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木曜日, 12月 25, 2008

天皇制とか戸籍制度とか

コメント欄がものすごい事になってるんでとても驚いた。

又、天皇制の廃止や戸籍制度の廃止について書いた文章に、ネタというタグがついたのにもとても驚いた。

私自身が、天皇制――と書くのは正しくないんじゃないかと思う。戦前は天皇制だったけれど、戦後の新憲法下では、民主制になっている訳で、天皇の「地位」が「人間」でありながら、「象徴」とか言う、ひどくあいまいなものになっているのは、日本側の意向と、マッカーサー(と言うかアメリカ側)の意向が対立した際の折衷案みたいなものだった、と言う風に私は理解している――と、戸籍制度は将来的に廃止するのが望ましいと、ガチで考えていたので、ネタ扱いは元より、この時代になってもまだ、一種の反発がある事を知れたのは、ちょっとした収穫のようにも思える。

正直なところを言えば、2008年も終わろうと言うこの時代では、私を含む大部分の人にとっては、天皇ってすでに「どうでもいい」存在なんだと思っていたんだわ。

後で、もうちょっとまとまった事書くかもしれないけども、取り急ぎ、メモ。

土曜日, 12月 06, 2008

ようこそ、スパム

あかん。面白すぎるから、削除できない。

昨日の「無題」のエントリーにコメントがあって、あらめずらしい、と思って、見たらばこんな内容。

コンパ痴漢若妻チェリーボーイ放尿援交スカトロトイレ直アド童貞 処女超熟女下着潮吹き筆下ろし熟女セックス童貞率小学生デブおしっこデリヘル

げっ。出会い系のスパムかよ。と、削除しようと思ったけども、リンクになってるもんだから、「コンパ痴漢若妻チェリーボーイ放尿援交スカトロトイレ直アド童貞 処女超熟女下着潮吹き筆下ろし熟女セックス童貞率小学生デブおしっこデリヘル」ってどんなサイトなんかは、確認してみたいよなー、とか思って、つか「スカトロトイレ直アド童貞」とか「童貞率小学生デブおしっこデリヘル」とか、なんかおかしくね?いや、私にはおかしかった訳よ。

んで、こんなん書いたら、いっそうスパムが来てしまうかもしらんなーとか思いつつも、削除してしまう前に、とりあえず見てみよう、とか思ったんだわ。

んで、飛んだ先サイトが、まぁ、予想通り出会い系ぽくはあった訳やけども、なんか変やねん。

たぶん、titleに書き込まれてるのが、「デブ限定の出会い系サイト」やねんけども、ページの本文の方にはそんな事書いてなくて、それよりおかしいのが、本文の、女の子の写真の横に書かれた文章。

とても変な日本語やねん。

あー、これってたぶんあれだよな。翻訳ソフトとかそれ系のやつだよな。

#いやね、単純にそういう風に予想してるだけやねんけども、引っ越した後で、溜まりに溜まった公開メアドにやって来たスパムを削除していますに、いやもう、(たぶん)99%以上が出会い系だかのエロ関連スパムやった訳やけども、時々とても変な日本語のメールが紛れ込んでて、翻訳ソフトだかを利用してるんじゃないのかなぁ、と、思っていた訳よ。

残すことで、他のも呼び寄せるのかどうかは分からんけども、置いておくのもどうかと思えるんで、削除しようかと思うけど、記念に、その奇妙な本文引用しておくね。

女子高生多数

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出会い系って儲かるのかなぁ?儲かるんだろうねぇ。こんなにあるって事は。

火曜日, 12月 02, 2008

スーパーのパートのおばさん

うーん。と、スーパーの現場で働いてる私は考えていた。

とても盛り上がっているのだけれど、私が気になっていたのは、「レジの技術」や「接客態度」に注目が集まるという現象の方。

理由の方は至極簡単で、お客様のところからよく見える部分だから。

「接客態度」てのは、とてもクレームになり易い部分で、前のコンビニのレジのおばちゃんの話が盛り上がったのも、誰もが自分の体験と重ねやすい事例てのは、盛り上がり易い部分だし、多くの人が経験しているような事ってのは、クレームになり易い部分でもあります。

給与に関しては、適切だと思える概略を書いたエントリーがトラックバック先に沢山あるんで、私は、実体験から少々。

小売業界のパートでも、「職能給」のようなものは多少は取り入れられている場合もあります、が、せいぜい時給がん十円上がるって程度だし、私個人はそれがそんなに重要な事だとも考えていない。

確かに個人差はあるけれど、個別の生産性を多くの人が納得できる形で計るのは実際には困難だし――多くのパラメータを設定した上で、同一条件で測る必要があるんじゃないかと思う。成果主義が結果的に上手く行っていないように見えるのも、そもそもが測るのが困難なもの無理やり測ってしまったから、って部分があるんじゃないかと(勝手に)思っている――、十円二十円の為に、個別の細かい査定をする方が余程コストがかかるだろうと思う。

後、元々が、コスト削減の為にパートを使っている訳で、「パートである」と言う時点で既に低コストなのだから、私個人の感覚だと、まじめにふつーに働いていればそれでいいんじゃないかと思っている。

#リンク先で、自信と誇りを持って、みたいな事が書かれていたけど、私は、もしも上司からそんな事言われたら、むしろ引く
#なんつーか、仕事は仕事。自信や誇りのあるなしで結果に違いが出る方が、好ましくないんじゃないかと思っているし、一方で、おだてられたからと言って、木に登ったり裸になったりは出来ないよな、みたいな

まさ、それはおいといて。今回書こうと思ったのは、シャドーワークとかそんな事。

大型スーパーでも食品スーパーでも、なんでもこなすコンビニとは違って、スーパーてのは大抵は部門別に分かれてて、私がやってる「食品品出し」だと、店舗内での作業もそれなりにあったりするけども、殆ど店舗に出る事の無い仕事ってのも、結構多い。

私は、食品関連の方の経験しかないんで、家具や衣料品や雑貨の事はもひとつ分らんけども、食品部門では、大部分がバックヤードのお仕事になってて、荷受、発注、在庫管理、生鮮食品だと肉や野菜を切ったりパックに詰めたりと言った下準備、商品の衛生管理や、調理場の衛生管理、価格変更、ポップ付けに、売り場作り、と、それらに伴う(整理整頓といったタイプの)諸作業。まぁ、だいたいこんな感じ。

お客様に直接接する事は少ないけれど、そんなんが全部ちゃんとそれなりに廻ってスーパーは動いている訳。てか、スーパーに限らず、多くの業種でそうなっている(はず)。

でね、時々思うのよ。正直な所を言うと、接客に求められているものが「過剰」なんじゃないのかな、と。

お待たせしない、とか、丁寧で行き届いた対応みたいな「心遣い」は、当然そうであった方がいいけれど、実際に「必要不可欠の部分」とは結構遠いじゃない。「安全性」は言うに及ばず、「買いたいものが安く楽に買える」事の方がずっと大切。にもかかわらず、「対応」へのクレームは鬼門になってる、みたいな。

私個人は、「接客」される事自体が「負担」になる方なんだけど(無人レジ大好き)、なんしか、過剰な接客を「するな」って声は上がり難いし、今日びは企業の側も「安全マージン」を大きく取ってるから、一概にお客様(≒消費者)の要求が上がり過ぎている、とも言えない部分ではあるけれど、やっぱ「目立つ」部分だもん、盛り上がりやすいよな、と。

ただねー、個人的な希望を言うならば、「お客様第一」てのは、「お客様の機嫌を損ねない事」じゃなく「お客様の安全を守る事」とか、お客様の快適にお買い物をして頂く事とは、お客様に「いい気持ちになって頂く事」じゃなくて「不便を取り除く事」みたいな、そういう方向にシフトした方がいいんじゃないのかなぁ、みたいな気分があるのよね。特に、スーパーみたいな日常の必需品を売る店なんかだと。

#ある意味、お客様に向けて、と言うよりは、経営者に向けて、だよな、これって
#もしかしたら、食品スーパーは「営利組織」でない方がいい、と言ってるのかもしれない
#生協とかソッチの方が私に向いてたかもしれないな
#後、消費者の「意識」を変えたいてなものすごい「野望」でもあるよな

顧客「満足」って難しいね。

ネット圏の捉え方part.2

とと、最初はみつけられなかった元記事が、otsuneさんのモヒカン族とムラ社会の文化衝突の例として「なんとなくかくにっき」騒動て、エントリーから行けるのが分った。

#が、日付が2005年になってて、これは、なんかのエラーなのかな?それとも、他の事があって、過去の事例を示したんやろか?
#てか、このリンク先はアーカイブの方なんだ。よく残してくれました。

これで、経過も反応の方も確認できるや。おおすごい。

まさ、この時の「反応」のありようが、ブログってもんがある程度普及して、トラックバックなんかでどんどん繋がって広がっていく経過を最初に直で見た、と言うか、もうこの頃には「まとめサイト」みたいのも結構あったけども、なんと言うか「ありがちなささやかな事」が――みようによっては、ありがちでささやかだったから「こそ」なんかもしれんけども――どんどん「延焼」して行くようにも見えて、「ツールの力」みたいなもんを実感できる、印象的な事件だったんだわ。

