かしい我が家が見えたのだ。

遠くで飼い主が手を振るのが見える。一声吼えて、そこに向かって緑の大地を駆け出す仔犬。

てところで、ストップモーション。楽曲が流れてエンドロール。

無事に戻れてよかったなぁ、逞しくなったもんだなぁ、と、映画館の座席に座った私は、胸を撫で下ろした。

と言う夢を見た事があって、夢の中で映画やTVを見ている、と言うんじゃなくて、夢の中身が当初は全て「仔犬物語」だけで、ただ仔犬の行動を見続けてるの。

夢を見ている夢を見る、ってのはそれまでも時々あったけども――つーか、金縛りに合う時なんかは、起きても起きても夢の中、て感じですごく消耗する――、「私は映画を見ていた」と夢の中で気がついたのが、ストップモーションがかかった時で、それから、夢の中で、今まで見てたのって映画やったんやなー、と思い直して、それから、夢の中で、そろそろ(映画館を)出ようかな、みたいな事を考えたあたりで、何だか覚醒して来て、おおっ!?と思ったところで目が覚めた。

まさ、上に書いた「仔犬物語」のストーリーの詳細は結構後付やねんけども、川に落ちて犬掻きするシーンとか、緑の芝生みたいなとこで駆け出すシーンとかは、思い出せたりするねんな。後、映画館だと気がついた時には、「仔犬物語」ってタイトルも既に「知って」たりするのも夢の不思議。

にしても、「ストップモーション」が出る瞬間まで、ずっと犬が主人公の夢を見てて、あそこで、一旦犬のお話から覚醒して、その後、映画館に居る私から覚醒する、てな、入れ子になったややこしい夢。かし、何で犬だったんだろ?

土曜日, 10月 11, 2008

写真ねぇ

で、柿太郎物語part.2「蜘蛛の恩返し」のデジタル紙芝居化を目指してぐちゃぐちゃ遊んでる訳やけども、まさ、差し当ってはまるっきり公開みたいのは、考えてない、お勉強――て言うのはかなり語弊があるとは思うけども、お遊び、と書くには、ちょっとばかり「学習項目」みたいのが多過ぎるようにも思えて、つーか、遊びと学習の線引きそのものが微妙ちゃ微妙やけども、楽しみの部分よりは、学習要素のが気持ち多いしなーと思って、お勉強と書いてみた訳やけども、ここまで書いてから、やっと「チュートリアル」てな言葉を思い出して、おーそれそれ、私てば、只今「Nscripterのチュートリアル」をプレイしてる状態なんだなー、と思い当たった。――がらみの実験なんで、さして深く考えたりもしないで、てきとーに気に入った画像をDLしちゃ、勝手に加工して利用してる訳やけども、さて、こんな風な形で公開されてる写真やら画像やらの著作権てどうなってるのかなー、と、今更のように気になって来て、ちょっと調べた。

ほうほう、面白いな。引用とか、教育目的の場合とか、色んなケースが想定されてて、勉強になるー。だけども、これは、プロカメラマンのお話ぽいな。

一般人が風景を撮ったりした写真をウェブにUPしてるやつって、どこまで著作権なのかは、かなり微妙な線て気はする。ほれ、モブログに写メうpてば、私もやってるし、少なくとも、あれで著作権うんぬんを言おうとはあまり思えないもんな。

こんなのって、例のGoogleストリートビューじゃないけども、その写真の利用てのは「著作権を侵害してるのか?いないのか?て問いの立て方」じゃどっか違ってるんじゃないかって気がする。

ただ、平凡に考えて、自分が撮った写真でもないのに、自分が撮った事にしちゃったり――元々そういった意図のあるなしに関わらず、そう思われてもしょうがないような状態にしている事も含むつもり――、恣意的な利用によって写真を撮った人に迷惑がかかるような場合、簡単に言うならば「悪用」やね――心霊写真仕立てにして、公開してみたり(流言と言ってもいいのかな?言葉じゃないけど)、写真と個人情報を紐つけた情報を公開したり(プライバシーの侵害かな?)、みたいのは、著作権以前の問題でアウトだよな、と思う。

後、めんどいな思うのは、営利目的の写真と個人のスナップが思う存分混在してる只今のウェブですと、私みたくイメージ検索して、その画像が用いられてるサイトの方は必ずしも見る訳じゃない上に、元イメージの最大化から、気に入ったやつをDLしたりしてますと、その区別があんまりつかないんだわ。

(営利目的と言える)企業のサイトだけじゃなしに、個人のサイトでも、営業目的のサイトと、そうじゃないサイトとでは、写真のポジションみたいのがかなり違ってくるだろうなー、とも思うけど、そっちの方の区別もつかない(すみません。つかないんじゃなくて、めんどいからつけようとしていない、でした)。

いやね、私が雑で乱暴だから、てのもあるかもしれんけど、個人で画像を利用する際て、そんなもんじゃないの?

もっともね、ウェブに公開してるぶんには、ある程度の2次利用(気に入った写真を壁紙にするとか、そんなの)は織り込み済みだろうと思ってるし、だいたいが、写真で喰うのと、写真の著作権で喰うのとは、かなりニュアンスが違うんで、そこら辺もむずいよなー、と、改めて思った。

あー、そうそう、後、肖像権ね。写真を撮る事を許可するのと、その公開を許可するのとではかなり範囲が違って来るし、一般人と有名人とでも抱える問題て、変わってくるよな。

こう考えてると、「写真」てのは、営利と非営利てな関係だけじゃナシに、撮影者と被写体――これが又、人、もの、風景の違いから、何からで違って来るし――の両方が無いと成立しない、みたいな部分も絡んでくるし、とは言え、同じ被写体を複数が撮影する事も可能だったりもして、複雑なもんだよなー、と、つくづくと。


あー、そうそう、著作権とか肖像権とか、そんなのとはあんま関係ないけども、今回画像探ししてて、とても面白いなと思ったサービスがあったんで、ここに書いとくね。

この検索エンジンの画像検索についてるスライドショー機能が、とても楽しい。

後、アルバム表示てのもあって、しかも軽い。

オカルト?

こないだ書いたプレコックス感のつづきのところで、霊感と疑似科学のと境界が曖昧だからみたいな事書いたけども、さっき、ちょっと思いついたところがあるんで、メモ。↓ここんとこの事

#ただねー、こんなんって、似非科学との境界がとてもとても曖昧になってしまう上に、何でもアリにもなってしまいかねないんで、怖いちゃ怖いねんけども、必ずしも無いとも言えないんじゃないのかな、と、思ってしまう非科学的な私。

「説明できないはずものを無理筋で説明しちゃって、科学を装っている」のが疑似科学、みたいな分け方は出来るかもしれないな。と。

まさ、科学のフリをしてるのが疑似科学だから、元々オカルトとは別のもんやけども、私の立場てば、、No:疑似科学Yes:オカルトて感じかもしれないな。

金曜日, 10月 10, 2008

蜘蛛の恩返し

で、行き当たりばったりだと、自分が何やっていいかが、分らなくなってしまうように思えて、と言うか、分らなくなって、当初の予定通り(?)、蜘蛛の恩返し(=Spider's Repay)のデジタル紙芝居化にトライする事にしてしまった。

いや~、いんたーねっとすげー。


いやね、もう随分昔の事になるんやけども、私の初めてのPCはmacのperformerで、まだ、DirectXが出たばっかりの頃で、PCをコンシューマゲーム機の上位機種だと捉えてた私は――この事を子供や子供のツレに話したら、むちゃくちゃ馬鹿にされた――、ゲームするんだからmac、て感じで何の迷いも無く、ダイエーで安売りになってた一体型performerを(へそくり全てはたいて)買って、買ってしまってから、スペックの低さと、パソゲーのお値段の高さにびっくりして、それでもパソコン通信たらいうのをやったらフリーゲームと言うのがプレイできるらしいから、そこで埋め合わせようと思っていたら、当時のPCでは、モデムは「別売り」で、しかもお値段が40,000円ぐらいして、しかもしかも、ネットに繋いだりしたら、通信費がむちゃくちゃかかってしまうとダンナに脅され、何だか八方塞がりだよなー、とか思いつつ、それでも、初めてのPCはそれはそれは面白く、度々OSのインストールしたり、強制終了したりしながらも、楽しく遊ばせてもらってた。


てな、大昔のmacのお話をイマサラ書いた理由は、それなりにありまして、あの時、私はmacにHyperCardてのがあるのを知って、おお、これやったら、選択肢で進んでいくタイプのアドベンチャーゲームぐらいやったら、かなり簡単に作れそうじゃん、とか思って、やってみようとしてたのよ。

#今になって考えると、何が無謀って、「ゲームの中身」をまるっきり考えてない状態で、それっぽい演出なり選択肢なりを作っては、動いたー、音がしたー、と喜んでた訳で、これじゃ出来上がる訳がない。
#が、再び考えるに、殆ど同じノリで今回もやってたりする

が、あっちゅうまに挫折した。

ゲームと言う形に行く以前に、「絵」を描くのにくたびれてしまって、ああ、私が3人ぐらい居たらなー、とか思いつつなげてまったのよ。

ちゃんと考えてみたら分る事やねんけども、ビデオゲームってば、大部分が視覚化されてるのよね。壁の様子なんかは、元々ついてたオマケ画像で何とかなったけども、ここにこれがあって、の「これ」とかこれを足で蹴っての「足で蹴る」とか、ドアを開けたら噴水があった、の「噴水」とか、それはそれはびっくりするぐらいの画像データが必要で、しかも、こっちの武器はキッドピクスだけの上に、ハイパーカードの方は、色をカバーしてなくて、しかも音声は、元からmacに内蔵されてたビープ音ぐらい。

たとえたいそーな事考えてなかったとしても(いや、実際たいそーな事は考えてなかった)、それを実現するのは、結構困難でありまして、狭い部屋から(自分で作った手掛かりを自分で探して←百発百中!)、抜け出して、大広間に出て、壁にあった割れ目を発見した、てなあたりで、私の初アドベンチャーゲームもどきは空中分解してしまったのよ。

が、今回。インターネットすげー。至る所「素材」だらけ。しかも、フリーソフトでその素材をかなり自由にカスタマイズ出来て(当然のようにフルカラー!!)、音の方も、CDからひっぱりーの、ネットから拾いーの、出来てしまって、ソフトの力でもって、エフェクトも楽々。

そんな訳で、すげーらくー、と、感動しながら、たぶん、2、3日中には、デジタル紙芝居「蜘蛛の恩返し」は完成しそうよ。

火曜日, 10月 07, 2008

NScripter体験

うみねこやってたら、ひょっこり気が向いて、ついついNScripterをばちょっと弄ってみたくなってしまって、うっかりDL。

いやさ、(1)オリスク作ってみようとはあんまり思えなかった訳やけども、沢山の有名同人ゲーを作った、「あの」NScripterって、どんなんやろか?と何だか気になって来て、それならば、触ってみるのが一番だよな、つか、フリーソフトなんだもの、ちょっとぐらいいいよね??ね?と、誰かに言い訳する必要もないねんけども、何だかごめんねー、こんなんで、とか思いながらも、(2)解説サイトとかも当って、ほぉぉ、ノベルゲーム専用ソフトってこんなんなんやー、と感心しつつ、何にも無いんじゃ結局何にも出来ないよなーとか思って、とりあえず、日頃見かけたら拾ってしまうネコ画像を利用して、「みけーれたち」を登場させてみる事にした。

いやさ、(たぶん)自分で絵を描いた方が簡単だったんじゃないかとは思ってたけども、そこはそれ、素材に感情移入出来ないと、楽しさが半減しちゃうじゃないのさ。

という訳で、短い文章に三匹の(実写)ネコを登場させる為に、ず~~っと、ドットをポチポチやって、予想以上に、素材の準備にばかり時間を喰ってしまった。

これが、三匹が順番に登場して、ピンクの声で鳴いている、てなシーンとしては、3番目のところ。

スクリプト以前に、photo関連のフリーソフトを先に探した方がよかったのかなぁ、とか思いながらも、こんな作業って、無駄に楽しいんだよね。

あーあ、お話作れる能力みたいのがあったらば、もっともっと楽しいんだろうなぁ。

じいちゃん(=父)みたく、ストーリーの方は、お馴染みの昔話にでもして、とりあえず、デジタル紙芝居みたいな形にしてしまおうかなぁ。

それやってたら、使い方みたいのも一通りわかるんじゃないかなぁ。いやさ、さしたる目的はないねんけどもね。うん。ついよ、つい。

三匹の子猫(三匹の子豚にちなんだ)とか、三匹ネコのにゃんにゃかにゃん(三匹山羊のガラガラドンにちなんだ)とかにしといたら、お話考えなくてもいいじゃん。わー、父の娘だ。

あー、後、三匹の名前は、「みけーれ」「こみけーれ」「まごみけーれ」。やけくそやな。

ちなみに、この三匹の中央に居る三毛猫は、例の和歌山電鐵貴志川線「たま駅長」で、後にひかえるチャトラは、助役のミーコです。子猫の方は、適当に拾って来たやつw

(1)オリスク作ってみようとはあまり思えなかった
過去日記よr、オリスク
(2)開設サイト
NScripter講座とかBinary Heavenとか

日曜日, 10月 05, 2008

ベジタリアンとか

元文を当ろうと思ったら、引っ越しのごたごたでどっかにしまい込んでるみたいで、本棚にはなかったんで、とりあえず記憶で書きます。

元文てのは、カナダエスキモー@本田勝一にあった一文てで、結構昔読んだ本だったのが、ひょっこり思い出したぐらいだから、結構印象的な部分だったんじゃないかとは思う。

この本も、本田勝一のルポルタージュのひとつで、私は、エスキモーに特に興味があった訳じゃないけども、大島弓子のいちご物語が大好きで、漠然とラップランドてどんな所なんだろう?みたいな憧れを持ってて、エスキモーの暮らしが書かれた本ならば読んでみよう、と思って買ったのだった。