んで、だ、この時書かれた「もうヴァーチャルじゃねーんだな、と」のエントリーはさ、ブログの繋がり易さとか、あっさりリアルと接続しちゃった身も蓋も無さみたいのに対して「これまでとは違ってきた」みたいな詠嘆なんじゃないかと思えるのよ。

あの頃はさ、ネットって、リアルじゃ口に出せないような「ホンネをつぶやく」場所みたいな雰囲気あって、blogと日記の違いみたいのも、よく語られてた訳さ。

でだ。まだ「スルー力」なんて言葉も無かったこの頃起きたこの「なんとなくかく日記」騒動(事件、じゃなくて騒動だったのね)では、電凸て言葉も無かった訳やけども、アクセス元の学校経由で、いたづら相手の学生に注意を促し、事の経緯を公表する事に対して、適切な判断、と好意的な意見と、一方で、大袈裟、やり過ぎ、みたいな批判も起きたりしたんやけども、そこで私が面白いなと思ったのは、この管理者様が、ご自身のブログを「家」と表現し、ネットとリアルは地続きだと認識していらっしゃったからこその警告だった、てあたり。

私は、この一連のやり取りを通して言いたかった事があります。それは、インターネットも普通の社会と同じ。だから、実社会でやってはいけないことを、インターネットでもやってはいけないし、やって欲しくない。これからのインターネットを担う彼らには、そういうことを学んで欲しかったので、わざわざ連絡を取って対応をしたし、記録として他の人にも役に立つと思ったから公開したのです。
それが技術的に可能である・当たり前にできることを知っているから、自分がそれをする・されることを当たり前に受け入れられる
あるいはネットの世界そのものが「できるからと言って、何でもやっていいという訳ではない」という風潮に傾いてゆくのか。

わずか5年前に、otsuneさんが、モヒカン族とカテゴライズした管理人さんのネット観と、自らをgeekとおっしゃるはまちちゃんさんのネット観とは殆ど重ならないように見える。

ここの部分に関しては、私には、単純に、はまちちゃんさんのモラルが低いだけに思えるけれど、私もモラル低いんで、自分が得できて面白くて、他者に(さしたる)被害がないようならば、問題ないです。

感覚の方は知ったこっちゃないですが、実害がないようお願いしたいと思います。まとまってねー。つかおちがつかないや。

ネット圏の捉え方

ってエントリーを読んで、なんだか既視感があったんで、「もうヴァーチャルじゃないんだな」で、ぐぐってみたら、おおっ、ちゃんと残ってた。

実際には、「ないんだな」じゃなくて、「ねーんだな」やったみたいやったけども、それでも検索結果はちゃんと私が求めてたエントリーがヒットして、やるじゃん、googleと、一瞬思ったけども、よくよく見たら、「もうヴァーチャルじゃ」で一致したのがこれだけだったんだ、と、分ったけども、「文章」で検索したらば、(それなりに)精度が上がりやすくなるんだ、てのは、ちゃんと覚えておこう。

おっと、すぐに話が他所へ飛んでしまうのは、私のとても悪い癖だな。

で、今回改めて調べてみて、これが「なんとなくかくにっき」事件から出たエントリーだったんだ、と、調べてやっと知って、改めて、「なんとなくかくにっき」事件の事も思い出していた。

が、実は、最初にリンク貼ったエントリーで示されてる「geek」てのが上手くイメージ出来なくて、もひとつ掴みきれていない上に、並べて示されてる「女の子」てのもやっぱり同じように掴み難くて、だから、本エントリーの趣旨が既に「よーわからんなー」て感じの状態やねんけども、それでも、「もうヴァーチャルじゃねーんだな」エントリーを思い出したのは、以下の短い文章からやねん。

これまでgeekの遊び場だったネットの世界も、「geekの常識」が通じない世界(の方が主流に)に変わってゆくのかもしれないね。

ここが、(私にとっては)すごく面白い部分やねん。

この二つのエントリー、の「もうヴァーチャルじゃねーんだな」は2003年のもので、それが書かれるきっかけになった「なんとなくかくにっき」事件、とか言うのが、あの時起きたんだわ。(参照:なんとなくかくにっき~ブログサイト

残念ながら、私個人は、この事件そのものには、あんまり興味が持てなくて、参照リンク先でも書いてるように、その後で起きた「ブログ(ツール)論」(山田BBSだったんじゃないかと思う)の方に向かってしまったんで、この日記読んでも、当時の「論争」がどんなもんだったのかは、分らなくて、今になって考えると、簡単なものでもいいから、「事件そのもの」への感想を書いておけばよかったな、とか思った。

そんな訳で、改めて、ぼんやりした記憶を辿る程度の精度やねんけども、事の経緯を思い出して書いてみようと思う。

この「なんとなくかくにっき」は、当時としては、「目新しかった」(だから、そのツールを利用できるスキルがある人だけが使えたような)ブログツールを利用して、個人的日記――どちらかと言うと、世の中に何かを訴えかけるようなものではなく、備忘録のような利用法をしていた(が、技術的な内容が多く、情報共有も視野に入れていたので、公開していたのだと思う)――を書いていたのが、この「コメント欄」に元エントリーとは全然関係の無い「つぶやき」が書き込まれた、て事からこの事件と論争が始まったのね。(つづく)


(つづき)とと、最初はみつけられなかった元記事が、otsuneさんのモヒカン族とムラ社会の文化衝突の例として「なんとなくかくにっき」騒動て、エントリーから行けるのが分った。

#が、日付が2005年になってて、これは、なんかのエラーなのかな?それとも、他の事があって、過去の事例を示したんやろか?
#てか、このリンク先はアーカイブの方なんだ。よく残してくれました。

月曜日, 12月 01, 2008

無題

今後は、トラックバックを打つ前には、相手先のエントリーをキャプチャして、魚拓を取って、短い文章ならば全文引用も利用しようと思った。

後、出来るだけ時間も記録しておこうと思う。

あなたは18才以上ですか?

うわーっ!!!見た?見た?

さっきね、はてブの人気エントリーにあった、マ人間の傾向と対策:アルファモザイクてのを読んで、それから、ブコメを見てみようと思って、ブコメ欄をクリックしたのよ。

したら、この画像みたいなブコメのページではあるねんけども、上の本文とタイトルがあるはずの部分がなぜか英語表記のページになってて、えっ、どうなってるん?と思っいつつ、その部分は日本語のままだった[エントリー本文へ]のリンクをクリックしてみた訳よ。

したらば、なんと、海外の動画サイトに飛んで、そこで上演(?)されてたのが、ガイジンの本番だった、と。

えええ~~~っ?なにこれ?と思いつつも、モザイクもなんもなしのモロミエで、思わず見入ってしまった訳やけども、おお、いかんいかん、と我に返って、一体何が起きたんやろか?、と再びエントリーに戻って、そこから再びブコメのとこをクリックしたらば、この画像の画面になってて、ここからでももう一回行けるかな~。行けたら今度はブックマークしとこうかしら、とか思いながら、再び[エントリー本文へ]をクリックしたら、残念ながらきちんとエントリー本文に戻ってしまった。

んで、ちぇ、つまらんなーとは思ったけども、おおそうそう、元々は、googleRSSからやったんや、やった事を再現したら、起きた事も再現されるかもしれん。うむ。やってみるだけの値打ちは(たぶん)ある。

とか思って、RSSからリスタートしてみたんやけども、今度は、メンテナンス画面になってしまった。

アレ見た人、どのぐらい居るのかな?てか、何が起きたんだろ?

弾幕STGの歴史を知った

ありがとうございますっ!とても得心しましたっ!

前に、STGの事ってエントリー書いたのは、色んな意味で、元エントリーにピンと来ないもんがあったからやねんけども、残念ながら、私はシューターじゃないんで、あの疑問がもっともなものなのか、見当違いなものなのかももひとつ分らず、何とも(勝手に)居心地悪さを感じてた訳やけども、このエントリー読んで、何だか(意味も無く)ほっとした上に、よく知らなかったSTGの歴史も分って、そうそうそれだよ、とか、勉強になるなー、とか思った次第。

インベーダーからビデオゲームやってる私だけど、アーケードゲームをずっとやってる訳じゃないし、ましてや、STGをずっと追ってる訳でもなかったんやけども、当初は、「自機の当り判定」=「自機の大きさ」ってイメージあって、後、この、リンク貼ったシロクマさんのエントリーでも書いてるけども、どっちかで言うと、いかに有利な条件で進めるか、て事の方が、「当り判定の大きさ」よりもずっと大切なもんだ、てな認識の方が大きかったりした訳ね。

いやね、何時頃からそうなったのかは分らんかった訳やけど、1941カウンターアタックした時も、東方やった時も、一番最初にびっくりしたのは、「当り判定の小ささ」やねん。