本書が手元にないんで、引用すらままならず、印象だけのお話になってしまうけれど、極地での暮らしや、夫婦の分業のあり方、狩で暮らしを立てる様子なんかが具体的に書かれてて、とても面白かった。

さて、そのぐらいおぼろげな記憶が、 ヴェジタリアンから幾つかてなエントリーを読んだら、急に出て来たんだわ。

前半部分は、まぁそうですか。てな感じです。私個人は、食べる事にあまり大きな拘りはなく、腹が減ったら腹具合に応じて食べるて感じで、ベジタリアンも、美食も、どちらも別世界の人といった印象の方が大きいので、そう言う意味で面白い(珍しい)、てな感じでした。

だけども。

そんなのわかるわけねえじゃねえか。少なくともそんな単純なものではない。例えば、狩猟が日本と比べてはるかに文化として根付いている米国(それも開拓時代の米国)でも、『子鹿物語』のようにそれなりの葛藤がある*4。また、日本では様々な〈供養〉文化が発達している。さらに、アイヌのイヨマンテを初めとして、殺生に対しては複雑な神話的・儀礼的な正当化が要請されることも多々ある。単純だと思うもう一つのことは、「かわいそう」と「わらってころす」の二分法。殺生という対人関係或いは対動物関係にはエロティックな側面、ハレとしての側面があるが、その二分法はそうした関係の濃さを消去してしまうのだ。殺生のこうした側面については、横井清『的と胞衣』所収のテクストを参照して、さらに考えたいのだが、この本は今手許になし。ところで、エロティックな関係としての殺生ということを考えるきっかけとなったのは、ペドロ・アルモドバル監督の『トーク・トゥ・ハー』の女闘牛士・リディアがコスチュームに着替えるシーンだったのだ。

この一文には、結構違和感がありました。

てのは、このカナダエスキモーの中ひとりの登場人物で、リーダー的ポジジョンに居る男性――と言っても、たしか、書かれた時点で既に少数民族で、4世帯ぐらいの狭い世界の暮らしだったように思うけども、それも確かめようが無いです。ご存知の方がいらしたら、そこら辺、教えてもらえると嬉しいです。――が、幾分、「西洋文明」に興味を持っていて、かつ、向上心が強いタイプだったんですね。

で、彼は、自分と近しい場所に居る他者であるところの、キリスト教文化を少しずつ学んでいまして、その事によって他のメンバーが「持っていない」狩に対する「罪悪感」を持ち始めたように見えた、みたいな記述がある訳(正確には、あったように思った、ですが)ですよ。

てな前提で考えて見ますと、最初に宗教的な生命倫理のようなものがあって初めて「葛藤」が生まれた訳で、必ずしも「葛藤」は自然発生的なものとは言えないんじゃないかと思うんです。

私は、「子鹿物語」読んではいませんが、「開拓時代の米国」てのは、かなりカトリック的な宗教観が強い世界だったんじゃないかとも思えるので、見方を変えるならば、かなり「固有」の宗教観を前提として書かれたものと考えても差し支えないように思えます。

また、キリスト教圏では、動植物を「擬人化」する事も少なくないので、いっそう葛藤が強まりやすいようにも思えるのです。

次に、日本に於ける「供養の文化」がどういったものを示しているのかは、この文章からは分かりませんが、基本的に「死者の供養」は、「死者を恐れる」事から始まった、かなり「本能的」な側面の方が強く、「かわいそう」とは、直接的には結び付かないんじゃないかと考えています。

狩猟ならば、アイヌを引かずとも、日本でもマタギというものがあり、彼らも、かなり独特の宗教的な儀式を行っていたようです。

が、私はこれらを、殺生への罪悪感を正当化する為のものと言う見方はしません。

狩猟に限らず、よりバクチ要素の強い活動ほど、ゲンを担ぐ傾向が強い、で、充分説明可能じゃないかと思うのです。

もちろん、そんな簡単なものじゃないのかもしれません。が、「かわいそう」て、結構簡単な部分があるんじゃないのか、とも思っているのです。

丁度いい具合に、(読んでないけど)「子供のかなしみの世界」と言う本へのリンクが張られていて思い当たったのですが、私個人の感覚(と、体験から)に過ぎないので、当然一概には言えないのですが、「子供のかなしみの世界」と言うのは、「恐怖」と言う本能的な部分を元に形作られている部分が少なくないと感じています。

わたくしごとで恐縮ですが、私は子供の頃、尾頭付きの、と言うか、目玉のついている魚が食べられませんでした。「かわいそうだから」と言った私に、「やさしいのね」と言った大人が居た訳ですが、そう言われても、私は、自分がやさしくない事は分っていました。そして、そこで「かわいそう」は、つまり「怖い」だったんだと気がついた訳です。私は、魚に「恨まれそう」に思えて、魚が食べられなかったんです。

子供の「かわいそう」は、少なくとも私の場合に関して言うならば、とても利己的なものでした。

死にしても、エロティックなものにしても、それは、どこまで行っても個人的で利己的なものではないでしょうか。この文脈(生活者として生き物を殺す人について書いていると思っています)で、それを出すのは、アンフェアであるように思いました。

又、「殺生」と言う言葉の用い方も、恣意的であるように思えました。喰う為に殺すのは「殺生」と呼ばないと思っていたのです。

ところが、本文では、狩猟を生業とする人の為す儀式を、「殺生」を正当化する為になされている、と言う風に解釈されている(私には、そう読めました)。

これでは、「供養」と「殺生」がセットになってしまんじゃないでしょうか?キリスト教と仏教が入り混じっているように思えます。

もちろん、私にその細かい区分は分らないし、今の私たちの文化では、そういった混同も、心情的にはわかる気もするのですが、正直嫌な混同だと思いました。

ただ、「死とエロス」とか「殺しと言う行為」みたいなテーマは、とても興味深いとは思っていますので、こういった事とは別の文脈で一度読んでみたいと思います。

紗音のほっぺがかわいかったから

やっぱ私は、紗音嘉音の二人がいいな。

土曜日, 10月 04, 2008

うみねこ更新したよ

んで、こっちに書いてないと言うか、更新報告みたいな事も書いてなかったけども、ちびちびながらうみねこやってます。

更新履歴も一元化w。ラベル分けで多少は何とかなるんじゃないかと、勝手に期待している。

木曜日, 10月 02, 2008

「プレコックス感」の事から

さて、前のお話が尻切れトンボになってしまったのには、(一応)それなりの訳がある。

あれがきっかけになって、二つの事が気になって、それがうまい事繋がらなくて、どっちを、又は、どっちから書いた方がいいのか?みたいな気分と、この二つの事が、前に書いた私の「プレコップス感(かもしれない)」体験とはあんまり関係ない事なのとで、自分でも何から書いたらいいのかが分らなくなってしまったから、てのが最大の「訳」やけども、思いついた二つの事そのものが、既にどちらも夫々別方向の、何だかものすごい広がりを持っていて、どうにもこうにも手が出ないよなー、と(勝手に)困ってしまったのだった。

とは言え、何度となく考えた事だったりもするし、一方で文章化した事はまるっきりなかったりもした事だったりもするんで、とりあえずだらだらでもいいから書いてみる。


先ずは、二つの事について。

一つは、「私の正常」への猜疑心についてで、もう一つは、言葉じゃない(≒言葉に出来ない)情報について。

ね、全然ベクトル違うでしょ。

#ああ、重たいなぁ、つか、考えようとした事は何度かあるけど、その度、これは私の仕事じゃない、とか思ってスルーしてたんだわ。
#だって、「私の正常」なんて、私に判断できる事じゃないじゃないの。
#「言葉に出来ない情報」を「言葉」にするって、不毛とは思わないけども、なんと言いますか、一般人の仕事じゃなくて、「文豪」とか「天才」とか、ソッチの人の仕事だと思わない?

んで、どう考えても、まるっきり方向性が違うんで、差しあたっては、どっちかで言うと「書き易い」ように思える言葉に出来ない情報から書いてみようと思う。

けど、疲れたんで、もうちょっと後から書きます――←ここの部分は後から消すかもしれない。出来るだけ、書き直さずに、線を引いて訂正したいとは思ってるけども、時々、それじゃ読みにくいよなーと思う事もあって、そんな時には、ざっくり書き直したりもします――。


とと、元エントリーの関連エントリーのリンク先に、私が考えてた事と似てる事が書いてる。

こちらのエントリーは、もっと科学的だけども、基本的な部分で、私の考えてた事と結構クロスしてたりしてるようにも思えて、ああ、慌てて書かなくて良かったw。

いやね、私が書こうと思ってたのは、「霊感」についてで、私の場合は、このリンク先みたく科学的なもんじゃないけども、結構長い間、「霊感」てのは、洞察力は優れているけれども、言語化が稚拙だったり、あるいは心霊現象を内面化している為に心霊的な表現になってしまっている状態から発せられた言葉って部分も少なくないんじゃないかと思ってたのよ。

「洞察力」じゃイマイチ不適切な言葉だなとも思うけども、思いつかなかったんで、とりあえずこう書いた。
霊感と占いの違いになるのかもしれないけども、心理的な微妙な変化だけじゃなしに、それこそ、臭いとか、光とかみたいな、人の気持ちに直接関係のない情報も込みでの「周辺情報」みたいなものへの感受性を示したかった。
適切な言葉ってある?気持ちとしては、五感から得られるあらゆる情報を示したいねんけども。

で、臭いから霊感って結構飛躍ちゃ飛躍やねんけども、最初に元エントリー読んだ時に、臭い「だけ」ってもんでもないんじゃね?と思ったのが、霊感への飛躍の元でもあった訳んだわ。

ものすごく多くの情報を得る力があって、だけども出力の部分に説得力に欠けていたり、ある種のバイアスがかかったりする為に、「霊感」てな表現に貶められてはいるけれども、それは必ずしも非科学的なものではないんじゃないのか?みたいな気持ちがある訳よ。

又、一方で、それを非科学的なものと断定してしまうような態度も、ある意味非科学的なんじゃないのか?と。

#ただねー、こんなんって、似非科学との境界がとてもとても曖昧になってしまう上に、何でもアリにもなってしまいかねないんで、怖いちゃ怖いねんけども、必ずしも無いとも言えないんじゃないのかな、と、思ってしまう非科学的な私。

ああ、言葉が足りてない。私が言う霊感は、霊能力者とかそんな特別な人の話じゃなくて、もっとふつーに私の周りに居る、勘がいいとか、霊感がある、てやつで、だいたいが、自分でそうは言うけども、特に自分をアピる為に使う訳じゃないような場合。そんな人が、ひょっこり口にする霊感てやつ。

何かの拍子に、悪い予感がするから止しておこう、と言ったり、死んだばーちゃんが泣いてる声が聞こえたから止めにしたんだよ、みたいな類の話で、私が(いわゆる)人間的に充分信頼している人が口にするところの、霊感の事。

私は、そんなの聞いた時には、充分な裏づけが無くても、大抵従っちゃうんだよね。死んだばーちゃんの声は思い過ごしだろー、と思ってはいても、「止めた方がいい」て判断に関しては、根拠が無くても採用しちゃうのよ。

「プレコックス感」の事

むーん。残念。「プレコックス感」と言うのにかなり興味を持っていたのだ。

私がこの言葉を知ったのも、このエントリーのリンク先にある、サイコドクターぶらり旅(当時は、「暴れ旅」だった)の総合失調症に関する記述のところやねんけども、へぇ~そんなのがあるんだ、以上の強い興味を持ったのは、書いた人であるところの、風野先生には感じられなかった(らしい)けれども、分る人には分るらしい「プレコックス感」てどんなものなのかをとても知りたいと思ったからだったんだわ。

が、その時調べた限りでは、結局どんなものなのかは分らず、又、風野先生はどちらかと言うと好ましくない方向から、この「プレコックス感」について書かれていたし、これを診断の基準にみたいなのにするのは、マズいんじゃないかなー、と、私も感じたりしたし、それ以上に、私は(さし当っては)総合失調症を煩っている訳でもないので、機会があれば考えてみてもいいかな、みたいな感じで記憶の片隅に追いやっていたんだわ。

まぁ、この際だから書いてしまうと、多くの人が私と似たような経験をしているのかどうかも不明なんで、気にする事自体があまり意味がないのかもしれないけれど、私は、たま~に、「何とも言いようのない独特の雰囲気を持っている」と言われることがあって、それは、必ずしも褒めているってニュアンスじゃなくて、面と向かって「変な雰囲気」と言われた訳ではないけれど、少なくとも「よいもの」とは言えない、何とも言い難い独特なものを感じさせる事があるみたいなんだわ。

以下、具体例と言うか、私が「プレコックス感」についつい反応してしまうようになった、幾つかの体験について書いてみる。


小学中学年の頃、ハンドルでも時々使っている「naoke」と、呼ばれるようになった訳やけども、それまでは「なおちゃん」と呼ばれる事が多かった。

が、同じクラスにもう一人「なおちゃん」が居て、イントネーションが違っていたんやけども、「どっちのなおちゃん?」みたいな混乱が起きたのね。

その時、誰かが面白がって私を「なおけ」にしてから、すっかり定着した訳やねん。

でもさ、「け」って突拍子もなくね?ところが、何故か本名の名前よりも、むちゃくちゃ定着率がよくて未だに古い友人からはそう呼ばれてる訳やけども、ある時、あーこの子「なおけ」って呼んでるんやで~、みたいな感じで、新たに遊ぶようになった「りっちゃん」に私を「なおけ」と呼んでる友人が紹介したらば、「りっちゃん」が、つくづく感心したみたいに、まじまじと私を見てさ、こう言った訳よ。

り「うん。なんかすごいぴったり。そうとしか言いようのない雰囲気あるよー」

いやいや、「け」が、そうとしか言いようがない雰囲気ってどんなんやねん?とは思ったけども、何だかいわく言い難い雰囲気みたいのが、どうも(当時の)私にはあったらしいねんな。ええとかわるいとかは抜きにして。

で、中学に入った。

中学で新しく出来た友人に、「マコ」てのが居て、私の第一印象は、うわーごっつ可愛いー、こんな顔した子もおんねんなー、ガタイはでかいのに(太っているんじゃなくて、大柄だった)、むっちゃ可愛いやん。それに何かセンスがいい(ような気がする)。

んで、私は、そのマコと英語塾が一緒で、考えてみたらクラスが一緒になった事はなかったけども、ぼんやりとしたうちらのグループみたいのが一緒で、しゃべったり遊んだりはしてたんやけども、テストが終わった後ぐらいやったやろか、タマタマ「マコ」と二人になってしゃべっていた時に、ひょっこり言われたのよ。

ま「なおけって、馬鹿やなかったんやねー。最初見た時、「アホの子」なんやと思てたわ。

いやさ、確かに賢く振舞ってたとは思えんのやけども、この「アホの子」てのは、ぶっちゃけ「池沼」みたいなソッチ系のニュアンスのある言葉で、「勉強が出来ない子」てのとは、少しニュアンスが違う言葉やねん。

今になって(遅すぎるように思う)考えてみるに、どの辺にそれを感じたのか聞いてみた方が良かったのんやろか?とも思えるねんけども、当時の私は今以上に鈍かったんで、そーなんかー、私ってそーゆー風に見えてたんかー、で、終わりにしてしまってて――げげっ、ほんと、書いてみて初めて思ったけども、こんな風な部分が、もしかしたらソッチを感じさせたんかもしれん――、具体的にどんな部分でそれを感じさせたのか、今となっちゃ知りようがないねんけども、ほぼ第一印象として、そんなもんを感じさせる「何か」が、私にはあるのかもしれないなー、と、漠然と思ったのよ。

こんな経験って多いんですか?誰にでもある事なんですか?

で、その後、そんな事もすっかり忘れてたんやけども、思い出してしまうような事が起きたのよ。

神戸の北区の市住に住んでいた時の事。

あの手この手を使って、うちらは、む上を乳幼児保育に送り込む事に成功したのよ。

当時、公立の保育園に乳幼児を入園させるのは、神戸の北区じゃかなり困難で、貧乏だったから(過去形は正しくない)、何とか仕事を探して、現金収入が欲しかった私は、最初は無認可の保育園に子供を預けて、その後、やっと、公立の保育園に子供をねじ込む事に成功したのだった。

でね、この保育園が、何故か「精神病院」付属の保育園だったの。

前の無認可の保育園に比べると、環境もいいし、先生も沢山居るし、送り迎えは大変だったけども、保育料もずっと安くなったし、で、私はかなりご機嫌だったの。

そして秋。保育園で「運動会」が催されたの。

オムツが取れたばっかりのむ上が、いっちょ前に、保育園の体操服を着て、まだ若かったうちら夫婦も大はりきりで参加して、それはそれは楽しかったんやけどさ、む上の「お遊戯」を見ていた私に、話しかけた人が居たんだわ。

年配の、大人しい感じの女性だった。

女性「入院されてる方ですか?いい天気になって良かったですね」
く「えっ?あの、入院してる訳じゃなくて、子供が保育園に入ってまして」
女性「えっ?それは失礼しました、てっきり…」
く「いや別に失礼じゃないですけども、はい」

いやね、もちろん失礼じゃないけども、ちっちゃい子が沢山、と言うか、キホンが、保育園の運動会だった訳で、病院の運動会じゃなかった訳よ。で、私はきっちし、ジャージの上下着込んで子供の演技を応援してた訳。状況からはあんまり間違わないんじゃないのかなー、とは思ったの。

ま、そんな訳で、ダンナのとこ行って、入院してる人に間違われたわー、と、軽く言ったらさ、

だ「あー、あるかもしれんなぁ。ワシもオマエ初めて見た時は足りん子みたいやなぁ思たからなぁ。オマエ、唇の色がもっと赤かったら、そうとしか見えん」

えっ?そうなん?そうやったん?てか、その判断基準みたいのが(私には)全く見えん。

けども、特定の人に、何か独特の印象を与えるもんが私にはもしかしたらあるんかもしれん。何か分らんけども。みたいな思いを持ってたのよ。


で、「プレコックス感」てな言葉に出合って、むーん。総合統合失調症ねぇ。あんま心当たりないけども、自覚があったら、(ある意味)病気とは言えんのかもしれんから、心当たりの方は、とりあえず脇に置いといて、「プレコックス感」と呼ばれるらしい、一種独特の雰囲気だか違和感だかが「どんなもん」なのかは、是非とも知りたいもんだ、とずっと思ってるのよ。

さて、リンク貼ったエントリーでは、もしかしたら「プレコックス感」てのは臭いなんじゃないか?みたいな仮説(は、大袈裟ですね、すみません)を出してて、ふうむ、と考えてしまった。

月曜日, 9月 29, 2008

英語日本昔話パクリVar.

柿太郎を知ってますか?

いやさ、知らない事を前提にして、いきなし疑問文を振ってみたりしたんやけども(何となく、注意を促すために)、柿太郎って、簡単に言いますと、「桃太郎」のパクリキャラで、つっても、パクリが問題になるようなメジャーな代物じゃなくて、父が現役の頃、英語の授業に使った「お話」の主人公の名前やねん。

ある時、実家に帰ってみたら、こんなんを授業で使ったんやけども、とか何とか言いながら、プロジェクターで使う透明のシートにに絵が描いてあるのと、それのストーリーたら言う英文を見せてもらった事があるのよ。

いやもう、大笑い。Long long agoから始まるストーリーは、まんま桃太郎やねんけども、川上から「Donburako sukkokko」と流れて来るのが巨大な「柿」で、中から生まれたのが、「Kakitaro」て寸法。

シートの絵には、巨大な「柿」が描かれてて、柿から生まれた柿太郎は、犬猿雉(動物はそのままだった)を引き連れて、鬼退治をするってお話。

いやこれ、授業で使っても失笑もんじゃねぇの?と思った時には既に「やっちゃった」後だったりした訳で、中学生も大変だよなー、と思ったりしたのが、かれこれ20年近く昔の事になるのかなあ。

で、すっかり忘れてた「Kakitaro」に、今日(正確には昨日)再会したんだわ。

今日はさ、連休だったりもしたんで、ダンナが一人で東の屋敷の草刈りの続きをやりにいってたの。

結構ええ具合に行ってたみたいで――私は、どんな状態を「ええ具合」と呼ぶのか、イマイチその評価基準みたいのを把握してないんで、どーにええんかがよー分らんのやけども、前に二人で刈った後に、近所(の範囲も既に把握しかねる)の人から褒められた、と、父が喜んでいた――、その続きをしに行ったダンナに、何かお礼をせんとアカンと思ったらしい父が、今日は「買い物のおすそ分け」と言って、「刺身」を分けてくれたんだわ。

書けば長い事になってしまうんで、ここまで書いてなかったけども、こっちに来たばっかの頃は、実家に「晩御飯」のおかずを運んでたりしたんやけども、どうも急に食生活が変わると、年寄りには、腹具合的にキツイもんがあったみたいで、もうええよ、と、停められてしまったのだ。

金銭的にたいした負担があった訳じゃないけども、不要に遠慮する部分があるみたいだし、何より、持って行っても必ずしもその時に食べてる訳でもない上に、下手したら、残ったものをそのまま捨てられずに置いておくみたいにも見えたので、以降は、酒のつまみになりそうなものをちょぼちょぼ持って行くだけに変更したのだった。

(何故かうちの両親よりも「しっかり」しているように見える)伯母に聞いても、何かしたら(無駄に)返さんとアカンと思い込んでて、(逆に)負担になるみたいなんで、この頃は、あんまり何にも言わんし、手伝ったりもせんのやよ、てな話で、見解の一致を(それなりに)見たんで、手は出さず、気にかける、て感じに方向転換したのだった。

「おすそ分け」とは言ってるけども「お礼」のつもりなのは、かなり鈍い私にも分って、だけども、「おすそ分け」と言うには多すぎる分量の――と言うか、明らかに2世帯分を買っていると分る量――食料がやって来て、だぶついたぶんを実家に、これやったらあるでー、と持って帰って――当初は抱えてたけども、あんまり勿体無いんでこの頃は、持て余すぶんは、持って帰って、そのついでに実家の方の片付けしたり、しゃべったりするようになっているのよ――、べらべらしゃべったりしてたらば、父が、この頃やってるらしい英語のお話をプリントアウトしたやつを持って来たんだわ。

偉いなぁと思うのは、父は、現役引退してもずっと英語の勉強続けてて、中学生向けぐらいの簡単な英語学習を前提にした英字新聞を――Student Timesだったと思ってたけども、検索したら、何だか雑誌みたいのが出て、これじゃないよな、と思ったのだった。週刊なんだけども、ふつーにに英字新聞で、雑誌じゃない――ずっと購読してて、毎週そのクロスワードを解いては、投稿してて、時々当選しているのだった。

#環境的には抜群だったにも関わらず、私は、どう考えても英語とならば、数学の方がマシだった
#どう考えても環境的に私より劣るむ下の方が、語学センスみたいなのがある。なんなんだろうなぁ

まさ、その新作(?)英文童話(?)が、あんまり笑えたんで――念の為に書いておくけど、ストーリーが素晴らしく面白かった訳じゃなくて、まるで「Kakitaro」から進化してないのが面白かったのよ――、ここに全文掲載。

大丈夫大丈夫。だいたい読んだら、ストーリー把握できるから。その「展開の凄さ」だけでも味わってみて。

Spider's Repay

This isn't "Crane's Requite"but my story.

Once upon a time there lived a young man named Kaki(persimmon)taro.He lived in the larger house which his parents left.

One day he saw children bullying a spider. He scolded them,"Stop bullying."

So he gave the children the cakes and set the spider free.

The next day Kakitaro had a visitor in front of his housu.The visitor was a very beautiful and kind girl.

He was much pleased with her at the first meet.Being astonished,she asked him,"Will you please stay with me?"He replied "It's OK."Marry me."She said to him, "I will be your wife from now."

And then the couple had lived in the same house.But she prohibited entering one room.She asked him,neigher enter this room nor see her.

When she came out of the room,she brought back new cloths each time.The cloths were sold at a lot of money.So they got richer and richer.

He might be wondering what was she doing,in spite of her prohibiting it,he entered the room and saw her.There was a spider weaving a cloth.

書くのにくたびれて来たのて、お弁当作る時間だからここまで。

スペルチェックもまだなんで、かなりいい加減だと言う事と、父の原文の方は、きっちしスペルチェックも終えてると言う事で、ミスがあったら、私の写し間違いです、て事は一応書いときます。

一番気に入ってる場所は、中ほどの「"Will you please stay with me?"He replied "It's OK."Marry me."She said to him, "I will be your wife from now."」て会話の部分。

英文だからシンプルなんじゃなくて、昔話ってここら辺むっちゃシンプルだったんだよなー、と、再認識したんだけどね、とは言え、「Marry me」は強いよなーと。


そして、朝が来て、ダンナが嫌々(雨が降ったんで、休みになるかと期待したのが、上がってしまったんでがっかりしたのだった)仕事に出て行ったんで、続きに取り組もうとして、スペル見直してたら、最初の一行目から既に間違えていたので、さっきまでアレコレ訂正してた。

で、(たぶん)結びの部分になってるらしい所に続きます。てか、Spiderの部分でもしや?と思って、new clothsが出てきたところで、やれやれ、と思わなかった?いやさ、私ゃ、とーちゃん(ダンナじゃなくて父の事)、またやっちゃったよ、と思ったよ。

勉強が主体だから、ストーリーにはハナから拘ってないのは分るけども、柿太郎のとこへ蜘蛛の恩返しがやって来たとすると、柿太郎、次はイルカに乗って竜宮城へ行くのかな?それとも、夏山に登った柿太郎が大雨の土砂崩れの中、雨女に助けられたりするんやろか?とかさ。まぁ、ラストをどうぞ。

His wife was a spider.The spider said sadly"You see my real figure,I cann't be here.I have to fly up to heaven." The spider on a long string flew up and up. finally it became clouds. So in Japanese spider is kumo,cloud is kumo.