んで、このエントリー読んで、そっかーそっかー、当り判定って「小さくなって行ったんだ」と。

当初は、「撃たせない為の戦略」だったよなー、て事は、言い換えるならば、「攻撃は最大の防御」でもあった訳で、「当り判定の大きさ」と「死に易さ」が(私の場合に関しては)直結しないのも、ある意味当然じゃんか、みたいな「お墨付き」もらえたみたいな気がしてしまったw

それから、グラディウスで地形の要素が取り入れられた、てのはwikipediaで読んではいたけど、このエントリー読んでたら、そうそう、あれって「安置を発見」するのが重要って部分があったあった、と、(これも勝手に)嬉しくなって来てしまった。

それから、STGと言えば東亜って(私)イメージが漠然とあった訳やけど(参照:1941とか)、このエントリー読んで、東亜にこんな風な歴史があったとは知らなかったなぁ、と、しみじみしてしまった。と言う訳で、お礼エントリーです。

土曜日, 11月 29, 2008

聞いていません、か

この人の書くものは、いつも不思議だ。

怒っているのはよく分るし、怒る理由もそれなりに理解出来るんだけども、明らかに説明不足と(私には)思える事が多いんだよね。

なんと言うか、とても「ぬかってる」。

今回のこの記事もそう。

「聞いていません」が「常套句」になっているってのは、これが、昨日今日始まった「目新しい」タイプのトラブルじゃなく、とてもよくある事だからじゃないの。

私の感覚だと、いかに「聞いていません」と言われないようにするか、が、重要な事って気がするねんけどな。

(もしかすると、こう言う考え方って、ある意味、嫌な考え方なのかもしれないけれど)たとえ悪意がなかっても、人は、間違えるし、忘れるものだ。

だからこそ、復唱したり、伝票作ったり、受け取り発行したりして、「聞いていません」を回避する術を用意している訳じゃない。

「日時」ってのが、とても重要なものだったのならば、確認するのはもちろんの事、最初に期限を「明示」すべきだったんじゃないのかなぁ。宅配だって、時間指定するようなご時世じゃない。

もちろん、受けた側もとても「ぬかってる」とは思った。販売チャンスをみすみす逃がしている。

にしても、「売りたい」のならば、もっと着実にやった方がいいんじゃないのかなぁ。今回のやりとりに関わらず、「何時」「どこで」「何を」「幾つ」「どのように」みたいな、基本的な情報みたいのは、書面で明確化して最初にやり取りしておくような類の事のように思えるねんな。

「出版業界」とか「芸能界」ってもしかしたら、古い体質の業界なのかもしれないな、とか思ってしまった。

火曜日, 11月 25, 2008

トラックバック設定

と言うか、やっと、トラックバックの打ち方を多少は把握した。

この、bloggerじゃ、トラックバック機能はついてなくて、積極的にトラックバックを利用しよう、みたいな気持ちはあんまりないけども、コメント欄に書くには長過ぎる上に、エントリーとは直接(には)関係のない内容の事を書いた時に、どうしようなかー?とちょっと考える訳よ。

てのは、私は、結構トラックバック先てのを読む方で、エントリーと直接には関係なくても、関連している事柄が、トラックバックとしてある方が、どっちかで言うと好ましいと感じているからやねん。

とは言え、はてなみたく、(デフォルトだと)サービス内で「だけ」、勝手に繋がっちゃうのは色んな意味で、嫌だなーと思ってて、打ちたいところにトラックバックが打てたらいいのにな、とか思ってたんだわ。

んで、色々調べるに、クリボウの Blogger 入門さんとこが、Bloggerに関するあれこれを紹介してるんだと分って、そこで、トラックバックの方法についての紹介もあった訳よ。

んで、ここで紹介されてるHaloScanてサービスを利用しようと思って、アカウントを取って、さあ、やってみよう、と思ったら、HeloScanの方が、既にここで紹介されてる頃よりも結構進化しちゃってるみたいで、導入の方法が、すっかり変わってる。

ソースをコピペするんじゃなしに、テンプレートをDLして、そいつをここに登録(?)したら、向こうで勝手に書き換えてくれる、みたいな形になってる。

げげっ?!書いてる事と全然ちゃうやんか、とは思ったけども、あちらの指示に従ってたら、successみたいな事言ってるんで、まぁ、いけたんちゃいます、とは思ったけども、イマイチ大丈夫なんかどうかが不安。

だけども、コメントマネージャーとかも機能してるみたいやし、大丈夫かなぁ、と漠然と思ってたんだわ。

んで、いっぺんやってみよ、とか思って、ガセネタってエントリーの元になったリンク先の、いくつ知ってる?ゲーム都市伝説20ってエントリーにトラックバックを打とうとして、「失敗した」んだわ。

うーん。何か設定間違ってたかなー、つか、だいたい英語アカンから、ほぼ「勘」でやってるから、設定以前に使い方が間違ってたんかなー、とか思いながら、めんどいから後で考えようと思って、その時はそのまま。

が、その後で、やってみた、当り判定のやつは、無事通って、よっしゃー、大丈夫やったぽいやんか。と、喜んだ。

んが、同じようにやったつもりの次のドットイートゲームでは、前の時といっしょのエラーが出てしまって、むむむ。

と、思っていたけど、改めてリンク先をよく見直して、そこにあった、トラックバックURLてのを記入し直したら、無事通ったよ。

ドットイートゲームから自機制御とか

制御のし易さって結構大きいかもしれないよなーとか思っていた。

おお、微妙にいいタイミング、と思ったエントリーに、懐かしいゲーム画面もあって、色々考えてしまった。

いいタイミング、と思ったのは、この手のゲームの事を「ドットイートゲーム」と呼ぶんだと、つい最近知って、なるほどなぁ、と、感心した矢先にこのエントリーに出あったんで、私にとってはナイスタイミング、だったというお話。

もっとも、ここで紹介されてるゲームで、実際にプレイした事あるのは、パックマンとデビルワールドとFC版のマイティボンジャックだけで、後、ダンシングアイは、お気に入りのゲーセンで、見かけた事があって、3Dを生かした面白い演出だなーと、思わずデモ画面に魅入った作品ではあったけども、いかんせん、おばさんなんで、微妙にプレイするのがためらわれて、プレイには至ってない。

で、プレイしたことある、パックマンとかデビルワールドの事考えてたら、この手のゲームてば、「自機の制御」が結構めんどかったよなぁ、とか一旦思ったら、ああ、そうそう、「あの頃」のゲームってば「自機を制御する」事自体が、テーマになってるって部分があったよな、とか思ってさ。

スーパーマリオブラザーズの加速は言うに及ばず、パックマンでも、デビルワールドでも、止まりたいと思ってからじゃ既に遅い、みたいな部分があって、長く遊ばせる為の工夫の一つだったのか、ハードの限界の問題だったのか、ゲーム性を高める為の工夫のひとつだったのかはイマイチ私にはよー分らん部分やねんけども、自機を自由に制御するためには、そこら辺の具合を把握する必要のあるゲームって、この頃はあんまりないよなーとか思ってさ。

これって、何時頃からこうなったんだろ?

スト2やってる時には気にならなかったコマンド入力の「速度」が、ターボやっちゃうと、全然タイミングが違ってきて、だけども、ターボの方が断然感覚的にはフィットした、みたいのがあるじゃない。いやさ、世間のゲーマーのみなさんの事はよー分らんけども、私にはそう感じられた訳よ。

んで、そのフィット感がSNKのゲームではより良かった――ような気がしてるけども、単純に、てきとーにがちゃがちゃやってても、技が入りやすかっただけって気もする――ような気がしてるのね。気だけ。

んで、入力がダイレクトに反応する方が、プレイヤとしては気持ちがいいのかもしれないよなー、みたいな気分を持ってた訳やねんな。

ぼんやりそんな事考えてた頃合に、ひょっこり、オールドタイプインベーダーを遊ぶ機会を得たんだわ。子供がまだ小さくて、ポートタワーだかに遊びに連れてった時の事よ。インベーダーの癖に、テーブル筐体じゃなくて、スタンドタイプやったんやけども、まぁ、そんな風な能書きがついた筐体が、ポートタワー内の展望台のとこにあったんだわ。

おーなつかしー、つか、おかーさん、名古屋射ち出来るねんで、と、いっちょ上手いトコ見せて自慢しよ、と思って、なんでこんなゲームに今更100円入れんとあかんねん、と、ちょっと癪に障ったけども、見せびらかしたい気持ちの方が圧倒的に勝ってたんで、プレイ始めた訳よ。

えーと、28発目と32発目やったよなー、と、UFOで300点出せる数の事考えながら(面クリは当然と思っていた)、プレイ開始したらさ、えっ?えっ?連射できへんやんか。あーーーっ!こんなに連射の感覚が「開いて」たんや。

いつの間にかさ、「押したら出る」もんだと思い込んでたけども、あれって、連射リズムに合わせて撃つもんだったんだよね。

名古屋射ちどころか、何ででーへんねん??と思ってる間にあっさり死んで、身を持って、ゲームの進化を実感したと言う訳よ。

ただね、私個人は、自機を制御する事が、ゲームの中に「そんなもん」として組み込まれてるのは、あんまり好きじゃない。

ドットイートゲームってやってみなきゃ、「どのぐらい」制御できないかが分らないような部分があって、あんまり面白いとは思えなかった。数こなしてないから、何とも言えないけども、走ったから>加速した、とか泳いでいるから>動きが遅くなる、みたいな、ある程度の説得力がないと、もひとつ制御へのモチベーションが上がらないんだよね。

考えてみると、制御を学ぶ(≒楽しむ)ようなタイプのゲームでは、リアルさが大切で(ドライブ・フライトシミュレータとかFPSとか)、そうじゃないゲームだと、出来る限り入力はダイレクトに反応する方が好ましいよなー、とか思う訳ですが、これは、嗜好の問題なのかな?