最後まで書いてびっくりした。いやさ、(実は)今初めて全文読んだ訳やけども――途中で吹いてしまって、微妙に「共有」したい気分になってしまって、公開しちゃったんだわ――、オチがまたひどい。親父ギャグ丸出しじゃん。とーちゃん、またやっちゃったね。

土曜日, 9月 27, 2008

バブルの頃の庶民

いやさ、このレスと、その続きに、に思わず「ほんまそれな」と、声が出そうになってさ。

個人差がものすごくある事なんで、一概には言えないのはそれはそれはよく分ってる(つもりやねん)けども、うちら夫婦(私60年代前半生まれ・ダンナ50年代半ば生まれ)に関して言えば、少なくとも、バブルの恩恵?なにそれ?と、自信を持って言えるわよ。

うちらが結婚したばっかの頃は、まだバブルは始まってなかった。確かに、80年代に結婚した訳やけども、80年代てば、前半と後半じゃかなり違ってる。

そして何より、バブルの恩恵は、実際には、かなり限定された人だけが受けてるんじゃないかと思ってる。

やなことばっかりじゃなかったし、いいことだって「それなりに」あったから、わざわざ言ったりはしないけど、今の不幸を嘆く若い人が「みんな」ツイてない時代に生まれてしまったばっかりに損ばっかりかぶってる人たちだとは思ってない

うちらはさ、鉄鋼不況の時に消費税3%におののいて、土井社会党に投票した浮動票です。

当時、ダンナの手取りは、近頃見聞きする新卒と一緒ぐらいで、年収は200~300万てとこ。デフレじゃなかったし、価格破壊もまだだし、グローバル化もしてなかったから、あの頃の方が物価は高かった。市住に入ってたから何とかなったけど、そうじゃなかったら、ほんとにカツカツだったと思う。まだ子供は一人目だったけど、母乳が出なかったので、粉ミルク代がそれなりに家計を圧迫してた。パートの時給は(神戸市北区では)500円台だった。

それが、ファミコンが出始めた時期(1985年前後)の事で、ファミコンは、私が下の子を出産する際に実家に帰っている間にダンナが購入していた。たぶん、他の娯楽をするよりは安上がりだったんじゃないかとは思うけれど、それでも、ファミコンソフトが一本3000円台~5000円台だったので、易々買ったりは出来ず、一本のソフトを遊び倒した。すぐになくなってしまったけれど、レンタルソフトと言う仕組みが当時あった。

そして、下の子が生まれた直後ぐらいがバブルに当った。神戸から埼玉に越して、周囲ににょきにょき億ションが建ってる頃には、時給が700円代に「高騰」し、ダンナの年収が400万円台にやっと届くぐらいになった。

とは言え、賃貸の家賃は安くなく、貯金をしたり、借金を支払ったりしなきゃならなかったし、物価もちゃんと上がってたんで、実質的に豊かにはならなかった。

子供が幼稚園に行ってるスキマにファミレスのバイトして――同僚には幼稚園ママが結構居たけど、ファミレスとは別に内職してた人もいた――、ようやっと子供が学校上がったと思ったら、不況に直面して、そうよ、私ゃロスジェネと一緒に就職活動してたのよ。

あの時、新卒と一緒に、既婚子持ちの私が就活してた訳よ。

兎に角もっとお金が必要でだった訳で、夢も希望もハナッからなかったから夢を打ち砕かれる心配はなかったけども、全然選り好みしないどころか、入れさえしたらどこでもいい、と思っていても、まるっきり就職はなかった。

#同じ歳の子を持つ社宅のお隣の奥さんと、時々「面接会場」で出合って、若い子が多いねー、無理ぽいわねー、みたいな話して、やっぱり仲良く落ちていた

しかも!口は出すけども金は出さない親類の相手して、口は出すけども金は出さない先輩ママの相手して、歳喰ってるだけデカイつらするやつとか、教師ってだけでデカイつらするやつとか、男ってだけでデカイつらするやつとか、戦争行っただけでデカイつらするやつとか、姑にいじめられたからって(なぜか)デカイつらするやつとか、戦後の食べ物がない時代を経験してるだけでデカイつらするやつとか、そんなちょっと面倒くさい相手がよぉ、今よりもず~~~~~っと多かったりした訳よ(もちろんみんなじゃないけどね)。ほんまに。

私ゃ、世の中、は言い過ぎかw。少なくとも私が知ってる範囲内では、良くなった事ってかなり多いと思っている。

とは言え、(もちろん)「だから」ガマンしろとは思わないし、つか、むしろ不平不満はとりあえず口に出して言うべきだとも思ってもいる。

だけどね、非モテという「くくり」に同情しないのと同じような感覚で、ロストジェネレーションって「くくり」にも同情はしていない。

単純に、「運が悪かった人」を「自己責任」にしてしまうなよ、と思っているだけ。

そして、それを時代特有の問題だとは思っていない。と言うか、それ(運が悪かった人を自己責任にしないと言う事)は、私の気分では、常に目指していたい方向性であって、だからこそ、世代論みたいのには乗りたくないと思っている。

為に世代論を利用する用意は何時でもあるけど、それは、手段であって、目的じゃない。

は?結婚できない?したいの?さして望んでもいないのに、文句言う為の手段のひとつとして言ってるだけじゃないの?は?子供が生めない?子供欲しいの?さして望んでもいないのに、文句言う為の手段のひとつとして言ってるだけじゃないの?

私(個人)はさ、うっかり結婚しちゃった馬鹿とか、うっかり子供持っちゃった馬鹿をこそ支援したいの。私がそんな馬鹿だったから。

馬鹿はさ、そうなって初めて分る訳よ。

大学進学を考える歳になって初めて、地域格差を知って、大好きになっただけで結婚して初めて、他人と暮らす難しさを知って、子供を持って初めて、子育ての難しさを知って、そこで初めて親に感謝したような、ありきたりで平凡な馬鹿だった訳だわ。

だけどさ、めくらめっぽう石投げたって簡単に当るぐらい平凡な馬鹿が生き難いと感じるような、そんな社会じゃ流石に嫌なのよ。

みんな愚かで必死じゃん。

金曜日, 9月 26, 2008

私専用ツール

うみねこのファイル名を変更して、総入れ替えをやっていた。

元々日記にだらだら書いてたのが、だんだん量も多くなるし、他の事も書いておきたくなって、継ぎ足し継ぎ足しだったから、ファイル名がむちゃくちゃで――当初は、全てのファイル名がumi+ナンバーになってて、それを後から、中身に合わせて継ぎ足してまとめたのだ――、開いて初めて中身が分る状態で、こりゃまずいよ、と思ってたのさ。

で、やっと今回の総換えで、全て内容が多少なりとも分るような名前のファイル名に変えられたのだった。

リンク先の変更とかも一通りやって、ずいぶん削った。

こんな事もあろうかと、当初からブログの利用は考えたけども、配置とか、表とかが書き難いのが気に入らないのと、何よりも「新しい」ものが上に来てしまって、過去に遡る形じゃないと読めないのが嫌で、やっぱこーゆーのはwikiの方がいいんじゃないかと思ったりもしたけども、こっちはこっちで画像がものすごく使い難い(ように見えた)あたりが気に入らなくて、結局は手軽さから、手書きしたけども、一旦まとまってしまってから、全体の構成を変更するような、こんな作業には向いてないよなーと、やりながらつくづく思った。

もっとも、wikiをまだ使った事がないので(投稿はしたことあるけど)、思ったような使い勝手になるのかどうかも、イマイチ不明ではあるけどね。

後さ、一応は「みんな」で使う事前提のものを、個人で使うメリットてなんだろな?と、一瞬考えたけども、それは私の都合とはあんまり関係ない事だと思ったんで、そっちについては考えるのを止めた。

一方で、パーマリンクはいいかなぁ、とも思ったけども、登録した言葉全てにくっついたりしたら、それはそれでうっとおしいかもしれないな。

私の都合に特化したツールはないかなぁ、と、一瞬考えたら、ああ、まずは「私の都合」を出きるだけ具体化して、且つその機能を抽象化しないとダメなのか、と思ったら、なんつーか、出来上がった状態があって初めて、私の都合に特化したツールが見えて来るのかもしれないよな、とか思ったら、これが、どのぐらい無理難題なのかが、ちょっとだけ分った気がした。


んで、改めて、うみねこ関連のとこ読んでたら、似たような愚痴をなんべんも書いてて、だよなだよな。やる度にうっとおしいなぁ、と思ってるもんな、と思ってから、それなら、てんで、一度私の都合をまとめてみようと思い立った。

私の都合

  • 新しい記事は後になる
  • レイアウトやデザインの自由度が欲しい
  • リンクの自動化

と、一旦書いてみたら、何だ、そんなに沢山のものが必要てもんでもないのかもしれない。

最初の、新しい記事が後になる、てのは、ふつーに書いてたら、ふつーにそうなる。次の、レイアウトやデザインの自由度も、手書きでおk。

つまり、リンクの自動化だけが出来たらいいのか。むむ。ちょっと考えてみよ。

日曜日, 9月 21, 2008

ふつーのおばさん

あはは。なんだかなるほどなぁ、とか思った。

いやね、パーセンテージにしたら、必ずしも多くはないんだろうけども、頻度を考えると、それなりに行き当たるて感じかなぁ。と。

ここでは、具体的な事例が書かれてないから、私が想定している「単に自己中で偉そうでずうずうしいだけのふつーのおばちゃん」てのとはちょっと違うのかもしれないけども、ほんちょっと前にダンナが行き当たって、やれやれ、と思ってたら、そのつい後に私も当って、まぁ、居るよなーと思った「単に自己中で偉そうでずうずうしいだけのふつーのおばちゃん」のお二人について、ここでちくってしまう。

ダンナの方は、今月初めぐらいかなぁ。

だ「今日なぁ、ごっつ図々しいおばはんにおーたんやぞぉ」
く「へっ、そうなん」
だ「ワシらが、仕事で墓の周りの草刈りやってたらなぁ、側通ってたおばはんがなぁ、つい隣やから、ついでにウチのも刈っといて、て。ワシら給料もろて決まった場所刈ってんねんで。傍におったヤツもあほか、て」
く「あらら、まぁ、なんなんやろねー。まぁ、隣組の感覚なんやろかねぇ。自分が草刈りしてる時は周りも刈ってるから、とか思たんかなぁ。うーん。いやはや」

たぶん、悪意はまるっきり無いんやろなー、てのは、想像つくけども、なんだかなぁとはどうしても思ってしまう。

もっとも、うちの職場(スーパー)も仕事柄、色んなおばさんのお客様――それこそ、ふつーにメインターゲットよねw――が来る訳で、「TVのアレはどこ?」みたいな事聞かれたりするのは、これはもう日常茶飯事の範疇でありまして、お客様に恥をかかせないように「TVのアレ」を聞き出すのも仕事のうちではあります。

が、こないだのは、ちょいと想定外。ちょっといいかしら?と声かけられて、作業の手を止めてそちらを伺う。お客様最優先なので、事前に心がけるのはもちろん、声かけられたりしたらば、必ずそちらを伺うし、ご案内もキホンその場所まで。

お客様(のおばさん):今日ね、ここの花屋さんにも全然置いてないし、ほんとに困ってたんですよ。で、見たら、ここにススキがあるじゃない。これ、頂けません?
と、示されたのが、お月見だんごのディスプレイに使ってたススキの事らしい
むーん。うちの売り場じゃない上に、ディスプレイて事は商品でもないだろうし、てか、お待たせする前に聞かなくちゃ
く:少々お待ち下さい。担当者に聞いてきますね。
で、担当者を探すに、一瞬びっくりしてたけども、
担当部署の人:うーん。あれねぇ…そうやねぇ、一人のお客さんに渡してしまうと、他のお客さんも欲しがるかもしれんし、そうやね、皆様にお分けする訳にはいかないので、これは差し上げられません、て感じで断ってくれる?
と言う事で、戻ってお客様に伝えたんやけども、もひとつ伝わってないみたいで、
お客様:だって、ふたつあるじゃない。ひとつなくなったって残るでしょう
そう来たかー、と、一瞬たじろいだけども、じゃあいいです、と言う訳にはいかない
く:ほんとうに申し訳ございません。これ以上は私の一存では決められませんし。申し訳ございません。

お客様の方は、それでも何となく不満そうだったけども、謝り倒して引き取って頂いた。

物腰は柔らかで言葉も丁寧だったから、「えらそー」てんじゃなかったけども、ハナから貰える前提だったみたいで、やれやれ、とは思ったよ。

年齢は、うちらよりも上やけど、おばあさんと呼ぶにはまだ早いって感じの人だったから、「近所の八百屋さん」のノリだったのかもしれないよなぁ、まさ、私が自営の小さな店舗のオーナーだったりしたら、気軽にお分けも出来たかもしれないよな、とも思ったけども、やっぱりなんだかなぁ感は残ったな。

うち帰って、今日はさー、みたいな事をダンナに話したら、こないだの事もあったから、おるよなぁ。歳とったら、だんだんそこら辺が鈍なるんかもしれんなぁ、てな話。

加齢の影響か、個人差なのかはかなり微妙なんじゃないかなぁ、とは思うけども、どんな部分にも営利「組織」が入って来て、かつ仕事が分業化したってな影響も少なくないのかもしれないな、とも思う。

ただねー、だからこそ、ある年齢以上の人とのギャップてのも、どうしても生まれてしまうんじゃないかな、とも思うし、そこら辺――世の中結構変わったのに、人はどんどん長生きになってるみたいな事――の影響考えると、「ああいう人だと思う」てのとは別の意味でも、諦めるしかない部分なのかもしれないよな、とも思う。

金曜日, 9月 19, 2008

やっと草刈り

さて、9月の最初の休みが揃った日曜日(日曜じゃなかった連休がらみやった気がするけど日付は分らん)ある日。

折角の休みなんで、無茶な早起きはせんでええけども、空具合がぱっとせんからねー、と、簡単な弁当用意して、朝からおでかけ。

装備は、長袖長ズボン(農作業用)麦わら帽子に(1)長靴で、先ずは、道具を取りにばあちゃんちに上がった。

が、もと小学校の校庭の駐車場にクルマを停めたぐらいから小雨。うーん、と思いながらもばあちゃんちを開けて、草刈り機と鎌を出してクルマに積んで東の屋敷の辺りまで行く間にもどんどん雨が強くなる。

く「どおする~」
だ「降ったり止んだりかもしらんから、もうちょい様子見るか」

と、言う事で、クルマの中で待機。30ぐらい、空見たり、草見たりしてたけども、どうにも雨脚が弱まらないんで、帰って来たのが第一回の草刈りの事。

その後、ダンナは休みで、私が仕事の時に、おとーさんひとりで頑張って出かけたのに、私はすっかり寝過ごして、帰ってきたぐらいに起きたりして、大いにむくれさせてしまったのが、第二回。

で、第三回草刈りがこないだやった訳やけども、既に、ダンナが一回と、父も一回行ってると言うことで、畑の方は、半分復活。道の向こう側も、春の頃までは戻ってないけど、それなりの広さに戻ってて、ダンナは今回、畑の一段上にある、梅の木の周辺をやると言ってるんで、私は、草刈り機じゃ刈れないような石段の周辺の草刈りとか、姿は見えたけども、まだ畑状態までは復活してない元畑の畝の草引きとかをする事にしたよ。