月曜日, 11月 24, 2008

STGの事

このエントリーの比喩がどうも上手く掴めない。

「自意識の当り判定」、と言うところで既につまずいて、「観客という弾幕」でへっ???と思って、「弾幕は大きな当たり判定を面白がる」で、混乱してしまった。

私はSTGは好きだけど、シューターじゃないから、上手く掴めないのかな?

「自意識の当り判定」てのは、いわゆる「ネット用語でのクリリンのことかーっ!」って事なのかなぁと考えて、何でもかんでも自分の事を指摘されたと捉える事だと考えたら、「自意識の当り判定が大きい」状態とか大きい人って居るよな、とは思ったけれど、そうすると、「観客と言う弾幕」とは上手くリンクしないんだわ。

観客が「弾幕」と言えるような状態になるって事は、「明らかに注目されている状態」――沢山のブクマがつく、とかアクセスがむっちゃ上がるとか――を示していると考えると、今度は、それは、自意識とは関係のない高負荷の状態を示しているように思える訳よ。

だから、「自意識の当たり判定の大きさ」と、「観客と言う弾幕」を関連付ける為には、そこに「自己顕示欲」てな要素が必要不可欠になるんじゃないかと思う訳です。

以下で、「劇場型性格」みたいな事も書いているので、それが「自己顕示欲」を示すものなのかなー、とは思いますが、何と言いますか、「自意識の当たり判定の大きさ」だけでは、「弾幕」を呼び寄せたり、「弾幕」に突っ込んでいく理由にはなってないんじゃないのかな、と。

んで、とっても困ったのが、弾幕は大きな当たり判定(全然関係ないけども、「当り判定」と「当たり判定」てどっちが正しいんだろ?)を面白がるって表現。

私の認識では、STGてのは、キホン覚えゲー(パターンゲーム)で、ただ、明らかに弾幕STGと呼べるようなSTGてのは、「避ける」事に重点が置かれてるんで、だからこそ、状況を把握して避ける事に集中したならば、たとえパターンを覚えてなくてもある程度までは避けられるぐらいに、敵弾のスピードは抑えらられてる部分があるもんじゃないかと思ってたりするねんけども、どっちにしても、STGてのは、「様式美」の世界であって、「大きな当たり判定を面白がる」ような弾幕ってあり得ないと言うか、あったら困ると言うか、もっと言っちゃうと「裏切り」に近いルール違反だと思うんだわ。

#弾幕は、大別すると、自機に向かってやって来るのと、決まった攻撃パターンを持っているかのどちらかで、前者は自機の座標に向けて来るので、ほんちょっと自機の座標をズラすだけで回避出来るし、後者はパターンを記憶する事で回避する、みたいな

自機の当たり判定の大きさを知るのは、弾幕シューに限らず、STGでは、とても重要な事だけど、逆にたとえ大きくても、その大きさを把握してさえいれば、それなりの対処法も考えられる訳で、「当た判定を小さくする」って無茶言ってんじゃないよ、て気がするし、ましてや、場当たり的な行動をとる弾幕ってんじゃゲーム性もへったくれもないよなーとも思えるわけです。

もちろん、シューターって人種はマゾですので(と、私は思っている)、そんな無茶な設定でも、何とかしようとしたりする事もある訳ですが、それは何度も死んだり、人のプレイを見たりと言った「積み重ね」によって学習されて行く類のもので、何度も死んだり、人のプレイを見る機会も限られている、平凡な暮らしの過程とはかなりかけ離れている状態なんじゃないかとも思えるんですよね。

そんなこんなで、私には、この比喩は、色んな意味で不適切であるように思えるのですが、残念ながら、私はシューターではないんで、思い違いみたいのもかなりあるんじゃないのかな、とも思える訳です。

ここら辺がおかしいよ、とか、ここはこう言う意味だったんだよ、みたいな突っ込みどころが結構あるんじゃないかとも思えますので、どうぞ、突っ込んで下さい。お願いします。


あ、すみません。「反応をどのぐらい気にするか」を「当た判定の大きさ」にしているのですね。

が、それだと一層分りません。「反応が気になる事」と「当り判定」とが上手くリンクしません。

自機に当ったら、「自機が死んでしまう」か「ライフが減る」か、どちらにしても、明示的に示される訳で、「気にする」と言う曖昧さは入り込めないように思えます。

もしかして、「かすり判定」を「当り」と認識してしまう事が、「当り判定の大きい人(又は状態)」を示しているのですか?だけどそれだと、実際には自機は失われなかったり、ライフは減ってなかったりするする訳で、やっぱりよく分りません。

反応が弾幕の比喩だとして、弾幕をよく見ていないと弾幕は避けられない訳で、そう考えると、反応を気にしない方が、より死に易いようにも思えます。

一方、弾幕の多さにパニックって、弾幕の方に行っちゃうてのは、なれないうちは結構あることですが、それだと、「当り判定の大きさ」はあまり関係のない事のようにも思えます。

何か、ものすごい思い違いをしているのでしょうか?

水曜日, 11月 12, 2008

空気の事part.2

これだ!空気って!

前に、ちょっと空気の事を書いたじゃない。後で、空気ってコレなのかもしれない、と思ったエピソードについて書こうかなーと思いつつ、(何時ものように)投げっぱなしやった訳やけども、あっ、これこれ、この行為が私が今回新たに発見したところの「空気を読む」って行為と被ってる、と思えた記述に出会えて、おー、それそれ、と、(意味もなく)嬉しくなったんで、改めて書き始める。

先ずは、おーそれそれ、と思えた部分を引用。

その4「you mean」

これは「その2」の裏返しのことなのだが、とにかく日本人は理解してないくせになんでも理解した振りをするのだそうである。そしてそれが非常に厄介だということだ。

例えば頼み事をしたら、「Yes, OK」とか言ってニコニコと笑ってる。だからすっかり理解してくれたのだろうと思って暢気にかまえていると、いつまで経っても何もしてくれない。だから、痺れを切らして「どうしてさっきのことをしてくれないのだ?」と聞くと、また「Yes, OK」と言ってニコニコ微笑んでる。それでようやく、これはどうも変だぞということに気がついて、よくよく問い質してみると、さっきの言葉は実はちっとも通じてなかったというのがこの段階になってハッキリするのだ。

だから、外国人は日本人に対して「分からないなら分からないとハッキリ言ってほしい」と思っている。それを、分からないことは恥だと思ってこちらの気持ちを忖度し、結局ディスコミュニケーションになるいうのが一番困るのだという。外国人にとっては、通じなかったというのは恥でもなんでもないから、その時は遠慮なく尋ね返してほしいのだ。

そうした時に「you mean」から始まって会話の内容を尋ね返されると、もうそれだけでこいつは信用に足るやつだと、嬉しくなるのだそうである。こいつとはコミュニケーションが成り立つということで、普通なら無理かと思われた融資も二つ返事で引き受けてくれるようになるらしい。

とにかく、彼らは日本人の知ったかぶりに閉口してるから、「you mean」と一々聞き返してくれる日本人が現れたら、それだけでもう決済が通ったかのような気分にさせられるのだということだ。

一旦、コピペしてから、引用部分に本文に沿ってタグを追加した。思いの外長い引用になってしまったけども、これは、ハックルベリーに会いに行くさんとこの、英語に圧倒的に一人勝ちする7つの言い回してなエントリーからの引用で、本文の趣旨(?)は、「日本人が英会話をする際の使える言い回しの紹介」なんじゃないかと思うんで、私が(これから)書きたいところの、「空気を読むと言う行為」とは直接関係ないねんけども、この、その4で紹介されてた行為こそ、私が新たに発見した「空気を読む行為」そのものじゃんか、と思ったんだわ。


とりあえず、(私にとって)最も象徴的と思えたエピソードについて書いてみるね。

仕事の半ばのミーティングの時の事。本日は、何時もとちょっと違う荷物が来てて、且つ、その量が結構多かったのよ。

んで、そのちょいとばかり「特別」な荷物の処理についての説明が、そのミーティングで為されてた訳やったんやけども、私には、その説明がよく分らなかったんだわ。

んで、何時もの私やったら、大抵その場で質問するねんけども、只今の直属の上司は、質問されるのが嫌いみたいで、質問すると、質問に答える前に、他の人は分ってるみたいだけどみたいな前置きしてから説明したり、逆に質問に質問で返したり、ひどい時にはこんな事まで説明しなくちゃいけないのか、みたいな返事を貰ったり、と、質問するたびに、微妙に嫌な思いをしてたのよ。

#ある時、いい加減うんざりして来て、「どうも辞書が違うみたいですね。」と、軽く切れてから、ちょっと待遇が変わった。
勝算あったからこそ「(ケンカ)売った」訳やけども(とても曖昧な表現があったり、明らかに間違っている説明があったり、話が前と今では変わってしまっている事があったりしたのだ)、こっちの待遇が変わったぶん、もっと弱いところに(新しい人)に向けて同じように吐き出してるような部分が見えたりもして、「支配欲の強い腰抜け」ってのは始末に終えないよな、とか思う

後、「質問」を「攻撃」と受け止める場合みたいのもあるんだと知ったりしたんで、もうちょい質問は控えようかな、みたいな気分もあったんだわ。

んでだ。私にはよく分らなかった説明やったんやけども、一緒に話を聞いてた橋本さん(仮名)には、とてもよく分ったみたいで、何度も何度も深く頷いてる訳よ。んで、うちのリーダーも、橋本さんの方向いて、うんうん分っているな、と言うか、大丈夫か?との問いに対しても、橋本さん(仮名)は深く頷く。

そっかー、橋本さん(仮名)は分ってるんやー、なら、分らんかった部分は橋本さんに聞こう。今まで質問するたびに、リーダーの機嫌を損ねて――ほぼ、もれなく、質問とは直接関係のないイヤミを言われたりしていた――、その割りに、聞きたかった答えに辿りつくまでに、それはそれは時間を喰ってた私は――質問の方法が悪かったのかなぁ、とか思いながら、(私に考えられる範囲内で)色んな言い方を試すのに、くたびれていたのだ――、今回は、質問をパスしてしまう事に決めたのだった。

で、作業に入った。分っている部分まではやって、分らない部分は橋本さん(仮名)に聞こう、と思ってた私やったけども、そこまでの作業を終えるよりも早く、橋本さん(仮名)がやって来て言ったのだった。

橋本さん(仮名):ねぇ、さっきの話って、どういう事やったん?

なんですとー!!!結局、「ここまでは分った」と言える部分を橋本さんに説明して、「ここからは分らん」の部分をもう一度二人で聞きに行く事になったんだわ。

さっきの頷きは何やったんやろ?の私の疑問はそのままに、今度は、さっき聞いた時よりも、ずっと具体的な説明を至極機嫌よくしてくれる。

どういう事やねん???と、頭の中が「?」で一杯になってたんやけども、そう言えば、似たような経験あったよなぁ、と、思い出してね。

(前の会社の)入社オリエンテーションの説明の時にも、しっかりうんうん頷いてる人から、なぜか(一緒に説明受けてた)私が色々聞かれて、その時は、私に分る事だったから、ここはこうで、これはあれで、みたいな感じで説明繰り返したよなーとか思い出したら、ああっ!これが「空気を読む」って行為なんだ、と。

後になって聞きに行くのはOKなのに、「その場」で聞くのはNGだったんだ。何か、そんな「場の空気」ってのがあるんだ、と。

いやね、確かに「質問し難い空気」みたいのを感じたことは少なからずあるねんけども、それでも、「分らないままにする行為」の方が、(特に仕事では)「より良くない」という風に私は考えていたんで、質問してたんやけども、「場の空気」をこそ優先すべき、と言う「考え方」――「考え方」と、呼ぶのは正しくない気がする。考え方と呼ぶよりも、皮膚感覚(この言葉を選んだのは、む上から、私は「皮膚感覚」が鈍い、と言われているので使ってみた。残念ながら、鈍いので、それが意味するところがもうひとつ適切に掴みきれていないように思う。)共感能力でもなければ、文脈理解力でもない、身体感覚に近いところで、相手や場に流れる感情を察知する能力なんじゃないかとは思っている――が、支配的なところで為される適切な行為、ってのが、「空気を読む」って事なんだ。

月曜日, 10月 27, 2008

教える君

質問に答えるのは、何より自分の為になると思う。

私の場合なら、(未熟ながらも)攻略サイトとかやってる訳で、望ましい状態てのは、たぶん「読めば分る」ようになる、て事やと思ってる訳やけども、実際問題、自分一人で全てをカバーするって、不可能だと思ってるのよ。

だからこそ、関連サイトへのリンクも貼ってる訳やけども、それより何より、他所様のサイト読んでると、勉強になるなーと思う事ってすごく沢山あって、おお、凄い凄い、と、無責任に感心するような事って少なくない。

そんなん読んでると、ああ、説明が足りなかったなー、とか、ここは不十分だったなー、とか、全然ダメじゃん、とか、自分の(1)「説明力」や「説得力」の足りなさを、見せられちゃったりもするんだわ。

それとは別に、知ってる事を投げたなら、知らなかった事が沢山返ってくる、てのは、ウェブの大いなる魅力で、これを知ったのは、まさに、自分がサイトを持ったからこそ得られた情報で、投げっぱなしは(自分的には)好ましくないんじゃないかと思っているけども、「返ってくる」「事もある」のは、とても素晴らしい事だと思っている。

後、想定外の質問てのは、新たな「視点」を得るチャンスでもあって、ああ、そうなのかー、と、(たぶん)ウェブを得てなかったら思いもしなかったような「視点」に出会えたのも、(私にとっては)大きな収穫だったと思っいる。

そりゃね、もしかしたら、「質問者」の為にはなってない場合もあるのかもしれないけども、知ってる事を開示するてのは、開示したもんにとっては、とても得る事が多いと思っているんだわ。

#アカンなぁと思うけど、本来ならば、得られた情報をちゃんとした形にして、再発信した方がええと思える事って、それなりにある
#なんかさ、例えば、コメントなんかで、私だけが得てしまっているって形になってる事があって、ひどく情報をくれた人にも、まだ得ていない人にも、申し訳ないような気分になる事があったりするのよ
#もっと具体的に言うと、アイギーナの方言情報なんかは、やっぱりちゃんとした形でコンテンツに加えた方がいいと思いながら、やれてないのがとても申し訳ない。ログを探すのがちょいと大変な状態なのよ。ごめんなさい

後、「教える」てのは、「説明の練習」の場でもあると思う。

好むと好まざるとに関わらず、説明しなきゃいけない場面に出会ってしまう事って、決して少なくない。

#接客業をしていると、そんな場面に出会う事は、結構多い
#後、「説得力」は、ないよりはあった方が(たぶん)より良いと思っている
#そして何より、子供を持ってしまうと、説明しなきゃならない(と思える)場面は激増するのだった

私は、利己的なので「相手の為になるメリット」と「自分の為になるメリット」を比べたならば、後者を取るのですよ。

ググレカスには笑ったけども、相手の為にならないから、程度の理由で、説明を放棄するのは、とても惜しいと思う。

たださ、一番怖いなーと思うのは、「間違った説明」をしちゃう事。だけどね、だからこそ、開示する方がいいんじゃないかとも思うのよ。明らかに「相手」の為にはなってないけども、間違っていないか?を確かめたりもするし、注意深くもなる。だから、(たぶん)勝手に自分で思い込むよりもマシなんじゃないかと思うし、何より、開示したなら、間違いを正してもらえる可能性も、ずっと多くなるじゃない。

きっとね、「聞く」よりも「教える」方が、最終的に自分が得るものって、ずっと多いと思うよ。


#私は、勝手に、説明をしようとしない人は、言語化する能力が足りていないか、自分なりの理解には至っていないかのどっちかだと思っている
(1)「説明力」や「説得力」
だけじゃなしに、「熱意」や「こだわり」と言った「熱さ」にも感動したりする。
後、表現力の足りなさや、詳細や精度の未熟さもあるよな

月曜日, 10月 20, 2008

かぎ針編み

で、続いて、「空気」について、こんな結論に至った、ささやかなエピソードについて書こうかと思ってたけども、それはちょっとおいて置く事にして――と言うか、書くのかどうかも実はあまりはっきりしていない――、ちょっと楽しい(当然、私にとって、だけど)ブログを紹介。

何となく、フランス語っぽいなぁと思っているぐらいで、私には、まるっきり読めないし、何より、ブログのタイトルからして読めない訳やけども、心配無用。文章読めなくても全然大丈夫。

ここは、私がこのblogger使うようになってから、時々なんとなく遊んでいる、「次のブロク」でひょっこり出会った、Minha Paixa~o: Croche^ ――あらら、コピペしても反映されない。元のタイトルだと、[a]の上に[~]が、[e]の上に[^]が、乗っかっていて、こんな乗っかり記号が付いた文字があると、なんとなくフランス語じゃないかと(勝手に)思っている――てサイトのリンクから行った先です。

適当に見たらなんとなく見当つくと思うけども、「かぎ針編み」関連のサイト達で、素晴らしい――と言うかまずいと言うかの判断は、著作権的に微妙なんじゃないかと思うけども――のは、大抵が、出来上がりの写真と一緒に編図(って言うのかな?)が載っているところでありまして――しかも、(たぶん)、雑誌をキャプチャしたもの――、写真見て、素敵!と思って、作ろうと思えば、作れちゃいそうなんですよ、これが、奥さん。