今回、面白かったのは、刈った草を運ぶ作業。

石段やら坂がある場所だから、手押し車とか使えないじゃないのさ。よーわからんから、抱えて捨てに行こうとしてたら――一応、うちんちの地所になってるんで、川原に降りられないような小さな崖になってて雑木がこんもり生えてる場所を刈った草捨て場にしてた――、やり方があんねん。後で教えたるから、そのままにしとけ、との事。

おお、さすが(見習い中の身ではあるけど)本職。盆前は、ずっと草刈りやってたもんなー、どうするんやろ?と思ってたのよ。

で、ある程度刈って、頃合もいいからお昼とって――五勤明けでしんどかったんで、お弁当はパスして、コンビニでおにぎり買って持って行った――、午後からは、草集め。

こうするねん。と、ダンナがやった草集めに感心した。

  1. くまでを使って草の山をざっくり集める
  2. 集めた山の手前にブルーシートを広げる
  3. くまでを使って集めた草をブルーシートの上に寄せる
  4. ブルーシートの片側の両端を寄せて一緒に持つ
  5. そのまま引きずって草捨て場まで持っていく

ほぉぉぉ、これはすごい。社宅の草刈りやったら、手押し車で運んでたけども、こっちのが、ずっと一度に沢山運べるし、地形の影響もほとんどない。

ダンナが言ってた通り、片側引っ張ってるだけも、草は落ちたりもしないんだわ。

そんな訳で、私は、あちこちにあった小さな草の山を一箇所に集めて、ダンナがそれをシートに載せて運ぶ、てな感じで、後始末もたった二人の作業にしては、思ってた以上に効率的にこなせまして、後、石段上がる時だけは、シートの後ろ側を私が上げておいて、草がこぼれないようにした訳やけども、少人数でも、道具次第で結構な広範囲の草刈りができてしまうねんなー、と思った。

んでも、夏草の伸び方はハンパなくて、私の背丈ぐらいあるようなでっかいシダの葉っぱ見て、ありえねー、と感心したり、こないだ刈ったらしいすすきが、もう既に結構伸びてたりもして、「生物兵器」(除草剤をこう呼んでいる)を導入するかどうかは、それなりに迷いどころ。

いやさ、植物って進化の勝者だよなー、てのが、うちら二人の一致した結論。

(1)長靴
これは、前日にダンナが私の為にと買って来てくれてた代物で、オマエ用やから、赤いのにしといたぞ、と言って、見せてもらったらば、まぁ、確かに赤い部分はあるけども、底に鋲がついてて、長さも膝まであるような、かなりごっつい作業用長靴
滑らないし、はんび――と、ここら辺じゃ呼んでるけども、まむしの事なのかハブの事なのかは私にはよーわからんけども、アオダイショウとの区別はつく。はんびの方が小さくて、動きが早くて跳んで、頭の形が三角形になってて、模様が派手――避けには、これが一番らしい
使用上の注意として、ぬかった道とか、急斜面にはそれなりに強いけども、舗装道だとかなり歩き難く、コンビニの床では滑ってコケそうになった

マクドとコンビニ

てのを読んで、そういやこっちに越して来てからの方が、コンビニの店員さんって、美人度が高いよなー、とか思っていた。

いやさ、前に住んでたとこも、都市部とは言え神戸の「外れ」で、これが都会の事情とは言えないとは思うけども、神戸の外れじゃ、コンビニの店員さんは、平日昼間は大抵主婦で、深夜は結構外国人の人も居たよなーとか思ってさ。

そしてそして、意外に知られていないのかもしれないけども、コンビによりもマクドよりも、スーパーのバイトちゃんの方が、可愛い子が多かった。

#私が、おっ!?と思ったおねえちゃんが近所のスーパーに約二名居て、その事をうちの二人の息子に振ったら、ちゃんと意見が一致したのだった

んで、こっちのマックやねんけども、マックだけの単独店舗てのはこっちには無くて――モスはある。てか、中年過ぎてる男性の店員さんてのも、近所のモスにもマックにもいらして、たぶんアルバイトなんだろうなと思うけども、都会じゃ中年以上の男性の人てば、(名ばかり)管理職、て感じだったのが、こっちじゃ明らかに「店員」だったんで、バイトだろうなーと、勝手に憶測してる訳――、旧市内にある2軒のマックは、どっちも総合スーパーにテナントとして入ってて、まさ、田舎だと、総合スーパーてのは、一種のアミューズメントスポットとしても機能してるし、他に行くとこもないしなー、とか思うと、それが正しい出店なのかな、とも思う。

まさ、それはええねんけども、こっちだとマックよかコンビニの方が、より綺麗な子が多いねん。

いやさ、ぼんやりした記憶だけやねんけども、リカちゃんってば、コンビニの店員さんの制服もあったんじゃないのかなー、とかちょっと思って、そうだそうだ、マックの店員よかコンビニの店員の方が、気持ちグレード高くね?とか思ってさ。

いやね、消費者側からしてみたら、クラスで一番の美少女がスマイル0円てば、むっちゃお買い得感があって、中々好ましい事態て気がするけども、職場として考えたら、マクドって嫌やなー、と思ってさ。

もちろん、私はクラスで一番可愛い子じゃなどころかおばさんやねんけども、それでも、同じバイトするなら、スマイル0円が「ウリ」になってる上に、「食べ物」扱うのがメインのマクドやミスドとなら、多少は業務が煩雑でも、体力的にキツくても、コンビニのがいいよな、と思ってさ。

だいたいが、マクドたら、高校生のバイトを使うぐらい時給が低い訳じゃない。(1)そのくせ「水商売」。しかも、スマイル0円が身上て事は、必然的に「感情労働」な側面がある訳で、この頃の計算高い女の子が、制服程度でマックでバイトするとかありえねーよな、と、逆に思ってしまった。

大体さ、可愛い子が飲食業をするのは、他のバイトするよりもリスクが高い。

可愛い子は、可愛いからって時給が高くなったりはしないけども、世の中、非モテや草食系男子ばかりじゃない訳で、懲りない男って、ほんっとに、どこにでも居る訳で、客の好意(?)をスマイル0円が建前の店舗で無碍にはできないじゃないの。男性客の5人に一人が「スマイル3個」みたいな下らないネタを振ってきても、イチイチ笑顔で対応するなんて、めんどくさいと思ってしまってもしょうがないんじゃないの。場合によっちゃ、同僚の女の子に僻まれたりする事もあるかもしれないしさ。

むしろ、可愛い子程、マクドのバイトみたいのは意識的に避けてもおかしくないんじゃないのかなー、とか、ちょいと思ったり。

そのくせ「水商売」
ここで言う「水商売」てのは、所謂「お水」てのとはちょっと違って、食べ物を扱う商売のつもり
水商売て、元々の意味はどうなのか、実はよー知らんけども、食べ物を扱うてのは、単に食品を提供するてよりは、食べる場を提供するって部分と、それに付随するけども、「洗い物」と言った「水周り」に関する部分が、他の仕事よりもより結びつきが強い仕事だと感じている
実際、ソッチ系の仕事をそれなりに長くやってたけども、「接客」も「水周り」も、少なくとも私には、楽な仕事とは思えなかった
水周り、だとちょっと抽象的過ぎるかな?主婦やってる人だと、結構ピンと来るもんがあるんじゃないかと思うけども、残飯の処理や下水の始末といった、華やかな店舗からは直接見えない部分が、食べ物商売だと、必須な訳よ

追記

そうそう、む下(只今21歳)が、幼稚園の頃は、女の子達が持ってる着せ替え人形のメインはジェニーちゃんで、リカちゃんを持ってる子は余り居なかった。

リカちゃんは、もうちょっと大きい、小学校中学年の女の子が持ってたけども、リカちゃんとジェニーちゃんとでは、サイズが違っていて、服の交換は出来なかったし、売ってる服も、ジェニーちゃんの方がずっと多かった。

彼女も、元々リカちゃんが欲しかったと言うよりは、お母さんが着せ替え人形と言えば「リカちゃん」と思ってたからそれを買ったと言う感じで、後から、ジェニーちゃんを買っていた。

そんなこんなを考えると、「リカちゃん」てのは、広告媒体としての機能の方がずっと大きくて、実際に小さい女の子たちが使っている「着せ替え人形」とはすこしズレてるのかもしれないな、とか思う。

最近だと、シャンプーに安室奈美恵モデルのバービーちゃんがあったけども、これも小さい女の子向けとはあんまり言えなくて、只今の今実際にそれで遊んでいる小さい女の子のお人形事情って、近くに小さい女の子が居ない私には、結構未知の世界なのかもしれないなー、とも思ったよ。


あー、分った(思い違いかもしれないけどひらめいた!)!。マクドは高校生のバイトが入ってる事多いけども、コンビには、もうちょっと年齢が上なんだわ。大学とかないから、学生は高校生までで、高校出た後地元に就職なくてバイトしてるか、あるいは家事手伝いの合間とか、時間帯によっちゃ幼稚園ママの可能性もある。

まさ、そんな訳で、マクドのバイトよかコンビニのバイトの方が、もうちょっと洗練されてたりするのかもしれない。若い子の働き先としては、第一次産業系や飲食店よりは、マシだもんねぇ。

もっとも、若い子の絶対数が少ない事を考えると、美人頻度高いよなー、とも思える。地域差ってあるのかな?

木曜日, 9月 18, 2008

草刈りへのプロローグpart.2

台風が来ると言う事で、明日の朝は弁当作らなくてもよさそーなんで、微妙にのんびりしてる。

まだ、イマイチ生活時間の割り振りが決まらなくて、いやさ、決まったところでその通りに出来るってもんでもないけども、ある程度の「めやす」みたいのがあった方が何かと楽なんで、多少は目処を立てたいと思ってる訳やけども、こっち来て1年。ダンナが仕事初めて2ヶ月てんじゃ、なかなかね。

#もうちょっと具体的に言うと、手の抜きどころとか、頑張りどころみたいな、緩急の「つけ方」がある程度決まってくると、体調管理みたいのが(て程大袈裟なもんでもないけど)色々とやり易くなるんだわ
#長く生きてきて多少は分ったのが、私にはあんまり瞬発力はないって事と、代りに、結構持続力はある方みだいだ、て事で、細かくするのはしんどいけども、ざっくりした計画みたいのがある方が、何より自分にとっては楽なんだよな、と

ま、そんなこんなで、兎に角ゆとりを感じていられる今のうちに、草刈りの事の続きを書いておく。

ジャングルて、まぁ、実際のジャングルを体験した事ない訳やけども、夏草の伸びっぷりがね、そりゃもう、想像を絶する状態だったのよ。

春に草刈りした時には、元からあった「東の屋敷」の地所には、5本ぐらい畝を作って、そこを母が耕しながら、戦時中の母達の担任だった先生てのが、元々は農業専門だった、て事で、かなりうるさく指導されたって話を繰り返すのを笑いながら聞きつつ、新たな地所になったらしい元お隣の荒地を、私は鎌で、ダンナは草刈り機でもって、刈っていって、道の周辺は元より、周りも結構「広々したねぇ」と思えるぐらいまでは、刈って、父が「勿体無いから」と言うんで生り物の木は残しつつ、藤のつるとか、それは要らんと言った雑木なんかも切って、こざっぱりとした「広場」になって、そこでお弁当を広げたりもした訳よ。

筍の時期は過ぎてたけども、まだ梅は取れなくて、そのすぐ後ぐらいには茶摘をしたんで、たぶん初夏のかかりの頃合。

だから、あれから3、4ヶ月。

道も畑もすっかり草に覆われて、と言うか、車道の脇から下を覗くに、何と言うか、もうすぐそこまで草が伸びてる。てか、あの時の面影がまるっきり見当たらない。あの、お弁当食べた道の脇の石とか、母が耕してた畑とか、そんなのが全て、深い草の海に沈んでしまったみたいな感じ。

植物頑張り過ぎだろ、てか、あれは夢だったの?なんしから、私の背丈よりもずっと深いんじゃないかと思えるような草の海が、道の下に広がってたんだわ。

く「違う場所みたい…」
だ「おお。ここまで伸びてしまうんか」
く「いっぺん位来といたらよかったねぇ」
だ「ワシも今そう思てたとこや」

墓参りの帰りに寄った訳やったけども、あまりの変わり様に、すっかりショックを受けて、だけども何とかせんとあかん、てな気持ちは同様でもありまして、今度の休みにこいつに挑もうね、みたいな話をして、今回は、道具も装備も整えていない、と言う事で帰った訳ですわ。

水曜日, 9月 17, 2008

草刈りへのプロローグ

で、改めて、昨日の事を書き始める。

昨日てのは、ダンナにとっては連休三日目で、私にとっては五勤明けの休みやったんやけども、ちょっと前から父から草刈りを頼まれてて、前の休みの時には、行ったはいいけど、着いたとたんに雨が降り始めて、延期。その後、ダンナが休みの時に一回単独で行ってて、昨日が二人で出かける二回目にあたったのね。

場所は、うちらが子供の頃からあった、うちの実家の土地で、田舎の事なんで、住んでた人が越す際だかなんだかに、買手を求めて知人に当った際に、不動産に弱い父が買ったのかもしれないなー、とか、私は勝手に予想してるけども、他の山とかに比べると、道の側にあって、だけども、真っ直ぐにクルマで入ったりはできないような所やねんけども、川辺で、子供の頃には、夏休みの夜とかに米屋で安く買った糠とか持って、海老掻き行った場所。

ここは、交通の便も他よりはずっといいんで、退職後には両親(と、伯母も一緒になって)が畑を作ったりもしてたんやけども、歳と共にだんだんしんどくなって来たみたいなのと、過疎化で野生動物の被害が結構拡大したのもあって、ここんところは、あんまり手も入れてなかったみたいなんだわ。

が、うちらも戻ったし、それなら、て感じで父が意欲を持ち直して(笑)、しかも、そのお隣の地所の持ち主さんが、只今大阪で暮らしていて、あっても何も出来ないのだから、と、手放す事を決めたらしく、隣の土地の持ち主であるところの父に買わないかと持ちかけて、父が言うにはとても「お買い得価格」だったので、買ったんだと。

広さにすると何坪ぐらいなのか、ぱっと見じゃ私にはよーわからんけども、持ち主の方てのは、元々そこに住んでた人で、かつては「家」もあったらしいし、家の周辺には、畑なり田んぼなりもあったんじゃないかと思う。

うちらが子供の頃は、川辺に下りるまでの狭い道の両脇には、田んぼや畑があって、春には畦に沢山筑紫が生えてたのを覚えてる。あの頃は、そのあぜ道に下りるまでの道、てのが、とても道と呼べないような急な斜面で、ゴム草履で、そこを下りるのは、ちょいと危険で、左右に生えてる木に捕まりながら、道と思えるような足場を探して降りてたんやけども、何時の間にか、道から降りる立派なコンクリの階段が出来てて、これは、個人で作ったのか、村なり市なりが作ったのかは私には分らんけども、降りるのは随分楽になってた。

が、降りた先は、昔の手入れされた畦道とは似ても似つかないような荒地になってて、両親があまり手を入れなくなったうちの地所と、とっくの昔に越してしまって放置状態になってたお隣の地所のどちらも、草ボウボウで、道らしいものも見当たらないような状態。

ここを、この春にみんなで出かけて、草刈りやったり、畑を畑らしく回復したり、勝手に飛んできて何時の間にやら育ってしまった雑木を切ったりしたんだわ。

ほんまはね、梅雨前と盆前ぐらいにももうちょい手を入れたいとは思ってたのよ。

だけども、ほれ、ダンナがようやっと一応の就職を果たしたじゃない。で、そっちへの対処で、けっこうイッパイで、後、今年は雨が多くてさ――と言うか、当地は雨が多い場所だったんだ、と、改めて実感したわよ――、冬に、山の方見て、春の気候のいい間に、ここと、ばあちゃんちの周辺にざっくり手を入れて、梅雨時には梅も採ったし、初夏には元気に夏野菜の方も採れた訳やけども、その後がいけなかった。

採るもんもなくなったし、夏は暑いし、おとーさんは只今大変な時だし、とかとかやってるうちに盆が過ぎて、いかんいかんと墓参りに行ったついでに、やっとこさ、この「東の屋敷」とうちらが呼んでる地所を見に行ったらば…。

そこはジャングルと化していた。

うみねこやってた

で、あの後、うみねこの真里亞を追えの続きを少々やった訳やけども、ep3やった後だと、これまで流してたところでも、あれれ?と思うような点があったりするし、当初はあまり気にならなかった、ep1てのは、メタじゃない方の戦人視点だったんだ、てのもそれなりに新しくて、ep3では、残念ながらすぐに真里亞が死んでしまったりしたのもあって、結構真里亞以外の部分も気になったりして、放置してたのが最大の原因やけども、新たな情報に右往左往してる。

それとは別に、リンク先とかを新しいページを作るたびに書き足すのがおっくうでしょうがなくて、とは言え、blogの利用は、新しい記事がどんどん上に載ってしまうのがどうにもこうにも気に入らなくて――これ、ほんとにどうにかして欲しい。他所様のサイトを読む時にも、だんだん過去に遡るって形は、それはそれは読み難くて、新たな話題に乗って情報を消費する、みたいな形にはイマイチ馴染めない私みたいなタイプには、只今のblogのありようてのは、とても利用が困難な部分があるのよ。――、もしかしたら、wikiを利用するのが便利かもしれないなー、と言うか、一旦それを考えた事があったんやけども、レイアウトの自由度が結構低い(みたいに思えた)のが、これはこれで気に入らなくて、残った選択肢としては、フレームを利用する、てのがある訳やけども、今更フレームに変更するのもちょっとめんどい上に、URLの表記が不便そうにも思えて、チマチマコピペ――とは言え、テンプレートを用意しての事なんで、むちゃくちゃ手間、てもんでもないねんけども、何しか同じ事を繰り返すのが、ひどく億劫と言うか、無駄ぽい気がして、嫌なんだわ――しては書き足してる。

月曜日, 9月 15, 2008

休みだった

で、一旦ひとつのエントリーを上げたんで、何だか仕事が終わったみたいな気になって、もう今日はいいやと思ってたけども、何かまだまだ夜が長くて、だけども、微妙にかったるくもあって、ゲームな気分にもなれなくて――これは、あまり正確ではない。ゲームな気分になれない、てのは、やりかけの大物ゲームに取り組むだけの気力がない事を指していて、そんな時には、大抵ウィン付属のミニゲームをだらだら遊んでたりするのだった――、かと言って、こないだちょっと書こうとしてて、めんどくさくなって止めてしまった反応型のエントリーの続きを書く気にもなれなくて、とはいえ、一昨日やってた、移転に伴うリンク先やメールアドレスの変更作業も、かなりおっくうで、一方で、うみねこの続きにも取り組めず、あー、時間があるのに~、と思ったら、そうそう、今日の出来事を書いておかなくちゃと思い出して、長い長い前振りは、ゆうたら助走でありまして、本日のお休みの日のビックイベントの記録に入ります(いや、何時でも長文やねんけども、これが又長くなりそうで)。

ダンナの今度の職場は、日祝隔週土曜が休みの上に、盆正月も結構な連休になって、これまでみたく、みんなが休みやのにから、オレは仕事や~、とゴネる事もなくなるだろうと思ってたら、長すぎるのも気に喰わんという事で、あらあらまぁまぁ。

ダンナてば、ゴネると言う形の不器用なコミュニケーションが無駄に多い、古いタイプだったんだ、てのは、ここんところやっと気がついた部分やったりするんやけども、ほれ、愚痴とかゴネてるのって、聞いてる方はあんまり気持ちのいいもんでもなかったりする訳やけども、こーゆーのは、要するに真面目に聞いちゃいけない類の、天気の話のようなもんなんだなー、と、結婚20数年を経てやっと分った今日この頃なのよ。

#日本人は褒めない、みたいな話を時々聞くけども、なんつーか、こういった高度な感情表現みたいのは、もしかすると、ある程度メディアが発達したした豊かな社会になったからこそ「やっと」問題化されるようになったものかもしれないよな、と思うときがあるんだわ
#知ってる範囲狭いけど、明治、大正あたりの生まれの人は、褒める褒めない以前に、めっぽう口数が少なくて、大声で笑うような事も、度々はなかったよなー、とか思ってね
#もっとも、最近の年寄りたら、うちの両親のような昭和一桁や戦後生まれの人もそろそろ年寄りの仲間入りで、ここらあたりになると、私が子供の頃の年配の人よりも、ずっと感情表現が豊かな人が増えてるように思えるのよ
#その一方で、怒りて感情は、他の感情よりも抑え難かったりするように思えるし、自慢話よりは(たぶん)共感得やすいじゃない
#後、なんとなく、だけどね、メディアからも「批判の方法」や「非難の方法」てのは学びやすいんじゃないかとも思うねん(たぶん、こっちの方が量も多いし)
#一方で、上手に褒めるとか(見当外れに褒められたらば、場合によっちゃ文句言われるよりも反感あったり、下手したら、バカにされるし)、反感を持たれずに楽しい話題を出したり、表現したりするてのは、愚痴や怒りの表現よりも、困難なのかもしれないなー、と

長々補足書いたけど、愚痴言ったりごねて見せるってのは、ある意味「無難」なコミュニケーションの一つだったりするんだよな、と、やっと分ったと言うお話。

と、長い長い前振りの後、長い長い愚痴の説明を書いてたら力尽きたんで、とりあえずここまで。

よつばと!8巻買った

近所のコンビニに、「よつばと!8巻」が置いてあって、えっ?もうそんなに進んでたっけ?とか思いながらとりあえず買って、うちにもどったら、ダンナが読んでないとか言い出すんで、そうだったかなー?とか思いつつ、うちんちにもあるといいなと思ったんで、その足でもう一回コンビニに戻って改めて1巻買った。

子供が読んでたのを借りて読んだんで、うちにはなかったのよ。

一時期あずまきよひこ.comにあった、ダンボーの写真を待ち受けにしてたりもしたけども、やっぱうちのねこのがより可愛いんで、結局ねこに戻した。

あーそうそう、待ち受けと言えば、うちんちにみやが来るまでは、ダンナの待ち受けは私やったんやけど(えっへん)、みやが来たら直ぐにみやに変更になったけども、私もすぐにみやにしたから(それまでは、うちのクルマだった)、まぁしょうがない。

てかさ、あの時は、うちに遊びに来てた子供のツレがみんな、みやの写真撮って、帰りにはみやの待ち受けにしてたんだよな。

おっと、よつばちゃんの8巻は秋のお話。

実はさ、最初によつぼと!読んだ時には、これって、夏休みだよなー、お話の中で夏が終わったら、連載も終わるんじゃないの?とか、心配してたけども、一年中元気なよつばちゃんのお話になって、とても嬉しい。

日曜日, 9月 14, 2008

田舎の学校は山の中

ケータイが古くなって、ちょっと写真撮ったら、すぐに電池がなくなるんで、ここんところは、前ほど写真撮らなくなってたけども、そろそろ買い換えようか、てな話になってから改めて、とりあえず、今ケータイに入ってる(残ってる?)写真は転送しておこうかと思って、こないだ送った。

SDメモリーカードを買おうかと一旦は思ってたけども、機種を変えると使えなくなると聞いて、安いわけでもないのに勿体無さ過ぎるよ、と、一気に買う気がなくなっていたけども、メールに写真を添付すると、私の機種だと画像のサイズの関係で、圧縮されて画質もむちゃくちゃ落ちるんだわ。

折角のカメラケータイのつもりで買ったにも関わらず、カメラの機能だけを問題にするんじゃダメな事っていっぱいあるんだなー、と、分った訳やけども、添付する際の機能の一つに、画像を4分割したら、もうちょい画質がマシになる、みたいな機能があるねんけども、それをPCで受け取ると、勝手にくっつけてくれたりはしなくて、なんなんだよめんど過ぎるじゃんか、これもうやらない、と、思ってたのね。

が、今回転送してたら、どうしても、画質を維持したいと思った写真があって、PCに向けて4分割で送って、それを手作業でくっつけた。

それが、父が通ってた小学校の、この写真。

この小学校は、父の実家の近くにあって、まぁ、つまりばあちゃんちの近所やねんけども、とても可愛らしい小学校で、父の頃から複式学級。

私が子供の頃には、まだ学校やってて、休みの時にばあちゃんちに遊びに行った時には、近所の、この学校に通ってる子といっしょに遊んだりもしたし、こじんまりした校舎は、昔だった事もあって、この学校の子じゃないうちら兄弟も、よく遊びに入ったりしてたのよ。

が、その後、過疎化で、学校は一旦閉鎖になったんやけども、その後、地域振興の一環と、ちょっとした(1)世間の流行なんかから、山村留学を近くにある(と言っても歩いてそこって距離じゃないけども)中学が始めて、この学校が、留学生の寮として現場復帰したんだわ。

その後、結構続いてたみたいな山村留学も、父の退職後に、何時の間にかなくなってしまって、再び学校は放置状態になったんだわ。

がが、今回こっちに帰ろうかって話になってから、今学校の校庭までクルマで入れる道がついて、駐車場になって、学校も集会所にして、また修理したんやでー、と、聞いてびっくり、行ってみたらまたびっくりで、記念撮影となったのでした。

ばあちゃんちから近い事もあって、度々遊んだ学校やったけども、学校が閉鎖になって校庭がコスモスで一杯になったり、あの一緒に遊んだみよちゃんちが、越してしまってなくなってしまったり、色々あったけども、学校はそのまま残ってて、私が登った校庭のイチョウの木も、今回も無事に残って、とっくに閉校になったにも関わらず、今でもあるのがなんかすごく嬉しかったのよ。

(1)世間の流行
登校拒否と言う言葉が世間で流通し始めた頃の事になるのかな?

土曜日, 9月 13, 2008

ゲームってなんだろ?

大富豪について書いていて、その後、ドライブシミュレータに流れて、一方はカードゲームで、一方は、ビデオゲームで、同じゲームであるにも関わらず、随分とニュアンス違うよなーと思いつつ、個人と集団とか、対戦と自己完結とか、目的が何になるか、とか色々考えてたらら、ゲームって何なのかなぁ?みたいな疑問にぶつかったりして、一旦は「プレイヤが楽しめる」てな目的を思いついたりしたんやけども、ここで又「楽しめる」てのが、そもそも曲者だよなぁ、とか思って、やれやれ(勝手に)難しい。

つーか、一旦考えようかと思ってから、そんなの考えるのに時間を費やすぐらいなら、プレイに時間を費やした方が私は幸せになれるよなー、とか思ったら、急激にどうでもよくなってしまった。

製作者の人って、(たぶん)「面白い」とか「楽しい」みたいな、そりゃもう抽象的なテーマに向けて、ある時は自分の「こだわり」を賭けーの、ある時は、最大公約数を想定しーの、一方で、(快楽の)コストパフォーマンスを考えーの、てな具合に、葛藤を抱えながら、「面白い」を追求してたりするんだろうな、と、ゲームするようになって、かれこれ20年以上を経て、やっと(ほんとにやっと)思い至ったのだった。

が、一方で、プレイヤが「面白さ」を創り出す、みたいな部分ってのもあるよな~、とか思って、まさ、正直言ってしまうと、そんな風な事を考えるのは、もっと適した人が沢山居るんだろうな、てな気持ちもあれば、私には時間がないのよっ!と開き直りたいような気持ちもあって、イマイチそっちの考察はあんまりやってないような私ではありますが、ゲームに出会ってなかったら、私はもっともっと「嫌なヤツ」になっていた自信はとても(無駄に)あったりして、そりゃもう失ったものを数えたならば、キリがなかったりするけども、今の私がある為には、ゲームは不可欠だった、とは言えると思ってる。

うーん。これは、ちょっと違う。なんなんだろうな?