結果から先に言うと、いずれは作ってみたいなーと漠然と思いながら、ぼんやり眺めていると言う状態が、私好みと言うか、結局ずっと可愛い!とか素敵!から先には一度も進んでない訳やけども、眺めるのがとても楽しくて、今日もリンク辿ったりしながら、出来上がりの写真とか、編図の写真とかを眺めてたらさ、あらら、日本語。

カヴァー範囲広いなーと、感心したのが、最初にリンク貼ったサイトだったと言う訳。ここね、結構日本の雑誌からの記事があるの。

編図(?)って、結構世界共通なんだなー、やっぱ記号っていいよなー、とか思いながらも、「素敵」や「かわいい」は結構共有出来るのかもしれないよな、とも思えて、なんとなく、紹介したくなったのだった。

火曜日, 10月 14, 2008

ガセネタ

子供から聞いて(子供は子供のツレから聞いて来た)、エスターク10ターンで倒したよ。

レベル上げて、種つぎ込んで、(私に)考えられる最強と思える方法で、祈るような気持ちで、やった!10ターン!と思ったけども、仲間にならなかったよ。

仲間になる系は罪作りだよねー、聞いた事あるの多かったばっかりじゃなしに、ここに乗ってないのでも、似たようなのって色々あったよね。

なんかさ、実際にあったりそうじゃなかったり、て部分が面白いてのもあるし――「なんとかしたい」て気持ちが「もしかしたらあるんじゃないか」を生むみたいのってあるし――、製作者の人が、その辺を汲んで次回作に繋げたりみたいのがあるてのも、シリーズ物の魅力の一つになってるとも思うしな。

バイオ2の隠しキャラだったハンクは、4のマセーナリーズで出てて、うおーと思ったし、技もすごくカッコよかった。マセーナリーズでトーフは流石に避けたいけどさ(ナイフだけだし)w

たださー、聞いた技は(可能な限りは)たいてい試してた私やけども、騙された~ぷんぷん。みたいのはあんまりないなぁ。

ガセかガセじゃないかは、プレイしたら分る訳やし、つーかむしろ「実際に確かめたい」て気持ちの方がずっとずっと大きくて、ガセに踊るのもゲームの楽しみの一つじゃないかと思うよ。

空振りしたらしたで、とても心に残るしねw

日曜日, 10月 05, 2008

ベジタリアンとか

元文を当ろうと思ったら、引っ越しのごたごたでどっかにしまい込んでるみたいで、本棚にはなかったんで、とりあえず記憶で書きます。

元文てのは、カナダエスキモー@本田勝一にあった一文てで、結構昔読んだ本だったのが、ひょっこり思い出したぐらいだから、結構印象的な部分だったんじゃないかとは思う。

この本も、本田勝一のルポルタージュのひとつで、私は、エスキモーに特に興味があった訳じゃないけども、大島弓子のいちご物語が大好きで、漠然とラップランドてどんな所なんだろう?みたいな憧れを持ってて、エスキモーの暮らしが書かれた本ならば読んでみよう、と思って買ったのだった。

本書が手元にないんで、引用すらままならず、印象だけのお話になってしまうけれど、極地での暮らしや、夫婦の分業のあり方、狩で暮らしを立てる様子なんかが具体的に書かれてて、とても面白かった。

さて、そのぐらいおぼろげな記憶が、 ヴェジタリアンから幾つかてなエントリーを読んだら、急に出て来たんだわ。

前半部分は、まぁそうですか。てな感じです。私個人は、食べる事にあまり大きな拘りはなく、腹が減ったら腹具合に応じて食べるて感じで、ベジタリアンも、美食も、どちらも別世界の人といった印象の方が大きいので、そう言う意味で面白い(珍しい)、てな感じでした。

だけども。

そんなのわかるわけねえじゃねえか。少なくともそんな単純なものではない。例えば、狩猟が日本と比べてはるかに文化として根付いている米国(それも開拓時代の米国)でも、『子鹿物語』のようにそれなりの葛藤がある*4。また、日本では様々な〈供養〉文化が発達している。さらに、アイヌのイヨマンテを初めとして、殺生に対しては複雑な神話的・儀礼的な正当化が要請されることも多々ある。単純だと思うもう一つのことは、「かわいそう」と「わらってころす」の二分法。殺生という対人関係或いは対動物関係にはエロティックな側面、ハレとしての側面があるが、その二分法はそうした関係の濃さを消去してしまうのだ。殺生のこうした側面については、横井清『的と胞衣』所収のテクストを参照して、さらに考えたいのだが、この本は今手許になし。ところで、エロティックな関係としての殺生ということを考えるきっかけとなったのは、ペドロ・アルモドバル監督の『トーク・トゥ・ハー』の女闘牛士・リディアがコスチュームに着替えるシーンだったのだ。

この一文には、結構違和感がありました。

てのは、このカナダエスキモーの中ひとりの登場人物で、リーダー的ポジジョンに居る男性――と言っても、たしか、書かれた時点で既に少数民族で、4世帯ぐらいの狭い世界の暮らしだったように思うけども、それも確かめようが無いです。ご存知の方がいらしたら、そこら辺、教えてもらえると嬉しいです。――が、幾分、「西洋文明」に興味を持っていて、かつ、向上心が強いタイプだったんですね。

で、彼は、自分と近しい場所に居る他者であるところの、キリスト教文化を少しずつ学んでいまして、その事によって他のメンバーが「持っていない」狩に対する「罪悪感」を持ち始めたように見えた、みたいな記述がある訳(正確には、あったように思った、ですが)ですよ。

てな前提で考えて見ますと、最初に宗教的な生命倫理のようなものがあって初めて「葛藤」が生まれた訳で、必ずしも「葛藤」は自然発生的なものとは言えないんじゃないかと思うんです。

私は、「子鹿物語」読んではいませんが、「開拓時代の米国」てのは、かなりカトリック的な宗教観が強い世界だったんじゃないかとも思えるので、見方を変えるならば、かなり「固有」の宗教観を前提として書かれたものと考えても差し支えないように思えます。

また、キリスト教圏では、動植物を「擬人化」する事も少なくないので、いっそう葛藤が強まりやすいようにも思えるのです。

次に、日本に於ける「供養の文化」がどういったものを示しているのかは、この文章からは分かりませんが、基本的に「死者の供養」は、「死者を恐れる」事から始まった、かなり「本能的」な側面の方が強く、「かわいそう」とは、直接的には結び付かないんじゃないかと考えています。

狩猟ならば、アイヌを引かずとも、日本でもマタギというものがあり、彼らも、かなり独特の宗教的な儀式を行っていたようです。

が、私はこれらを、殺生への罪悪感を正当化する為のものと言う見方はしません。

狩猟に限らず、よりバクチ要素の強い活動ほど、ゲンを担ぐ傾向が強い、で、充分説明可能じゃないかと思うのです。

もちろん、そんな簡単なものじゃないのかもしれません。が、「かわいそう」て、結構簡単な部分があるんじゃないのか、とも思っているのです。

丁度いい具合に、(読んでないけど)「子供のかなしみの世界」と言う本へのリンクが張られていて思い当たったのですが、私個人の感覚(と、体験から)に過ぎないので、当然一概には言えないのですが、「子供のかなしみの世界」と言うのは、「恐怖」と言う本能的な部分を元に形作られている部分が少なくないと感じています。

わたくしごとで恐縮ですが、私は子供の頃、尾頭付きの、と言うか、目玉のついている魚が食べられませんでした。「かわいそうだから」と言った私に、「やさしいのね」と言った大人が居た訳ですが、そう言われても、私は、自分がやさしくない事は分っていました。そして、そこで「かわいそう」は、つまり「怖い」だったんだと気がついた訳です。私は、魚に「恨まれそう」に思えて、魚が食べられなかったんです。

子供の「かわいそう」は、少なくとも私の場合に関して言うならば、とても利己的なものでした。

死にしても、エロティックなものにしても、それは、どこまで行っても個人的で利己的なものではないでしょうか。この文脈(生活者として生き物を殺す人について書いていると思っています)で、それを出すのは、アンフェアであるように思いました。

又、「殺生」と言う言葉の用い方も、恣意的であるように思えました。喰う為に殺すのは「殺生」と呼ばないと思っていたのです。

ところが、本文では、狩猟を生業とする人の為す儀式を、「殺生」を正当化する為になされている、と言う風に解釈されている(私には、そう読めました)。

これでは、「供養」と「殺生」がセットになってしまんじゃないでしょうか?キリスト教と仏教が入り混じっているように思えます。

もちろん、私にその細かい区分は分らないし、今の私たちの文化では、そういった混同も、心情的にはわかる気もするのですが、正直嫌な混同だと思いました。

ただ、「死とエロス」とか「殺しと言う行為」みたいなテーマは、とても興味深いとは思っていますので、こういった事とは別の文脈で一度読んでみたいと思います。

木曜日, 10月 02, 2008

「プレコックス感」の事から

さて、前のお話が尻切れトンボになってしまったのには、(一応)それなりの訳がある。

あれがきっかけになって、二つの事が気になって、それがうまい事繋がらなくて、どっちを、又は、どっちから書いた方がいいのか?みたいな気分と、この二つの事が、前に書いた私の「プレコップス感(かもしれない)」体験とはあんまり関係ない事なのとで、自分でも何から書いたらいいのかが分らなくなってしまったから、てのが最大の「訳」やけども、思いついた二つの事そのものが、既にどちらも夫々別方向の、何だかものすごい広がりを持っていて、どうにもこうにも手が出ないよなー、と(勝手に)困ってしまったのだった。

とは言え、何度となく考えた事だったりもするし、一方で文章化した事はまるっきりなかったりもした事だったりもするんで、とりあえずだらだらでもいいから書いてみる。


先ずは、二つの事について。

一つは、「私の正常」への猜疑心についてで、もう一つは、言葉じゃない(≒言葉に出来ない)情報について。

ね、全然ベクトル違うでしょ。

#ああ、重たいなぁ、つか、考えようとした事は何度かあるけど、その度、これは私の仕事じゃない、とか思ってスルーしてたんだわ。
#だって、「私の正常」なんて、私に判断できる事じゃないじゃないの。
#「言葉に出来ない情報」を「言葉」にするって、不毛とは思わないけども、なんと言いますか、一般人の仕事じゃなくて、「文豪」とか「天才」とか、ソッチの人の仕事だと思わない?