ま、いいか。

金曜日, 9月 12, 2008

ドライブシミュレータpart2

で、そうだそうだ、随分昔の話になるけど、R360ってあったよな、あれって一回だけしか乗った事ない上に、お値段も高かった上に、ゲームとしてはイマイチ、と言うか、私がやったやつがまずかったと言うか、初めて乗れたのが、発売(て、言うのかな?)されてから随分後になってしまってからやった上に、乗れた時には既に旬も過ぎてて、結果から先に言うなら、筐体を見たこと自体が最初で最後やった訳やけども、あれやったら、視界の問題もクリア出来るし、Gも何らかの形で再現出来るかもしれないよなーと思って、ちょっと調べたんだわ。

以下、色々。

で、ほうほう、事故が多発した上に、インカムは少なく、筐体そのもののお値段がむっちゃ高くて、しかも大き過ぎて設置できる所が限られてて、と、今更ながら色々大変だったのねーと思いつつ、そうそう、大きなアミューズメントみたいのも、何時の頃からか見かけなくなったもんなぁ、と言うか、そういや、あのR360が出たの頃てのが、バブルの最後の方の時期だったんだ、と、思い出した。

バブルの真っ最中てのが、うちらが埼玉に居た頃で、まだむ下は「赤ちゃん」と言ってもいいぐらいだったんだ。

その頃、ファミ通で、R360を見て、どうも池袋のゲーセンまで行ったらプレイできるらしいと知って、是非とも乗ってみたいと思っていた私は、ダンナを誘ったら、わざわざゲームだけやりに出かけるのは気が進まないみたいやったけども、まだ若かったうちらではあったんで、タマには子供抜きのおでかけしたいじゃないのさ、てのには乗ってくれて、休みをあわせて保育園の先生にゴメンねーとお願いして――公立じゃ不可能なんだけども、個人でやってるとても家庭的な園だったのよ。私はそこら辺がすごく恵まれてた。――、開通したばかりの埼京線に乗って、池袋へ行ったのよ。

最初に映画を見て――ビバリーヒルズコップ2を見た――、それから近くのゲーセンに入った訳やけども、うちらは二人とも池袋は(ほぼ)初めてで、行き当たりばったりで入ったゲーセンにはR360はなかったんだわ。で、しょうがないから、とりあえずそこにあったテーブル筐体のゲームで、ドラゴンスピリッツ(だったと思う)をやったんやけども、ダンナが瞬殺されて、次に私がやったら、ダンナよかもうちょっと粘れたんやけども、元々アーケードゲームの経験が殆ど無いダンナはゲーセンの音が嫌いで、頭が痛いとか言い出して――この頃はもうちょっと理解が出て来たように思えるけども、当時のダンナはあんまりゲーセンが好きじゃなくて、あの頃は、ゲーセンには、子供と行くか、一人で行くか、のどっちかだけだった――、どこ探したらいいのかも分らないし、お迎えの時間もある事だし、と、しょうがないからR360は諦めて帰ってきたんだわ。

その、一旦は諦めてたR360に再会したのは、神戸に戻ってからの事で、それでもPS以前じゃなかったかと思う。

記憶が定かじゃないけども、その頃時々借りに行ってたレンタルビデオ屋さん――ビデオだけじゃなしに、レンタルCDもあったし、ゲームなんかも売ってるところ――の同じフロアにゲーセンと言うよりは、もうちょっと広い目のアミューズメントスポットがあって、そこにR360があったんやけども、このビデオ屋さんはその後なくなって、その後、その裏手に広い駐車場を備えたTSUTAYAが出来て、そのTSUTAYAにPSのコントローラーとメモリーカードをを買いに行った覚えがあるんで――これは、PSについてたコントローラーがダメになった際に、子供がアクションゲームをすると(つか、ほれ、お友達もやって来るじゃないのさ)、コントローラーの消耗が激しい事もあって、メモリーカードとコントローラーは各自自分のものを使ってプレイする事にしよう、みたいな話になったからだったような気がする――、そのぐらいの時期だったんじゃないかとおもう。

で、調べてみると、R360が出たのが1990年で、PSが出たのが1994年らしいから、逆算したらば、丁度その間にも当るんで、それなりに記憶の方も、妥当みたい。

まさ、折角やっとこさ体験出来たR360だったけども、なんだかなー、感の方が大きかったんだわ。あれって、ゲームってよりは遊具て感じだった。

が、このR360を調べる流れから、本日やっとこさGを体感出来るドライブシミュレーターと呼んでも差し支えないと思える筐体が、実は既にあった事を、知ったもんで、おお、あったんだー、と感動したのよ。

F1をモチーフにしてるのかぁ。てか発売が1992年たら、R360の2年後ね。もしかしたら、4個ぐらい座席が並んでたあれがそうだったのかな?

で、その流れから行ったのが、ここ。

だよなぁ。あるよなぁ。だって可能だと思ったもん。そうかそうか、やっぱ無茶苦茶高価なんだ。だけども、自動車博物館みたいなとこに設置されてるんじゃ、遊ぶ為には使えないよなぁ。てか、あんまり想定してなかったけども、とてもリアルだったりすると、今度は逆に教育的に問題あり、て事にもなりかねないなぁ。

と言うか、公道を実在のクルマで走るって形のシミュレーターがあったとしてよ、ゲームなんだから、道交法関係ないんじゃないかとは思うけども、とことんリアルになったらば、逆に、必ずや実車でやってみたい気になるかもしれないよなぁ。でもないかなぁ。

あー、でも考えてみると、クルマの方には規制みたいのはかからないかもしれない。とてもリアルなロリ画像と、とてもリアルなドライブシミュレータがあったとしてさ、とてもリアルなロリ画像だけじゃ物足りなくなって、本物を求められちゃかなわんけども、とれもリアルなドライブシミュレータは、実車の売り上げには貢献するかもしれないもんね。

ドライブシミュレータ

Gを体感出来る筐体があったら楽しいな、と思っていた。

3DCGと物理演算で、ある程度可能になったんじゃないか、と言うか、米軍では演習用のシミュレーターが既に実用化されてるらしいと、結構昔の記事で読んだ事があるんで、技術的には既に可能になっているんじゃないかと思う。

レースゲームは得意じゃないけどそこそこやってて、ああ、レースゲームと言うよりは、ドライブシミュレーターと言った方がいいな。私が考えてたのはGT系で、マリオカートとかリッジレーサーみたいのをレースゲームと呼んだ方がいいんじゃないかと思ってる。

で、ドライブシミュレーターをコンシューマゲーム機で遊ぶ際に一番つまんないと思えるのが、コントローラで操作するって部分で、専用コントローラも、うちんちには幾つかあったりするねんけども、あれって、全然ダメダメやねん。

#ああ、話が切れ切れだ。思いつくままにだらだら書いてしまうからやねんな。

いやね、ゲーセンは今でも私には敷居が高くて、金も暇も無い上に、既におばさんな上に、果たしてそんな筐体があったとしても、アーケードでアクセル開けたとたんに、コントロールを失って、あっちゅう間にお金を失ってしまって、しかもしかも、周りの好奇の目みたいのも微妙に気になるようにも思えて、あったらやります~と、言えるかどうかも正直微妙やなーとも思うねんけども、だけども、あったらプレイしてみたいよな、ともすごく思うねんな。

コンシューマゲーム機でドライブシュミレータを遊んでて、嬉しいのは、クルマが簡単に壊れない事と、ぶつけてもお金がかからないとこと、道ががら空きで、対向車や一般車両――て言い方変だけども、うちらの意図とはまるで無関係なクルマの事、のつもり――が走ってない事。

で、不満と言えるのが、実車にある「体感」が、(入力も、出力も)得られない事と、視界が限られてるって部分やねんな。

が、視界の方はまぁ、妥協できるねん。てか、スピードが上がると、自ずと視界は限られてきてしまうんで、実車じゃ易々体験できない200km/時オーバーが、簡単に出てしまうドライブシュミレーターだと考えると、狭いと感じていた視界も、もしかしたら逆にリアルなのかもしれないよな、とも思えるねん。もしかしたら、目の前の視界よりも、むしろ「横の窓」を見る事が出来ないって事の方が、より不自由なのかもしれないな、とか。

入力の方を考えてみると、コントローラだと、シフトを動かすってアクションがなくて、どうもね、ここが嫌いやねん。エンジンブレーキを利用したいとか、私は出来ないけども、ヒール&トゥって「足技」が使えない、てんじゃ、ドライブが持つ楽しみをとてもとても阻害してしまうと思うのよ。

で、(1)出力の方が、最初に書いたGを体感出来ない、てのが一番大きい訳やけども、コーナリング時のGだけじゃなしに、ターボがかかった時に背中を押されるみたいな加速の感じとか、高速で坂を上った時の、体がシートから浮き上がるあれとか、エンジンの位置の違いによるGの移動とか、ショックの硬さによる、揺れの違いとか、まぁ、そんな風なのを「体感」出来たらさぞ素敵だろうな、と、思うわけなんですわ。

ポルシェの曲がり難さとか、ジャガーの加速とか、パーツを弄った変化とか、体感してみたいじゃないの。あー、後、F1の世界みたいのも体感してみたいよね。よね!

世界の道をあのクルマで走ってみる、みたいのもいいな。

いやさ、実車買うよりは、ずっとずっとお安い訳で、あればいいな、とか思う。

ああ、そうそう、後、自分のクルマのスペックを入力して、限界を試せる、みたいのもいいよな。

修理費が不要としても、ここまでやったら、スピンするよ、と言うか、むしろスピンを体験出来る方がよりいいな。後、ぶつけたら、エアバックが出てきたりしたら、楽しいよなぁ。

ああ、これは、予算的にシビアになるというか、エアバック出しちゃうと、別料金にするか、警告ランプが点滅して、そこで何らかの有効な回避策が取れなかったら、強制終了、みたいな形にした方がいいのかな。

ああ、そうそう、後、車幅感覚みたいのを体感するてのは、レースゲーム的じゃないけども、クルマを動かすのもう一つの魅力じゃないかとも思ってるんで、「車庫入れ」や「縦列駐車」をテーマにしたミニゲームみたいのも、あったら楽しそう――これがメインになると、ストレス貯まりそうなんで、「車庫入れゲーム」みたいのは、あんまり人気が出ない気がする――。

ものごっつい、妄想全開で書いてしまったけども、これって、アーケードゲームとして実用化するのは、結構ムズいんじゃないかと思ってる(かかるコストに比べて儲かり難そう)。かと言って、普通のご家庭で、そんな筐体を購入するとはあんまり思えない。

こーゆーのは、クルマ屋さんとか、モーターショウで導入、て方がむしろ可能性が高いかもしれないよな、とも思ったけども、道具としてクルマを使ってる人の方が圧倒的に多いんだよな、とか考えたら、むーん。かなり無理ぽい。

馬鹿なメーカーがやってくれたらいいのにな。どのぐらいつぎ込むかは約束できないけども、必ずプレイしますよ。

#このエントリーは、ゲーモクさんの訃報に触れて書きました
#ネット上の、しかも、まるで接触がなかった人の訃報に触れて泣いてしまうのは、自分でもちょっとした驚きでした
#もっとも、ギャルゲでもお涙頂戴のあざといドラマでもすぐに泣いちゃうようなお安い涙である事を書いておかないとフェアじゃないですねw
言葉が足りていないように思えるんで、追記します。
(1)出力
出力に伴うはずのリアクションを想定していました。目で確認出来る各種メーターや、目の前の景色以外の部分が、既存のビデオゲームには殆どないと感じていたのです
もしかして、あるのかな?

シミュレータとシュミレータが混在してたんで、適当に訂正した。タイトル部分に<:del>て入れると文字化けしてたんで、消して書き直した。

あー、そう言えば、必ずしもマメにそうやってる訳じゃない。プレコックス感は、「コプレックス感」と「プレコップス感」と「プレコックス感」が混在してて、もうめっちゃめんどくさくなった。訂正印つけようって気にもなれなかった。

ローカルのエディタだったらば、置換イッパツなのになーと思ったんやけども、ここのダッシュボードのエディタには、そんな機能はないんかな?