んで、どう考えても、まるっきり方向性が違うんで、差しあたっては、どっちかで言うと「書き易い」ように思える言葉に出来ない情報から書いてみようと思う。

けど、疲れたんで、もうちょっと後から書きます――←ここの部分は後から消すかもしれない。出来るだけ、書き直さずに、線を引いて訂正したいとは思ってるけども、時々、それじゃ読みにくいよなーと思う事もあって、そんな時には、ざっくり書き直したりもします――。


とと、元エントリーの関連エントリーのリンク先に、私が考えてた事と似てる事が書いてる。

こちらのエントリーは、もっと科学的だけども、基本的な部分で、私の考えてた事と結構クロスしてたりしてるようにも思えて、ああ、慌てて書かなくて良かったw。

いやね、私が書こうと思ってたのは、「霊感」についてで、私の場合は、このリンク先みたく科学的なもんじゃないけども、結構長い間、「霊感」てのは、洞察力は優れているけれども、言語化が稚拙だったり、あるいは心霊現象を内面化している為に心霊的な表現になってしまっている状態から発せられた言葉って部分も少なくないんじゃないかと思ってたのよ。

「洞察力」じゃイマイチ不適切な言葉だなとも思うけども、思いつかなかったんで、とりあえずこう書いた。
霊感と占いの違いになるのかもしれないけども、心理的な微妙な変化だけじゃなしに、それこそ、臭いとか、光とかみたいな、人の気持ちに直接関係のない情報も込みでの「周辺情報」みたいなものへの感受性を示したかった。
適切な言葉ってある?気持ちとしては、五感から得られるあらゆる情報を示したいねんけども。

で、臭いから霊感って結構飛躍ちゃ飛躍やねんけども、最初に元エントリー読んだ時に、臭い「だけ」ってもんでもないんじゃね?と思ったのが、霊感への飛躍の元でもあった訳んだわ。

ものすごく多くの情報を得る力があって、だけども出力の部分に説得力に欠けていたり、ある種のバイアスがかかったりする為に、「霊感」てな表現に貶められてはいるけれども、それは必ずしも非科学的なものではないんじゃないのか?みたいな気持ちがある訳よ。

又、一方で、それを非科学的なものと断定してしまうような態度も、ある意味非科学的なんじゃないのか?と。

#ただねー、こんなんって、似非科学との境界がとてもとても曖昧になってしまう上に、何でもアリにもなってしまいかねないんで、怖いちゃ怖いねんけども、必ずしも無いとも言えないんじゃないのかな、と、思ってしまう非科学的な私。

ああ、言葉が足りてない。私が言う霊感は、霊能力者とかそんな特別な人の話じゃなくて、もっとふつーに私の周りに居る、勘がいいとか、霊感がある、てやつで、だいたいが、自分でそうは言うけども、特に自分をアピる為に使う訳じゃないような場合。そんな人が、ひょっこり口にする霊感てやつ。

何かの拍子に、悪い予感がするから止しておこう、と言ったり、死んだばーちゃんが泣いてる声が聞こえたから止めにしたんだよ、みたいな類の話で、私が(いわゆる)人間的に充分信頼している人が口にするところの、霊感の事。

私は、そんなの聞いた時には、充分な裏づけが無くても、大抵従っちゃうんだよね。死んだばーちゃんの声は思い過ごしだろー、と思ってはいても、「止めた方がいい」て判断に関しては、根拠が無くても採用しちゃうのよ。

「プレコックス感」の事

むーん。残念。「プレコックス感」と言うのにかなり興味を持っていたのだ。

私がこの言葉を知ったのも、このエントリーのリンク先にある、サイコドクターぶらり旅(当時は、「暴れ旅」だった)の総合失調症に関する記述のところやねんけども、へぇ~そんなのがあるんだ、以上の強い興味を持ったのは、書いた人であるところの、風野先生には感じられなかった(らしい)けれども、分る人には分るらしい「プレコックス感」てどんなものなのかをとても知りたいと思ったからだったんだわ。

が、その時調べた限りでは、結局どんなものなのかは分らず、又、風野先生はどちらかと言うと好ましくない方向から、この「プレコックス感」について書かれていたし、これを診断の基準にみたいなのにするのは、マズいんじゃないかなー、と、私も感じたりしたし、それ以上に、私は(さし当っては)総合失調症を煩っている訳でもないので、機会があれば考えてみてもいいかな、みたいな感じで記憶の片隅に追いやっていたんだわ。

まぁ、この際だから書いてしまうと、多くの人が私と似たような経験をしているのかどうかも不明なんで、気にする事自体があまり意味がないのかもしれないけれど、私は、たま~に、「何とも言いようのない独特の雰囲気を持っている」と言われることがあって、それは、必ずしも褒めているってニュアンスじゃなくて、面と向かって「変な雰囲気」と言われた訳ではないけれど、少なくとも「よいもの」とは言えない、何とも言い難い独特なものを感じさせる事があるみたいなんだわ。

以下、具体例と言うか、私が「プレコックス感」についつい反応してしまうようになった、幾つかの体験について書いてみる。


小学中学年の頃、ハンドルでも時々使っている「naoke」と、呼ばれるようになった訳やけども、それまでは「なおちゃん」と呼ばれる事が多かった。

が、同じクラスにもう一人「なおちゃん」が居て、イントネーションが違っていたんやけども、「どっちのなおちゃん?」みたいな混乱が起きたのね。

その時、誰かが面白がって私を「なおけ」にしてから、すっかり定着した訳やねん。

でもさ、「け」って突拍子もなくね?ところが、何故か本名の名前よりも、むちゃくちゃ定着率がよくて未だに古い友人からはそう呼ばれてる訳やけども、ある時、あーこの子「なおけ」って呼んでるんやで~、みたいな感じで、新たに遊ぶようになった「りっちゃん」に私を「なおけ」と呼んでる友人が紹介したらば、「りっちゃん」が、つくづく感心したみたいに、まじまじと私を見てさ、こう言った訳よ。

り「うん。なんかすごいぴったり。そうとしか言いようのない雰囲気あるよー」

いやいや、「け」が、そうとしか言いようがない雰囲気ってどんなんやねん?とは思ったけども、何だかいわく言い難い雰囲気みたいのが、どうも(当時の)私にはあったらしいねんな。ええとかわるいとかは抜きにして。

で、中学に入った。

中学で新しく出来た友人に、「マコ」てのが居て、私の第一印象は、うわーごっつ可愛いー、こんな顔した子もおんねんなー、ガタイはでかいのに(太っているんじゃなくて、大柄だった)、むっちゃ可愛いやん。それに何かセンスがいい(ような気がする)。

んで、私は、そのマコと英語塾が一緒で、考えてみたらクラスが一緒になった事はなかったけども、ぼんやりとしたうちらのグループみたいのが一緒で、しゃべったり遊んだりはしてたんやけども、テストが終わった後ぐらいやったやろか、タマタマ「マコ」と二人になってしゃべっていた時に、ひょっこり言われたのよ。

ま「なおけって、馬鹿やなかったんやねー。最初見た時、「アホの子」なんやと思てたわ。

いやさ、確かに賢く振舞ってたとは思えんのやけども、この「アホの子」てのは、ぶっちゃけ「池沼」みたいなソッチ系のニュアンスのある言葉で、「勉強が出来ない子」てのとは、少しニュアンスが違う言葉やねん。

今になって(遅すぎるように思う)考えてみるに、どの辺にそれを感じたのか聞いてみた方が良かったのんやろか?とも思えるねんけども、当時の私は今以上に鈍かったんで、そーなんかー、私ってそーゆー風に見えてたんかー、で、終わりにしてしまってて――げげっ、ほんと、書いてみて初めて思ったけども、こんな風な部分が、もしかしたらソッチを感じさせたんかもしれん――、具体的にどんな部分でそれを感じさせたのか、今となっちゃ知りようがないねんけども、ほぼ第一印象として、そんなもんを感じさせる「何か」が、私にはあるのかもしれないなー、と、漠然と思ったのよ。

こんな経験って多いんですか?誰にでもある事なんですか?

で、その後、そんな事もすっかり忘れてたんやけども、思い出してしまうような事が起きたのよ。

神戸の北区の市住に住んでいた時の事。

あの手この手を使って、うちらは、む上を乳幼児保育に送り込む事に成功したのよ。

当時、公立の保育園に乳幼児を入園させるのは、神戸の北区じゃかなり困難で、貧乏だったから(過去形は正しくない)、何とか仕事を探して、現金収入が欲しかった私は、最初は無認可の保育園に子供を預けて、その後、やっと、公立の保育園に子供をねじ込む事に成功したのだった。

でね、この保育園が、何故か「精神病院」付属の保育園だったの。

前の無認可の保育園に比べると、環境もいいし、先生も沢山居るし、送り迎えは大変だったけども、保育料もずっと安くなったし、で、私はかなりご機嫌だったの。

そして秋。保育園で「運動会」が催されたの。

オムツが取れたばっかりのむ上が、いっちょ前に、保育園の体操服を着て、まだ若かったうちら夫婦も大はりきりで参加して、それはそれは楽しかったんやけどさ、む上の「お遊戯」を見ていた私に、話しかけた人が居たんだわ。

年配の、大人しい感じの女性だった。

女性「入院されてる方ですか?いい天気になって良かったですね」
く「えっ?あの、入院してる訳じゃなくて、子供が保育園に入ってまして」
女性「えっ?それは失礼しました、てっきり…」
く「いや別に失礼じゃないですけども、はい」

いやね、もちろん失礼じゃないけども、ちっちゃい子が沢山、と言うか、キホンが、保育園の運動会だった訳で、病院の運動会じゃなかった訳よ。で、私はきっちし、ジャージの上下着込んで子供の演技を応援してた訳。状況からはあんまり間違わないんじゃないのかなー、とは思ったの。

ま、そんな訳で、ダンナのとこ行って、入院してる人に間違われたわー、と、軽く言ったらさ、

だ「あー、あるかもしれんなぁ。ワシもオマエ初めて見た時は足りん子みたいやなぁ思たからなぁ。オマエ、唇の色がもっと赤かったら、そうとしか見えん」

えっ?そうなん?そうやったん?てか、その判断基準みたいのが(私には)全く見えん。

けども、特定の人に、何か独特の印象を与えるもんが私にはもしかしたらあるんかもしれん。何か分らんけども。みたいな思いを持ってたのよ。


で、「プレコックス感」てな言葉に出合って、むーん。総合統合失調症ねぇ。あんま心当たりないけども、自覚があったら、(ある意味)病気とは言えんのかもしれんから、心当たりの方は、とりあえず脇に置いといて、「プレコックス感」と呼ばれるらしい、一種独特の雰囲気だか違和感だかが「どんなもん」なのかは、是非とも知りたいもんだ、とずっと思ってるのよ。

さて、リンク貼ったエントリーでは、もしかしたら「プレコックス感」てのは臭いなんじゃないか?みたいな仮説(は、大袈裟ですね、すみません)を出してて、ふうむ、と考えてしまった。

土曜日, 9月 27, 2008

バブルの頃の庶民

いやさ、このレスと、その続きに、に思わず「ほんまそれな」と、声が出そうになってさ。

個人差がものすごくある事なんで、一概には言えないのはそれはそれはよく分ってる(つもりやねん)けども、うちら夫婦(私60年代前半生まれ・ダンナ50年代半ば生まれ)に関して言えば、少なくとも、バブルの恩恵?なにそれ?と、自信を持って言えるわよ。

うちらが結婚したばっかの頃は、まだバブルは始まってなかった。確かに、80年代に結婚した訳やけども、80年代てば、前半と後半じゃかなり違ってる。

そして何より、バブルの恩恵は、実際には、かなり限定された人だけが受けてるんじゃないかと思ってる。

やなことばっかりじゃなかったし、いいことだって「それなりに」あったから、わざわざ言ったりはしないけど、今の不幸を嘆く若い人が「みんな」ツイてない時代に生まれてしまったばっかりに損ばっかりかぶってる人たちだとは思ってない

うちらはさ、鉄鋼不況の時に消費税3%におののいて、土井社会党に投票した浮動票です。

当時、ダンナの手取りは、近頃見聞きする新卒と一緒ぐらいで、年収は200~300万てとこ。デフレじゃなかったし、価格破壊もまだだし、グローバル化もしてなかったから、あの頃の方が物価は高かった。市住に入ってたから何とかなったけど、そうじゃなかったら、ほんとにカツカツだったと思う。まだ子供は一人目だったけど、母乳が出なかったので、粉ミルク代がそれなりに家計を圧迫してた。パートの時給は(神戸市北区では)500円台だった。

それが、ファミコンが出始めた時期(1985年前後)の事で、ファミコンは、私が下の子を出産する際に実家に帰っている間にダンナが購入していた。たぶん、他の娯楽をするよりは安上がりだったんじゃないかとは思うけれど、それでも、ファミコンソフトが一本3000円台~5000円台だったので、易々買ったりは出来ず、一本のソフトを遊び倒した。すぐになくなってしまったけれど、レンタルソフトと言う仕組みが当時あった。

そして、下の子が生まれた直後ぐらいがバブルに当った。神戸から埼玉に越して、周囲ににょきにょき億ションが建ってる頃には、時給が700円代に「高騰」し、ダンナの年収が400万円台にやっと届くぐらいになった。

とは言え、賃貸の家賃は安くなく、貯金をしたり、借金を支払ったりしなきゃならなかったし、物価もちゃんと上がってたんで、実質的に豊かにはならなかった。

子供が幼稚園に行ってるスキマにファミレスのバイトして――同僚には幼稚園ママが結構居たけど、ファミレスとは別に内職してた人もいた――、ようやっと子供が学校上がったと思ったら、不況に直面して、そうよ、私ゃロスジェネと一緒に就職活動してたのよ。

あの時、新卒と一緒に、既婚子持ちの私が就活してた訳よ。

兎に角もっとお金が必要でだった訳で、夢も希望もハナッからなかったから夢を打ち砕かれる心配はなかったけども、全然選り好みしないどころか、入れさえしたらどこでもいい、と思っていても、まるっきり就職はなかった。

#同じ歳の子を持つ社宅のお隣の奥さんと、時々「面接会場」で出合って、若い子が多いねー、無理ぽいわねー、みたいな話して、やっぱり仲良く落ちていた

しかも!口は出すけども金は出さない親類の相手して、口は出すけども金は出さない先輩ママの相手して、歳喰ってるだけデカイつらするやつとか、教師ってだけでデカイつらするやつとか、男ってだけでデカイつらするやつとか、戦争行っただけでデカイつらするやつとか、姑にいじめられたからって(なぜか)デカイつらするやつとか、戦後の食べ物がない時代を経験してるだけでデカイつらするやつとか、そんなちょっと面倒くさい相手がよぉ、今よりもず~~~~~っと多かったりした訳よ(もちろんみんなじゃないけどね)。ほんまに。

私ゃ、世の中、は言い過ぎかw。少なくとも私が知ってる範囲内では、良くなった事ってかなり多いと思っている。

とは言え、(もちろん)「だから」ガマンしろとは思わないし、つか、むしろ不平不満はとりあえず口に出して言うべきだとも思ってもいる。

だけどね、非モテという「くくり」に同情しないのと同じような感覚で、ロストジェネレーションって「くくり」にも同情はしていない。

単純に、「運が悪かった人」を「自己責任」にしてしまうなよ、と思っているだけ。

そして、それを時代特有の問題だとは思っていない。と言うか、それ(運が悪かった人を自己責任にしないと言う事)は、私の気分では、常に目指していたい方向性であって、だからこそ、世代論みたいのには乗りたくないと思っている。

為に世代論を利用する用意は何時でもあるけど、それは、手段であって、目的じゃない。

は?結婚できない?したいの?さして望んでもいないのに、文句言う為の手段のひとつとして言ってるだけじゃないの?は?子供が生めない?子供欲しいの?さして望んでもいないのに、文句言う為の手段のひとつとして言ってるだけじゃないの?

私(個人)はさ、うっかり結婚しちゃった馬鹿とか、うっかり子供持っちゃった馬鹿をこそ支援したいの。私がそんな馬鹿だったから。

馬鹿はさ、そうなって初めて分る訳よ。

大学進学を考える歳になって初めて、地域格差を知って、大好きになっただけで結婚して初めて、他人と暮らす難しさを知って、子供を持って初めて、子育ての難しさを知って、そこで初めて親に感謝したような、ありきたりで平凡な馬鹿だった訳だわ。

だけどさ、めくらめっぽう石投げたって簡単に当るぐらい平凡な馬鹿が生き難いと感じるような、そんな社会じゃ流石に嫌なのよ。

みんな愚かで必死じゃん。