水曜日, 9月 10, 2008

大富豪について

うーん。色々違ってるように思えて、ただ、このエントリーのテーマとは直接関係ない事なんで、どうかなーと思いながら、とりあえずだらだら書く。

たぶん、このエントリーの元になってるのは、「人生のつまらなさ」と言う価値判断への違和感が始まりなんじゃないかと思うけども、その後で書かれている「大富豪」ってゲームの考察の部分が、ちょっと違うんじゃないかな、と思えて、何だか気になってしまった。

なんか、ドキドキして、しんどくなるのだ。もう、自分が勝つか負けるかで、神経をすり減らすのが、想像しただけでしんどい。このゲームは、勝つとより有利な条件に置かれ、負けるとより不利な条件に置かれる。そして、いつ終るかもわからず、延々と夜が更けるまで、ゲームは続くのだ。

このゲームが好き――と言うかゲーム的な要素のあるものは大抵好き――な私は、勝つか負けるかドキドキ(わくわく、かも)するのが面白い訳やけども、勝つか負けるかで神経すり減らすのが「しんどい」と言うのは、とても新しかった。私が「面白い」と思う部分こそが、「しんどい」場合もあるんだなー、と。

まぁ、これは、好き嫌いのお話。

気になったのは、後の部分。

 でも、ここでポイントなのは、私と友人は、「イヤだから、抜ける」という行動をとったということだ。あとで、旅行の参加者の一人が「自由気ままなヤツらだ」とあまりポジティブでない言い方で、私と友人のことを言っていたと聞いた。それくらいの、自由くらいは気軽に行使してもいいように思うが、カードゲームは集団で盛り上がることを前提にしているので、「抜ける」というのは「集団の秩序を乱す」ことなのかもしれない。もしかすると、カードゲームとは、相手の持っているカードを読み、集団の中で点数を競うという、コミュニケーションを求められる、社会的なゲームなのかもしれない。

これ、後で「自由気ままなヤツらだ」とポジティブじゃない評価をしたらしい参加者の一人の方に疑問を感じました。まぁ、全員一致の方がより異常な訳ですが、遊びの部分なのだから、参加も不参加もキホン自由でしょうよ、と。

大富豪は参加人数が決まっていて、誰かが抜けたら成立しなくなるゲームじゃないですよね。もしこれが、麻雀や、ツーテンジャックのように、決まった人数が居ないとプレイ出来ないゲームだったり、チーム対戦って形でゲームが進められていたり、あるいはスコアをつけて最後(と言うか回数を決めてその回の最後)にバツゲームがあったりするような形でのプレイだったとしたら、批判も多少はしょうがない部分があるんじゃないかと思うけども、単にそこに居る人たちでだらだら大富豪を続けるだけなのならば、抜けようが入ろうが特に問題ないように思える。

カードゲームは、元々「集団で盛り上がる」事は前提にしていないし、そもそも、カードの枚数には限りがあるのだから、参加人数は限られています(二人じゃ大富豪やババ抜きや7並べは出来ないけども、集団と言うからには、3人じゃないだろうと言うか、3人なら、2人抜けた時点で対人カードゲームは続行不可能)。

もちろん、点数を競うカードゲーム「も」あります。が、大富豪にはキホンそんなのはないです――ローカルルールが多いので、もしかしたら、そんな前提でプレイしていたのでしょうか?――。又、相手の持っているカードを読み、集団の中で点数を競うのに必要なのは「戦略」であって、「コミュニケーション」とはちょっと違うと思う。戦略的な駆け引きはあっても、政治的な駆け引きは殆どのゲームにはありません。

もちろん、集団で盛り上がる「手段」としてカードゲームを選ぶ場合はあるかもしれないけれど、それは手段の一つでしかない訳で、単純に好きじゃないゲームだからしなかっただけで、集団の秩序みたいな事を言い出す方がおかしいように思えました(あ、言ってはいないのか)。

対人ゲームで秩序を乱すと言えるのは、ゲームのルール(枠組み)を守らない事じゃないのかなぁ。参加するしないよりも、ここの部分を外した場合の方が、ゲーム上のコミュニケーションとしては問題アリじゃないかと思います。もちろん参加者全員が「何でもアリ」と言う「ルール」を共有していたらOKですが。

少なくとも、大富豪と言うカードゲームのあり方を考えると、大富豪に参加しなかったり、盛り上がれなかったりする事と、社会的なコミュニケーション能力とはあまり関係ないように思えます。

むしろ、この件が、コミュニケーション上の問題になる場合があるのならば、それは、大富豪で盛り上がれなかった事よりも、「みんなでいっしょに同じゲームを楽しむべき」と言う「空気」があったにも関わらず、それを読めなかった事になるんじゃないかと思います。

後、大富豪のルールが、資本主義的というお話ですが、「革命」と言うルールをご存知ですか?――私達がそれを知った時には、「高槻ルール」と言うローカルルール名でしたが、何時の頃からか、「革命」と言う名ので全国区になっていました――。フォーカードで、カードの順位が逆転すると言うやつです。ワンサイドから一気に転落したり、その逆も可能にする、面白いルールです。リアルじゃ易々革命は起こせませんが、大富豪だと結構あるんですよ。

最後に、私個人は、ゲームでは大抵盛り上がれますが、大人数でのおしゃべりがとても苦手で、「しんどい」と感じています。明らかにこっちの方がコミュニケーション能力的にはまずいんじゃないかとも思えます。又、そんな訳で(好きだというのが一番ですが)勝ち負け「だけ」を話題にしていられるゲームの方が、色んな人の色んなおしゃべりの話題についていくよりは、どちらかと言うと楽だと感じています。

#てか、トラックバックを送ろうと思ったけどもやり方が分からない。
#と言うか、そんな機能はついてるのだろうか?

うみねこep1真里亞を追えやってた

うみねこep1真里亞を追えの続きをやってた。

公開してる部分が、(2)までやったけども、ローカルでは(6)までやってるんで、結構一挙公開ぽくもあるけども、魔理亞の台詞を全て書き出してるんで、無駄に長いばっかりで、まだ初日午後に至ったばかり。

改めて見てみると、ep1てば、右代宮家や六軒島の背景や登場人物紹介みたいな部分が多くて、おさらいになるかもしれないなーと思いつつ、ep3が面白かったんで、早く進みたい気分も結構あるな。

が、そこら辺の思った事は、うみねこメモの方に書こうと思ってるんで、こっちでは、やった事だけをさしあたって書いておく。

ずっと画像がなくて(勝手に)寂しかったんで、今やってる場所のスナップショット少々。

子供達が浜辺に行っている間の、客までの親達の会話に戻ったところ。人物が居ないので、これだけだとかなり意味不明w

日曜日, 9月 07, 2008

無題

書くほどの事も無い、と言うか、微妙にくたびれてて、気がついたら、更新してなかった。

blogって形になると、構えすぎるなぁ、と、ちょっと思った。

タイトルがないと、見にくいので、後付タイトルは無題。今後は、こんなやつのタイトルは「無題」としておこうかと思う。

火曜日, 9月 02, 2008

にほんブログ村

田舎に越して来て、とは言え、私にとっては地元なんで、友人も知人も沢山居るし、気になってた親も近くに居るし、元々そんなにも生活に不便のある場所でもないし、と、特に不満もないねんけども、思った以上にネットしてる人が居ないんで、ご近所さんのブログとかないかな~、とか思って、今日は、地名入れたりして何気に検索してたんだわ。

したら行き当たったのが、ブログ村

あらここ知ってる。

てのは、コッチ来てあんまり間がない頃に、父が、なんかに当選したんで「お礼が言いたい」んやけども、お礼のしかたが分らん?とか聞いてきて、行って話を聞きつつ、実家のPCから辿りついたのがここだったんだわ。

結構ローカル情報に力を入れていると言うか、あ~んなど田舎(と、私は思っていた)から地産商品情報を発信してるんだ~、と驚きつつ、懸賞(みたいの)に当選したらしい事を発表してるとこから、いろいろ探して、とりあえず、アドレスあるから、ここにお礼出してみる?とか言ったら、何だかメールの使い方もよく分らない、と言う事で、父の言う事聞きながら、ネット懸賞(みたいの)に当選した事に向けて、お礼状メールを打ったりしつつ、その発想はなかったなぁ、と、しみじみ感心したりしたのが、去年の夏の事。

#結構笑えたのが、父が、自分のハンドルネームを、「ふくちゃん」にしてた事で――だって、80前のじいさんが「ふくちゃん」て可愛すぎね?――、いやさ、そんなもんなのかもしれんけども、当選者のとこに「ふくちゃん」で出てるのが、確かに父の事で――ウェブの発表に先駆けて、郵便で当選が知らされて、そこにあったアドレスからサイトを当った――、どうもニックネームの入力を求められた時に、とっさに思いついたのがそれだったみたいなのよ
#「ふくちゃん」そのものも可笑しかったけども、うちんちじゃフクスケを「ふくちゃん」とも呼んでて、どっちの「ふくちゃん」も、ぼ~っとしたとこあるよなぁ、とか思うと、一層「ふくちゃん」が楽しかったんだわ

まさ、そんな事を思い出しつつ、地元の人が発信してるらしいブログアレコレ見てたら、へぇ、意外。高齢者(の区分の正確なとこってあんまり知らんけども、なんとなく、60代以上なのかなと思ってる)の人のが結構ある。

#まんま地名を入れたら、数件が当って、その大部分が50歳以上
#しかも、たったひとつあった、10代のブログの方は、404not foundになってた

おお、まだまだ私の知らない世界って沢山あるんだなぁ、と、感心しつつ、そのまま今度はブログ村のランキングに。

たら、すごいものを発見した。てか、これをすごいと思うのが、もしかしたら既に私が「ズレ」ていたって事なのかもしれないけども、思わず読み耽ってしまった。

のが、舅・姑・小姑 人気ランキングに入ってる、あれとかこれとか。

嫁、がんばれー!

月曜日, 9月 01, 2008

移転に伴う諸手続き

んで、月も変わってしまうんで、今日はらんどの方のリンク先とかメールアドレスの方の変更をやってた。

さっき気がついたけども、エディタで書いたものをコピペ、て形でこのblogに投稿してる訳やけども――画像の貼り付けは、ついてるエディタの機能を利用してるけども、リンクを貼るときは、ローカルのエディタの方がより使いやすいので、こっちで、書いてる――、投稿ボタン押したら、エラーが出て、したら、閉じタグが抜けてて、こりゃ親切設計だー、と、感動した。

ネットみのもんた

ネットみのもんたねぇ。

アドバイスと説教の違い、てのがもひとつよく分らなくて、まぁ、聞きたくない事を言われたら「説教」と受け止められて、役に立ったり嬉しかったりしたら「アドバイス」と言う風に、「受け手」が決めるもんなのかもしれないな、とか思う。

はてブにネットみのもんたが沢山居るように見えるのは、あれがずらっと並んでいるから、て部分もあるけども、「教えてgoo」や「人力検索はてな」や「Yahoo!知恵袋」みたいに、はっきり質問者(や、書き手)が回答を求めて居ないにも関わらず、意見しちゃってるから、余計に大きなお世話ぽく見えるて部分はあると思う。

もっとも、ああ、みのもんだだー、と思う回答って、発言小町とか、他の質問系のサービスだと、もっともっと多くて、質問者が具体的な回答を求めているにも関わらず、倫理的だったり、気持ちの問題での返信がついたりして、いやそれ、質問の答えじゃないじゃん、と、(読んでる私が勝手に)思ったりもしてるねんけども、意外にも、質問者が素直な人だったりすると、それだって充分に有益なアドバイスになってる(ように見える)事もあって――これは質問のタイプもかなり影響する。とても技術的な質問をしているのに(how toを求めている)、努力が足りない、みたいな事を返したら明らかにズレてるけども、逆に質問者が、余りに手前勝手な問題を投げかけたならば、厳しい言葉も必要なんじゃないかと思う。――、面白いなと思う。

でもさ、そんな場面でもって、質問者が反発すると、これはもう、むっちゃ荒れる。発言小町とかそれが顕著やけども、そうなると、質問者の返事(の「内容」じゃなしに「ありよう」)に対して批判が来て、それに同調する人やら、それを諌める人やらで、バトルロワイヤル状態になって、当初の質問は遥か彼方。

んなの見てると、掲示板にも「司会進行」するような人が居る方がいいのかもしれないなー、とか、思う時もあるけども、元々が管理人の居ない掲示板でもって、主催者みたいな所がそれをやったら、今度は参加者全員を敵に回しそうだし、誰かが手を挙げたら、何で「アンタ」なの?みたいな事にも発展しそうで、事態の収束はもっともっと遅くなるだけだろうなー、とも思えるんで、結局は、なるようにならせておくしかないんだろうな、とも思う。

ほれ、はてブのコメントやったら、んなこたー聞いてねーよ、で終わりにも出来るけども、最初に教えて、と言っといてそれじゃ叩かれてもしょうがないんじゃないかと、まぁ、私は思う(これはイラッと来るだろうなーと思える回答は確かにあるけども、多くの意見を知りたいからこそウェブを利用したんじゃないかと思うから)。

#だけども、私なら、この手の相談は、身内なり友人なりにするけどなー、と思うような質問見てると、相談できる相手が近くに居ないのかなぁ、とかひょっこり思う
#まさか、只今質問してる人に向けて、何でこんなとこで、こんな質問してるの?とは聞けないから、そのままだけど、ネタとか釣りとも思えないけども、何でここでそれを?みたいな疑問を持つ事は結構ある
#近所付き合いみたいのは、どこから漏れるか分らない上に、「相場」みたいのを知る上でも、ウェブを利用する値打ちはあるんじゃないかと思うけど、ダンナの愚痴みたいのは、友人だよなー、みたいな

さて、だけども、説教もアドバイスも時には必要なんじゃないかと思うし、言ってもらえて良かったと思える言葉って、私には結構沢山ある。後、その時は説教うぜー、と思ってたのが、後になって、あーそうだったのかーと分る時もあれば、逆に、ごもっとも、と、思っていたのが、後に、違っていたのかもしれない、と思う時もある。

だけども、一番むずいと私が思っていたのが、子供に説教したりアドバイスしたりする時やねんな。

なんつーか、出来るだけ失敗を経験する機会は奪いたくない訳よ。トライ&エラーてのが、平凡な人間にとっちゃ(たぶん)一番使えて効率的でもある学習法――その事を学ぶだけじゃなしに、応用も利きやすいんじゃないかと思うし、何より、トライ&エラーと言う形の学習の方法を身につけられるの方が、生き易くなるんじゃないかと感じていた――じゃないかと思ってて、だけども一方で、こっちから見たらほぼ自明の事ってのが、なんしか相手が経験の絶対値が足りてない子供なもんだから、当然沢山あるんだわ。

そんな時、「ただ黙って見ている」って行為ってのは、好ましいのか?好ましくないのか?

いやもう、ここら辺がほんとにむずい。ネットみのもんたと言ってしまっていいのかしら?みたいな気分が拭えないのは、そこら辺やな。

後ね、そのアドバイスなり説教なりは「誰」に向けてのものなのか?てのは、かなり重要。

私はさ、アドバイスも説教も、基本的には個別具体的じゃないと有効とは考えてないんで、具体的な対象に向けていないものは、アドバイスだとも、説教だとも思ってないけど――みんな、とか、社会に向けて影響力を行使する態度だとは思っている――、アドバイス(又は説教)の形を取って、みんなや社会に向けて語る、てのには、警戒しちゃうな。